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短編小説 オンガク

この短編小説は、2022.6.12 本と珈琲と〇〇
第二編「本と珈琲と音楽」のイベントに合わせて
書き下ろしたものになります。
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オンガク

私の彼氏は音楽を生業としている。
自分で曲を書き、作詞をし、演奏もする。
シンガーソングライターと言われる人だ。
特に売れているわけではないが、
ちゃんとファンもついている。
ライブもよくやっているし、アルバムも出している。
裕福なわけではないが、生活を送るためのお金は
音楽で賄えている、立派なアーティストだ。
そんな彼を私は心から尊敬しているし、愛している。
彼の書く詞は、とても美しく、儚い。
そしてどこか、悲しさや、もどかしさを孕んでいる。
彼はよく、
大衆に聞いて欲しいんじゃなくて、
届けたい人に届けるために歌ってる
と言う。
いや、正しく言えば、よく言っているらしい。
私には、そんなこと一言も言わないのに。



私には、高校生の頃から通っている
行きつけの喫茶店がある。
ランチもやっていることもあり、
お昼と夕方と一日二回通ってしまう時がある程、
その店が好きだ。
マスターとも長い付き合いになる。
白髪で、同じく白い髭を顔全体に纏わせ、
穏やかで優しい目を
細縁の丸眼鏡の向こう側に覗かせている。
出会った頃から見た目はずっと変わっていないが、
いつも被っているお気に入りのベレー帽は、
さすがに年々へたってきている。
それもまた味であるが、
そろそろ新しいものを
プレゼントして送ってあげようかな。



私は生まれも育ちも東京で、
彼と同棲するまでずっと実家暮らしだった。
私が大学を卒業して社会人に
なりたての頃、彼に初めて会った。
きっかけは、その喫茶店で、
彼がバイトを始めたことだ。
いつものようにお店に行って、
珈琲を飲みながら本を読んでいたら、

今度新しいバイト君を雇うことになったんだ、

とマスターが言った。
たまにこの店にはバイトが入る。
バイトをするのは、近くの大学に通う学生が多い。

次はどこの学生が来るの?

大学院をこの間卒業した男の子が来るよ。

ヘぇ、なんか珍しいね。

音楽もやっているみたいで、
曲を聞かせてもらったけど、
なかなかいい音出してたよ。
構成がいい。ただ、
あんまり歌詞が響かないというか、
まだまだ発展途上な気はするな。
もっとよくなると思う。

マスターが言うならそうなのかもね、
この歌の歌詞はいいってよく見せてくれるもんね。

歳の分だけ聞いてるからな。
うるさいオヤジにはなりたく無いけど。


なんて会話を楽しんだ。



次にお店に行った時には、彼はすでに働き始めていた。
いつも座るカウンターの端の席につき、
メニューを広げ、注文をする。
彼は私をちらっと見て、軽く頷き、
マスターに注文を伝える。
無愛想な訳ではないが、とりわけ笑顔でもない。
頼んだ珈琲と、シフォンケーキを持ってきて、
テーブルに並べた後も、彼はそのまま
カウンター越しに私の前に立ち、
数秒間こちらに視線を向けたまま、止まって、
何か考えているような顔をしている。
数秒経って、他の客が店に来たため、
彼は元に戻り、注文をとりに行った。
横目でマスターを見やると、
何故か満足そうな顔をしている。
ちょっと気持ち悪い。
フォークを手に取り、三角形の尖った部分を
ひと口大に切り落とし、
シフォンケーキを口に運ぶ。
いつもの味。美味しい。
美味しいのだが、その味成分を舌がちゃんと
感じ取れていないような錯覚もする。
マスターがなんとも言えない笑顔を
見せてきたからだろうか。
なんだか頭がぐるぐるしそうだったので、
いつものように鞄から本を取り出し、
栞が挟まれたページを開いて、
先ほど電車で読んでいた途中部分から、
読書を再開する。
すぐに本の世界に浸り、先の一件のことは忘却された。



その後も何回か通ううちに、彼は少しずつ、
私に話しかけるようになってきた。
いつもお店では読書をしているので、
声をかけてくるのはマスターくらいだったのだが、

何の本を読まれているのですか?

とか

お仕事は何をされてるんですか?

と聞いてくれる。
普通のことを興味深そうに聞いてくれる。
いつしか、私からも話しかけるようになって、
彼が書いた詞を見せてもらったり、
音楽に対する思いを聞いたり、
マスターとも一緒に
この曲のこの詞は最高だよな、と
音楽の話に花を咲かせるようになっていた。



告白は彼からだった。
私も彼に好意を抱いていたのは確かではあったが、
彼が音楽に本気で注力していることも知っていたし、
彼の邪魔をしたく無いという思いもあったので、
本当に私でいいのかと再三確認を取ってしまった。
正直上手くいかないと思っていた。
それでも彼の私への想いは変わらず、
真摯に向き合ってくれた。
結果、お付き合いすることになり、
今年で交際八年目になる。
交際して何年か経った頃から、
彼の音楽は世間で受け入れられ始めて、
少しずつではあるが、売れ始めていった。
ライブも勢力的に行うようになり、
私も毎回会場の隅で彼を見ていた。
彼は時折こちらに視線を向けては、微笑みかけてくる。
でも、私に伝わってくるのは、
彼のその微笑みの裏にある、
隠しきれぬ悲しさや、もどかしさだ。
そんな彼を見ると、たまに私でよかったのかと
不安になる時もあるのだが、
それでも普段の生活ではあまり喧嘩もせず、
仲良く過ごすことができている。
彼はとても優しく、
お互い気疲れしない程度に接することができる。
全てがうまくいかなくても、
一緒にいる時間が心地よければ、
それでいいのかもしれない。
お互いのことが好きという気持ちがあるのだから、
それでいいと思う。



ある休日の朝、目を覚ますと、
枕元に彼からの手紙が置かれていた。
一瞬彼が出ていってしまったのかと
ドキッとしたのだが、
キッチンからはいい匂いが漂ってきている。
手紙を読むと、

今日を一日満喫しよう

とだけ記されている。
なんだかよくわからないが、身体を起こし、
キッチンに向かうと、満面の笑みで、
目玉焼きをトーストに乗せている。
私に気づくと、
目玉焼きの乗せられたトーストを皿に移し、
プチトマトを添え、
そのままベランダに連れて行かれた。
雲の切れ間から陽が差し、
初夏の空気が心地良い風に運ばれて吹いている。
柵に肘をかけ、トーストを頬張る。
何気ないトーストなのだが、本当に美味しい。
思わず笑顔が溢れて、彼を見ると、
満足そうな顔をこちらに向け、
同じくトーストを食べている。
全て食べ終わると、リビングのソファで
淹れたての珈琲を飲んだ。
午前中はそのまま部屋でゆっくりと過ごし、
お昼はどうしようかと尋ねると、
彼は今日はマスターのご飯を食べに行こうと
提案してきた。
また、お気に入りの服で出かけようと念押しされ、
身支度を整える。


いつものように電車に乗り、喫茶店へ向かった。
店内に入ると、マスターが笑顔で迎えてくれる。
テーブル席に座り、彼はナポリタン、
私は明太子パスタを注文すると、
今日は特別にと、アイスティーをサービスしてくれた。
彼はマスターの元でランチの準備を手伝っている。
窓際の花瓶に生けられた花が、
風を受けて揺らいでいる。
店の雰囲気に合う、落ち着いた色合いの花だ。
しばらくして、マスターと彼が
ランチを運んできてくれた。
いつも食べているはずのパスタが、
今日は特別美味しく感じる。
明太子のちょっとした辛味に、
バターのまろやかさがたまらない。
アクセントのレモンの酸味で後味もすっきりとしている。
彼も丁寧にナポリタンをフォークに巻いて、
美味しそうに食べている。
お互いにやにやしながら食事を終えると、
マスターが珈琲もサービスしてくれた。
落ち着いた雰囲気の中で、
マグカップを手に取り、珈琲を啜る。
調和の取れた苦味と酸味が口に広がり、
芳しい香りが鼻から抜ける。
マスターの淹れる珈琲は、やっぱり美味しい。
珈琲の香りを邪魔しない、
控えめな花の香りもまたいい。


マスターにお礼を言って店を出て、
次は公園に向かった。
このまちにある公園は人気スポットで、
今日も多くの人が、きれいに手入れをされた
植木の間を歩いている。
木々の隙間を風が抜け、葉が揺れ、
それに合わさるように、木漏れ陽が揺らぎ、
光と影が戯れいている道を、二人で手を繋いで歩く。
商店街でおやつと夕食の材料を買って、家に帰った。
窓を開けると、あまりの心地良さに、
二人でしばしお昼寝をした。

目が覚めると、すでに外は薄暗くなっており、
真っ赤な夕日が薄く残る雲を赤く照らしている。
反対側の空は群青に染まり、青白い月が浮かんでいた。
おやつはまた明日だねと笑い合いながら、
冷蔵庫で冷やしたビールの口を開け、
グラスに注ぎ、乾杯をする。
お酒を飲みながら簡単なおつまみを作って食卓を囲んだ。



今日はとても良い一日だった、ありがとう。

とお礼を言うと、

彼は、

ちょっと待ってて

と言って、
普段音楽制作をしている部屋に入っていった。
ちょっとと言いながら、
すでに一時間ほど部屋に籠っている。
先ほど飲んだビールのアルコールが
もはや抜けかかった頃、
不安と満足感が入り混じった表情で、
彼が部屋から出てくると、
私にCDを渡した。
ケースを開くと、ディスクはなく、
歌詞カードだけが入っていた。
読んでみて、と目で促してくる。
ケースから歌詞カードを取り出し開いてみると、
手書きの文字が並んでいた。



あの喫茶店で働くことになった時に、
マスターに最初伝えられたことがある。
『うちのお客さまの中に、
生まれつき耳の聞こえない方がいる。
大抵カウンターの端の席に座る
君と同じくらいの歳の女性の方だ。
オーダーはメニューに指差しをしてもらって
伝えていただいている。
話をするときは、脇に置いてある
メモ帳を使って筆談をしている。
君もそのようにしてほしい。
長い間うちの店に通ってくれている、
とても大切なお客さまで、
とても仲の良い友人だ。
特別扱いはしなくていい。
大切なお客さまとして、接客してほしい』と。

初めて君に出会ったとき、正直にいうと、
困惑してしまった自分もいた。
けれど、何回かお店で話しているうちに、
自分が作っている『音楽』とはなんなのか、
改めて考えるようになった。
君と付き合ってからは、
さらに音楽を追求するようになった。
苦悩することも増えたけれど、
その分深みのある表現が
できるようになったのかもしれない。
自分の音楽を聴いてくれる人の数も増えて、
良い音を作れる機材も買えて、
音楽だけで食っていけるようにもなった。

でも、やっぱり、満たされないところがあった。
本当に僕の音楽を伝えたいのは、君なのに、
僕の音楽は、君には届かない。
本当に伝えたい人に、伝えることができないことが、
とても悔しかった。
世間の人が聴いてくれている曲は、
自分で作った曲なのに、
楽曲だけが一人歩きして、何もできない僕だけが
取り残されているような気持ちになった。

僕の音楽が君に届かなくても、
君は僕を好きでいてくれる。
届けたいのは、僕のエゴだ。と
諦めをつけようとした事も何回もあった。
けれど、やはり届けたいという想いが
変わることはなかった。

そして、悩んでいるうちにふと思ったことがあった。
音楽は、日常のストーリーや、日々の思いを、
音という波を使って伝えているだけなのかなって。
でも君には、音は届かない。
だから、音じゃない方法を考えた。

風に揺らぐ景色、口に広がる風味、
道を歩く足並み、暮れゆく夕陽と空のグラデーション。
人の優しさに触れたり、場の雰囲気を共有したり。
そこには、グルーヴがあって、
リズムがあって、ストーリーがあった。
その機微って、まさに『音楽』なんだと思う。

他の人にはわからないかもしれないし、
今言ったことが『音楽』ではないのかもしれない。
でも、今日一日君と過ごした時間には、
たしかに『音楽』があった。
これからも、君と一緒に音楽を聴きたいと思う。


涙でぼやけた視界に、同じく涙をこぼす彼が映った。
私は今日、初めて音楽を聴いた気がした。



最後までお読み頂きありがとうございます。
本と珈琲と〇〇では、毎回このように
主題に沿った短編小説を執筆し、
来場者の方にお配りしております。
よろしければ是非、イベント会場にも
お立ち寄りいただければ嬉しいです。

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