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落合博満 頑非情力

2021年の9月に出版された落合博満さんの中日の監督時代を描写した「嫌われた監督」は、10万部を超えるベストセラーとなっている。

落合さんという日本人から見て異質で独特な雰囲気・人間性は、仮に落合さんのことが嫌いであっても、強く惹きつけるものがあるかもしれない。

今日は、落合さんの非情力について話しをしたいと思います。

落合さんは監督時代、
・怪我で3年間1軍公式戦の登板のなかった川崎投手を開幕投手に指名。
・日本シリーズで、完全投球を続けていた山井投手から岩瀬投手への継投。
・ショート井端選手とセカンド荒木投手の守備のコンバート。
・生え抜きのスターである立浪選手のレギュラー剥奪。
など、他の監督ではできないような奇抜な采配を沢山遂行してきた。

時には、マスコミやファンから多くの批判を浴びることがあっても、あるいは、非常な采配と非難をされながらも、自分の意思を貫いてきた。
なぜ、周りから多くの批判にさらされながらも、少しもブレることもなく自分の意思を貫くことができるのだろう?
他の人にはない落合さんならではの根底にあるものとは何だろう?

私が分析するに、そこにあるのは、落合さんが選手時代も監督時代も、
「自分の中の絶対的な軸を持つこと」
及びそれに伴う
「絶対的な自信」
だと思う。

まず、選手時代。
25歳でロッテに入団したものの、落合さんの独特のバッティングは首脳陣から評価されず、その打ち方ではプロでは通用されないと烙印を押された。
それでも、落合さんは自分のバッティング技術を磨き、3度の3冠王を獲得するまでに進化を遂げた。

言うまでもなく、現役時代の落合さんにあったのは、他の選手を圧倒する「絶対的なバッティング技術」
それが選手時代の落合さんの「自分の中の絶対的な軸」になっていたと思う。
それがあったから、3度の3冠王を獲得することができた。
そして、その絶対的なバッティング技術を身につけるための
「圧倒的な努力」と
自分の結果に対して全責任を負う「強い覚悟」。

落合さんのその技術力を表すエピソードとして、東尾投手へのピッチャー返しを思い出す。
東尾投手は、西武ライオンズのエースとして活躍したが、そのピッチングの特徴は、右バッターへのデットボールを辞さない内角への鋭いシュート。
東尾投手は、ストレートのスピードは速くはないが、そのシュートを武器にプロ通算で251勝を挙げた。
東尾投手は、ロッテの四番の落合さんに打たせないために、内角を厳しく攻め、デットボールを与えた時があった。
落合さんが他のバッターと違うのは、その次の打席で、狙いすましたかのように、東尾投手にデットボールの仕返しにピッチャー返しの打球を打ち返したこと。
プロのバッターといえども、ピッチャー返しは狙って打てるものではないし、ましては、プロの一流のピッチャーが投げたボールを狙った通りに打つことはなおさら難しい。
しかし、落合さんは、圧倒的なバッティング技術を使ってそれを可能にした。
その絶対的な自信を持つ技術があったからこそ、落合さんは「オレ流」と言われる自分だけのスタイルを貫くことができたと思う。

次に、監督時代。
監督時代、時にはマスコミやファンに批判を浴びながらも、自分の采配を頑なに貫いてきた。
その根底にあるのは、
「定点観測」による絶対的な観察力。
定点観測というのは、毎日、全く同じ場所から選手の動きを細かく観察すること。
毎日、同じ場所から見ることにより、選手の微妙な変化にも気づくことができる。
ショート井端選手とセカンド荒木投手の守備のコンバートや立浪選手のサードのレギュラー剥奪も、日々、選手の守備の足の動きの変化を見続けることで、周りの意見よりも、自分の観察力から判断して、このような決断を行うことができた。

落合さんのこの観察力の凄さを表すエピソードとして次のようなものがある。
2010年の中日ー巨人戦の2回表に、落合さんは、グランドにいる選手、首脳陣の中で、唯一、審判の動きの異変、体調不良に気づき、審判のところに歩み寄って、審判へ交代することを進言。

毎日、同じところから選手だけでなく、審判も含めた動きを観察し、どんな微妙な変化にも気づくことができる。
その絶対的な観察力があるからこそ、井端選手と荒木選手の守備のコンバートを周りから反対されても、自分の采配を貫くことができる。
観察力という自分の中の絶対的な軸があるからこそ、それを軸に采配、決断をすることができる。
多くの日本人は、自分の中の軸ではなくて、大抵は、周りの人の意見を聞いて、大多数が賛成する意見に従って行動する。
落合さんには、そのような日本人的な考え方はない。

それができるのも、「自分の中に絶対的な軸」を持つことができたからだと思う。
当たり前だが、そのような絶対的な軸を持つことは簡単ではない。
落合さんと多くの日本人との違いは、自分の行動や結果に対して、責任逃れをせずに、全責任を負う圧倒的な覚悟にあると思う。
落合さんは、群れで行動をすることがなく、いつも一人で行動をしていることもあって、例え失敗することがあっても、その結果を誰かのせいにすることが一切ない。
その圧倒的な覚悟が、圧倒的な努力になり、その努力が圧倒的なバッティング技術や圧倒的な観察力を生み出しているのではないだろうか。

自分のサラリーマン時代を振り返ると、周りの意見に振り回されることが多々あった。
やはり、それは自分の中に絶対的な軸がなく、自分の考えや判断に絶対的な自信が持てなかったからだと思う。
まず、自分に足りないのは、自分の言葉や行動に対して、どんなことが起きても、周りのせいには一切せずに、自分で責任を持つ覚悟が足りなかったからだと改めて思う。
そして、誰にも負けない努力。
どんな成功にも近道はなく、あるのは、誰にも負けない努力を継続し、積み重ねることのみ。

それを心に刻んで今日も一日頑張ります。
今日はこの辺で。









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