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短編小説「躱す」

躱す

                              眞琴こと

 

モブキャラクターとは、漫画、アニメ、映画、コンピュータゲームなどに登場する、個々の名前が明かされない群衆(主要キャラクター以外の“その他大勢”)のこと。(Wikipediaより)

この物語の主人公は皆口翔也である。
ヒロインは廣井桃香で、皆口のライバルとなる人物は門倉武流である。

 

 

――十月のある日のホームルーム。二年A組に転校してきた皆口翔也は自己紹介をし、席に着いた。隣の席はなんと登校途中でぶつかってきたあの女だった。

「あっ! お前!」と皆口。
「えっ? あんた!」と廣井。
「えっ? お前ら知り合い?」井口の前の席の門倉が言った。
「「いや、こんなやつ知らないから」」と皆口と廣井の声がハモる。
「おーい、そろそろ授業はじめるぞー」教師がいう。

そうしてそのまま担任の担当する数学の授業となった。あいつの名前はどうやら廣井というらしい。朝のことといい、つくづくむかつく女だな。新たな学校生活、最悪の幕開けだ。と、皆口は思った――

 

 

桐山聖一はモブである。

桐山聖一はモブであることを自覚している。

現にいま「転校生が主人公か」と思っている。桐山には、彼らを捉える「カメラ」が見えるのだ。

 

「クレーンにカメラドリー(注:レールの上を走るカメラ)かぁ。クルーもいっぱいいるな。この規模は久しぶりに見た気がする。皆口翔也は映画の主人公なのかもしれないな。規模感でいえば、久しぶりに主人公らしい主人公だ。まぁ自分にはあまり関係ないけど」

 

桐山には相手の自意識のようなものが「カメラ」の形として見える。能力が発現してからおよそ三年間のあいだ仮説を立てながら検証してきた分析によると、「カメラ」は相手までの距離がある程度近くであること(おおむね三メートル)、桐山が意識を集中し視線を送れば見えること、そしてそれは知りうる限り桐山だけに発現した特殊能力であることなどがわかった。

ごくたまに「カメラ」を持たない人を見かけることもあるが、このクラスに限って言えばほぼ全員が「カメラ」持ちであった。彼らは自分を自分の物語の主人公だと思っている自称主人公たちだ。8ミリのハンディカム一台の人もいれば、芸能人気取りでスタジオカメラを1カメから3カメまで揃えている人もいる。真正面から撮っている人も、自信たっぷりにやたらアオリの画角で撮っている人もいて撮り方もみなそれぞれだ。ときどき背後で脚立の上から撮っている人もいる。そういう人は自分のことを客観的に見ているのかもしれない。ほとんどの場合、カメラマンの姿は見えなくてカメラだけ浮かんでいるように見える。ときどき皆口翔也のようにクルーまではっきりと従えているような主人公らしい主人公が現れ、きらきらとした青春を謳歌していく。その他大勢の自称主人公も、ときどき主人公っぽくなることはあるし(以前は門倉武流が主人公を務めたことがあった)、そうでなくてもみなそれぞれの物語の主人公として一応それなりの青春を過ごしていく。そしてその輝きは、それぞれ分相応である。

 

桐山聖一はモブである。

桐山聖一はモブであると自覚している。

それは、桐山自身が「カメラ持ち」でなかったからだ。能力の発露は小学五年生のときであった。ちょうど十一歳の誕生日にあたる日の五時間目、図工の授業中のことだった。「表現しよう」というテーマで各々思い思いの彫刻をつくっていたとき、気が付くと前後左右のクラスメイトの前に「カメラ」が現れていた。みんなカメラを作っているかと驚いたと同時に消えてしまったが、ふたたび図工の課題に意識を集中すると、また見えるようになっていた。能力が発現した瞬間は声を少しだけ漏らしてしまったが、にぎやかな図工の時間に目立たない桐山の声のことなどを気にするものは誰もいなかった。

よくわからないものが見えるようになって以来、仮説と検証を重ね「カメラ」は彼らの自意識が具現化したものであると推察するに至った。どうやら「カメラ」は桐山以外には見えていないようだったし、同じような能力を持っている人もまわりにはいなさそうであった。桐山は目に入る様々な人間の「カメラ」を暴いてみると同時に、自分自身の「カメラ」についても知りたくなった。しかし鏡を見てもどれだけ集中しても、自分の「カメラ」は見えなかった。一年間以上自身の「カメラ」の発現を信じ集中を試みたが、まったく見える気配はなかった。桐山は小学校卒業を機にとうとう自身の「カメラ」の発現をあきらめることとした。「カメラ」を持っている人はみな輝いて見えた。Jリーグ選手を目指してサッカーをやっている友だちやリーボックのバッシュとかセガサターンを持っている友だちみたいに。

 

「みんなで行った」
「船の科学館」
「雨だったけど」
「楽しかったです」

 

勝手に楽しかったことになった遠足。勝手に頑張ったことになった運動会。卒業式は思い出が強制的に矯正されるイベントだ。『仰げば尊し』を歌いながら桐山は少し前までやっていた特撮ヒーローのテーマ曲の「誰もが皆ヒーローになれるよ」と力強く鼓舞するフレーズを思い出していた。誰もがヒーローになれるが、そこに自分は入っていない。それはきっと自分以外の誰もが、なんだ。そう思うほかなかったのであった。そのころ桐山は世の中に存在する例外というものをぼんやりと認識しはじめていたが、それが自分であると受け止めるには桐山はまだ幼すぎた。受け止めきれない事実が込み上げ、卒業の寂しさ以上に涙の形となってあふれてしまうのであった。桐山の頬が涙で輝いた。みんなもまた主人公らしくそれぞれの「カメラ」に向かってきらきらと輝いた表情で歌っていた。

 

「ぼくたち」
「わたしたちは」
「いま、旅立ちます」

 

中学へ進学したタイミングで桐山は自意識の「カメラ」以外を見ることができるようにもなった。他者へ向けられる視線の「カメラ」である。

それは入学して間もなく、学年主任の教師がオリエンテーションの際に教師自身のほうを向いていない謎のカメラを取り出したことで気が付いた。体育館の四隅に置かれたカメラはテレビカメラのような形をしており生徒のほうに向いていた。その役割が監視カメラであると気付くのにそう時間はかからなかった。イレギュラーを注意、叱責するため、レンズの視線はじっと私たちを撮(に)影(ら)し(み)続けていた。学年主任に限らず問題児の多い南中学校では各教師が至る所で様々なカメラを駆使し監視をしていた。

 

桐山の通う南中学校にはひと学年約百五十人が通っており、中央小学校卒業生五十人と南小卒業生百人で構成されている。学区の都合上、桐山たちが卒業した中央小学校は南北に分かれて南中と北中の二つの中学に通うこととなっていた。南小学校は全校南中学へ進むため、人数を半分に分かたれた中央小学校出身者はそれだけでマイノリティであった。

加えて南小学校出身のマジョリティたちは何もかも進んでいた。南小の学区は中央に比べて古い団地や集合住宅が多かったせいもあり、世帯の平均年齢が高かった。同級生はみな兄、姉がいる者ばかりで、文化、思考(志向)、恋愛、性、何事においても進んでいた。

新しいマンションが多かった中央小の学区はいわゆる長男長女が多かったこともあり、桐山たち中央小出身者は、入学早々南小カルチャーの洗礼を受けることとなった。

大声で下ネタを連呼(中央小では考えられない)する人が一人や二人でなかったことにも驚いたが、桐山が何より驚いたのが、いつでも誰かの何かを馬鹿にするために目を凝らして他人のアラを探しているやつが幅を利かせていたことだ。少なくない人数が同時多発的に肩から胃カメラのようなくねくね曲がる「カメラ」を触手のように伸ばして周囲の様子を窺っていた。まるで新しいおもちゃを与えられて無邪気に楽しんでいるようでもあったが、行為自体は見るに堪えられないほど醜悪であった。その姿はファイナルファンタジーに出てくる臭い息を吐きパーティを苦しませる厄介なモンスターのようにも見えた。

 

「オザケンなんか聴いてるのかよ」
「オザケンとtrfとミスチルって、本当のファンなんだったらどれかに絞れよ」
「どれが一番好きなんだよ」

それは入学当時、桐山の自己紹介カードに書いた「好きな音楽」の欄を見たクラスメイトたちの反応だった。隠そうともしない肩から伸びるうねうね「カメラ」からの視線を桐山は不快に思った。

もしも小沢健二がケンカの強そうなビジュアル系だったらこんなことを言われずに済んだのかもしれないな……という考えが一瞬頭によぎったが、マッチョだったりバチバチのメイクをしたりしたオザケンからは「強い気持ち強い愛」は生まれてこなかっただろうとすぐ思いを改めた。「俺」って言ったすぐ後に「僕ら」って言ってしまうの、なんかいいじゃん。お前たちは知らないだろうけど、習い事の遠征で行った沖縄から東京へ帰るときのJALの機内で聴いた「強い気持ち強い愛」は最高に最高だったのに!

「誰」ではなく「どれ」と問われたことにも不快感と違和感を覚えつつも、桐山は反論するほどの材料を持ち合わせていないと判断し「(あえて挙げるとするならば)ミスチルかな……」と答えた。すると彼らはミスチルの名前に満足したようで「それならば文句はない」「この世に新たな純然たる音楽ファンをまた一人増やすことができた」とでも言いたげに顔をにやつかせながら去っていった。

それは桐山が南小出身の彼らの生態についてはじめて体験をもって学んだ出来事であった。

彼らは無邪気に醜態を晒す。残念なことだが、それでもみな自称主人公なのである。この自意識過剰かつ極度の監視環境が桐山を、無難にやり過ごしたいという意識に導き、結果として「自分は主人公でない」という事実も早期に受け入れさせたのであった。

中学へ進学してからおよそ一年の時間をかけて、じっくりと桐山は自身がモブであるという認識を強めていった。そして二年生となり、目立たず一層モブであることを貫く桐山であっても、それなりに触手カメラの視線は向けられ、毎日多少の緊張を余儀なくされていた。

 

 

桐山はにわかに学年の注目を浴びることとなった。一時間目の数学のあとの休み時間、桐山の前に一人の自称主人公がやってきた。彼は自信があるのか背が低いことにコンプレックスを抱えているのか、いつもローアングルからアオるような画角で自分を撮影しているやつだった。

「お前、徳島とつきあってるの?」

桐山は他人のカメラの台数やアングルを見ながら、人間観察をすることがあっても、モブであることを自らの行動指針としているため、実際にクラスメイトと言語によるコミュニケーションを持つことには消極的であった。また、自分が主たる話題の中心となることもまずなかった。

それは批判を伴った質問だったが、突然のことで桐山は言葉の裏を読めずに額面通り質問として受け取ってしまっていた。実際、徳島とつきあいはじめたことは事実であるし、嘘をもって否定することに関しては徳島に対しての誠実さに欠けることだとも考え、正直に「そうだけど」と答えた。むしろ正直であることが徳島を大切に思うことの表れであるとも考えたため、その言葉には若干の誇らしさすら込められていた。 

立て続けにまた別の自称主人公が問う。生活に余裕を感じさせる、ぱっと見でもよく手入れされたいい機材を使っている。ただ、さっきの自称主人公同様に背が低いからか、やや「カメラ」はローアングルからアオリの画角だ。

「なんで徳島と付き合ってんだよ」

なんで。これは質問の形をとった批判である。当然桐山はこれも額面通り質問と捉えたが、一瞬の逡巡ののち、ようやくそれが祝福ではなく批判であることを理解した。

「うわ、まじか」

日頃、いつでも誰かを馬鹿にするために全力で他人のアラをさがし、無邪気な悪を振りまいている彼らは、例にもれず桐山のことも味がすぐなくなる駄菓子のガムのようにインスタントなネタとして消費しにきたのだ。ろくに味わうこともせずに楽しそうに、憐れむような、見下すような目線を残し去っていった。

「やっぱりあいつら付き合ってるってよー!」

そうして学年中に噂は事実として広まることとなった。不本意にも桐山の発言が彼らにあたらしい駄菓子のガムを提供してしまった。憐みの視線はいつか蔑みの視線にすべてが変わるだろう。味がなくなったガムは吐いて捨てるだけだ。

 

 徳島ひとみは自称主人公である。
徳島は正面に一台、背面に一台のやや珍しい「カメラ」の構成をしている。背面の「カメラ」は豊かで一本一本がしっかりとした背中まで伸びた髪を一つに結った太めのポニーテールを捉えているようにも見える。

徳島ひとみはオタクである。中央小にはいなかったような生粋のオタクであった。母子家庭ながら母はキャリアウーマンらしく、潤沢なお小遣いはほぼすべてアニメや漫画に費やしているようだった。

ただ、当時オタクという言葉は少なくとも南中学校内では蔑称であり、少なくとも自称するようなものではなかった。アニメを好んで見る、アニソンが好き、声優に詳しい、イラストを描く、二次創作をする……いまでは当たり前に市民権を得ているそれらの行為も当時では平たく言ってしまえばいじめの対象になっていた。ただ、それは殴られたりものを壊されたりするようなわかりやすい類のものではなく、明らかに馬鹿にしつつも無視したりいないものとして扱うといったような、いかにもオタク向けといった対応だった。徳島はそれを気にはしつつも、静かに趣味に打ち込むには積極的にいじめられるくらいなら無視されているくらいがちょうどよいとさえ思っているようであった。桐山はそんな徳島に対し、背面カメラの俯瞰視点の影響か、今まで見てきたいわゆるいじめられっ子とは違ったしなやかさのようなものを感じていた。

 

桐山が徳島からの告白を受けたのはつい三日前だった。

クラスが違ったためそれまで面識はほとんどなかった。きっかけは二週間前の美術の居残り課題で同じテーブルとなり、言葉を交わしたことだった。他愛もないやりとりばかりだったが「エヴァンゲリオンがはじまる六時半までには帰らなきゃ」としきりに言っていたことを桐山は覚えていた。まったく知らないアニメだったが、あまりにも熱を帯びたその物言いが下校後の桐山の行動を少しだけ変えた。教えられた通り六時半にチャンネルをテレ東に合わせ、見知らぬ天井のシーンからはじまったそのアニメを見た。主人公が乗った敵機のような禍々しいロボットが雄叫びをあげ暴走し、敵のようなものを討ち滅ぼしていた。敵のようなものが敵のようなものを滅ぼしているシーンは、なんとなく「風の谷のナウシカ」に出てくる巨神兵が王蟲を焼き払っているシーンのようでもあるなと思った。次の日の居残り課題の際に「倒置法みたいでおもしろかった。あの敵ロボットみたいのが主人公のロボなんだね」と徳島に感想を伝えたところ、徳島はとびきり早口でエヴァンゲリオンの何が素晴らしいかを改めて語った。この日を境に桐山も次第にかなりの熱量でエヴァンゲリオンにめりこむことになっていった。

居残り課題は私が先に完成し、以来美術室で桐山と徳島が合うことはなくなったが、二日前にあたるその日に徳島も完成にこぎつけ、陸上部である桐山の練習上がりのところを徳島が呼び止めた。「昨日のエヴァの話をしたいから裏門で待ってる」とのことだった。帰る方向は異なるが、桐山は徳島の家のほうまで歩いていき、道中、課題完成のお知らせついでにエヴァの考察で盛り上がり、さらにそのついでのような形で徳島は桐山に切り出した。徳島の視線「カメラ」がまっすぐ桐山のほうを捉え「好きです。よかったら……付き合ってください」とたどたどしく告白した。桐山は唐突な告白に驚いたと同時に、まっすぐ向けられた視線は桐山の何もかもを透視しているようだとも感じた。

モブを自認している桐山は、恋愛というものに興味が出始めたとして、誰かと付き合うということはもしかしたら一生かなわないのではないかと思いかけたところであった。そしてこれは願ってもない幸運なことなのかもしれないと感じた。断る理由も特に見当たらなかったため、その場で付き合うことを承諾したのであった。

 

モブらしく振舞っていた桐山にとっては慣れない注目を浴びることとなり、混乱した。また「カメラ」持ちの自称主人公と付き合ったとしても自分は主人公になれないのかと口惜しく思った。久々に鏡で自分を見つめてみるが、やはり自分の「カメラ」は見えない。注目されるだけ損であると感じた。

また、無視されていることがある意味他人との適度な距離感を保っていた徳島にとって注目は苦痛となった。桐山と徳島が付き合い始めた情報が、誰から漏れたのかはわからない。桐山はもちろん、徳島もネタとして消費されることが明らである噂の渦中に自ら飛び込むようなことはしない。おそらく、二人でいることに必然性が見いだせない桐山と徳島が並んでいるところを誰かが見ていたのだろう。噂の第一報が萌芽することなど、大体そんなところからだろうと桐山は思った。

どこにでも――クラスには七十二、学年には約三百、全校では九百弱の瞳という「カメラ」がある。それがときに隠しカメラや望遠カメラの形をとっていたとしても何ら不思議なことではないのだから。

 

ほとんどのいじめは自称主人公同士で行われる。いじめられることだってあるし、いじめることだってあるのだ。どんなに隠れて行われていても自分の「カメラ」にはばっちり撮られている。自意識の「カメラ」だし、それだって桐山のほかに見える者はいないのだから結局どうということはないのだけれど、自分の醜態を自分がいちばん捉えているとはなんとも皮肉で滑稽なものだ。絶対に反撃や復讐という手段に及ばない、そういう対象だけを狙って行われる無邪気な狩り。人の世がどんなに発展しても消えることのないそれはもはや人の遺伝子に刻み込まれた本能による祭事か何かなのだろうか。決められた時間に食事を摂る。決められた場所で排泄をする。誰彼構わずレイプしない。そんな、人類が当たり前に制御するに至った本能の中にあっていまだ抑制ができない本能というのはどれほど厄介だろうか。それともそれは人が獲得してきた社会性に必須の生贄なのだろうか。社会性システムの進化にありがちな、必要な犠牲とでもいうのだろうか。生贄を捧げて降臨させる社会システムの安寧など、いっそ壊れてしまえばいいのかもしれない。

 

殴るでも蹴るでもなく、無視でもない。注目し、晒すという暴力を桐山と徳島は受けていた。

見られることは視線に曝されること。
見られることは記録されること。

被曝線量が一定を越えると人はどうなる? 知らない自分が知らない間に他人の記憶に刻まれるとどうなる? それは恐怖として自分に反射するのではないか。

 

ある夜、桐山は夢を見た。
桐山聖一はモブである。
目立たず、地味に、気づかれないように、風景に徹する。いきなりカメラを向けられる恐怖。知らない間にカメラを向けられている恐怖。多数のカメラに囲まれる恐怖。

「カメラも」何もかも壊して、静かに過ごしたい。しかしモブである桐山は「カメラ」を見ることはできても破壊はできない。システムへの干渉はできない。システムの安寧を壊すことができない。それならば視線を躱すしかない。視線が集まる。「カメラ」にロックオンされる。視線を振りほどきたくて桐山は走る。野球部もソフト部もサッカー部も、狭い校庭をやりくりしながらつかっている。陸上部がトラックを使うときはほかの部活は休憩時間だ。陸上部に視線が集まる。桐山に視線が集まる。視線視線視線――校庭のトラックには遮るものがない。同じところを回るトラックでは一周、二周、三周……どれだけ走っていても視線は振りほどけない。

目が覚める。目に入ったのは、見知った天井であった。 

 

桐山と徳島に向けられることとなった「カメラ」。彼らの興味が尽きて出涸らしのような蔑みに変わるのも時間の問題なのかもしれない。

 

通学路を避け人目を避けながら徳島の家の方向に帰っていた途中のこと。

「もしよかったら、今度、どっか行ってください」と徳島が急に申し出た。
「どっか行ってくださいって?」
「あ、一緒にどっか行ってください」
「どこか行きませんかってこと? それは……デ……」
「はい、デ……」
「はい、わかりました」
「ありがとうございます」

 

こうして桐山と徳島はデ……というものをしてみることになった。お互い誰かと付き合うことははじめてだし、もちろんデ……もはじめてだった。付き合っているなら休日にデ……くらいはしなくてはならない。日ごろ南中学校内のマセた雰囲気に触れていたこともあり、それくらいの意識は双方にあった。

しかしこれまでの経緯や背景を考えれば、地元でデ……など考えられなかった。デ……先は迷わず東京を選んだ。桐山は何度か一人で行ったことのある池袋なら、自分も少しは案内できるかもしれないと思い提案した。そして徳島もそれに同意した。

 

十一月のある日曜、桐山と徳島は 池袋のサンシャイン水族館へ行き、魚を見学していた。ぎこちなく一定の距離を空けて歩く二人は、まさに見学をしている中学生としか言いようがなかった。

アムラックスで車の展示や、シーンに合わせて香りがするシアターを見学したあとは、東急ハンズの文具フロアを見学した。

ハンズは地元のジャスコやヨーカドーでは見かけないペンやノートがたくさんあった。買い物をするたびにもらえる十円引きのチケットを何枚か持っていたが、結局その日は何も買わなかった。徳島はというと、ほかのペンとは別の場所に売り場が設けられているコピックというペンのコーナーに張り付いていた。どうやら少しずつ集めているらしい。なんでも、イラスト製作には欠かせないものらしい。結局、徳島も何も買わなかった。

ハンズを出たあとは、駅東口のマクドナルドでお互いチーズバーガーのバリューセットを買って食べた。徳島はお母さんからお小遣いをもらってきているからと桐山の分も支払うと申し出たが、桐山も貯めてきたお金を全額持ってきていたので、丁重に断った。幸いマックは安い。桐山は、少し気取ってセットのドリンクにホットティーを選択した。お湯が入ったカップとトレーにティーバッグが載せられているだけだったことにまるでお湯を買ったみたいだと驚いたが、極力それを表情に出さないよう努めた。砂糖も使わなかった。葉っぱから抽出されたエキスの入ったお湯の味がした。

マックではエヴァの考察で盛り上がった。桐山は「すべての使徒を倒した後、冬月が最終的な敵としてシンジたちの前に立ちはだかる」という「そうなったら面白そう」レベルの、たいした根拠もない独自の考察を披露した。

帰りの電車の中、二人は黙って車窓に流れる景色を見学していた。

 

行きは駅の改札で待ち合わせたため、徳島は自転車、桐山はバスで駅まで来ていた。徳島から「よかったら、もう少し話しませんか」という申し出もあり、歩いて帰ることにした。

「もしよかったらなんですけど、一旦、お付き合い、解消しませんか」と徳島は切り出した。

「私のせいでからかわれたりして……巻き込んでしまってごめんなさい。だから一旦。今日の……デー……が楽しくなかったわけでは全然なくて。いい思い出作りができてよかった。ただ、みんなとの距離感がおかしくなっちゃった気がするし、変に……変って言うのは変っていう意味じゃなくて、でも注目されるのはやっぱり好きじゃない……別れたとしても好きな気持ちはきっと変わらないと思うし、できればこれからも友達として……でもいいですか?」

告白されたときと同じようなたどたどしさで徳島は桐山へ別れの告白をした。

今日のことが過去のこととして早くも思い出になってしまうくらいなら、手くらい、繋いでおけばよかったかもしれないと桐山は思った。付き合い始めてから今日まで、短い間だったけれど後悔がなかったわけではない。しかし、同時にこの申し出を断る理由も見つけられなかった。

 

「じゃあさ……最後に、握手」と桐山は言った。

 

 

――バスケ部の皆口と廣井は北中へ練習試合に来ていた。廣井の所属する女子の試合は54-40で南中の負け。皆口の所属する男子の試合ももう間もなく終了しようとしている。59-57で北中のリードで迎えた試合終了直前、皆口の放ったスリーポイントシュートが入る。ブザービート! 59-60で南中の勝利となった。廣井の瞳は皆口を捉えていた――

 

 

「うん。じゃあこれからもよろしくお願いします」

そうして付き合っている間は一度も触れず、別れてからはじめて触れた徳島。白く細い右手は桐山が見て思っていたよりも薄く、骨ばっていた。そして、さらさらしていてつめたかった。

 

 

一年生の前期は教師の指名により、桐山は生活委員を務めていた。学校というシステムを運営するモブっぽい仕事であると、それなりに意気込み、やりがいも感じていた。後期はどの委員にもならなかった。素行不良などで入学早々より教師たちに指導されていたやつらが、学内での影響力も持ちたいのか、彼らなりに内申点というものを気にしているのかは不明だったが、後期は彼らが学級委員、生活委員、体育委員、保健委員に多数立候補した。それぞれ多数決で決めることとなる中、モブが立候補したところで結果はわかりきっているため、桐山は後期の委員会活動をあきらめた。その代わり校内美化や掲示物の交換、花の水やりなど、桐山は彼らがやりたがらない無償奉仕活動を教師から引き受け、立派にモブの仕事を全うした。

彼らは文化祭や合唱祭のときも、率先してクラスを引っ張った。日頃醜態を晒して他人を散々馬鹿にしておいて、そんなときだけ団結を煽る彼らに桐山は辟易していた。

二年生となり、桐山は放送委員になった。二年生から放送委員だけは通年となるためか誰も立候補がなく、一年の頃から持ち上がった教師の勧めもあり桐山は放送委員をすることにした。なってみると生活委員以上にシステムを円滑に運営するモブらしい役割だと感じた。行事などで単独行動が多い放送委員は団結から逃れるのにもちょうどよかった。ペアとなる女子の放送委員は同じくモブの青井かえでであった。

 

青井かえではモブである。
青井かえでに「カメラ」は見当たらない。「カメラ持ち」の自称主人公たちとは異なる、モブのクラスメイトだ。桐山は青井と同じクラスになり、はじめて誰のことも見ない、誰からもほとんど見られないモブを見た。

前髪が長く、眼鏡をかけ、歯は歯列矯正をしていた。徳島ひとみの数少ない(唯一かもしれない)南小時代からの友達だが、口数は少ないタイプで、徳島と付き合っていた桐山であっても数えるほどしか言葉を交わしたことがなかった。「カメラ」のない同類というのは話しかけやすそうでもあったが、うつむきがちで視線が交わらないため、たいてい発言は会話に発展しなかった。桐山よりも目立たない分、ある意味生粋のモブともいえる。

 

放送委員の二年生は下校放送の担当だった。当番のローテーション決めのとき、青山が目を合わせずに「わたし帰宅部だし、下校放送の当番の週は図書室で時間をつぶして早めに放送室のカギを開けて入っているから、桐山くんはぎりぎりまで部活やってていいよ」と言っていた通り、放送室のカギは毎回青山が開けていた。

この日も桐山は部活を途中で切り上げ、職員室へ寄ることなくまっすぐ放送室へ向かった。

 

「おそくなった」
「全然遅くないよ。まだ三分前」と青山。目はやはり合わない。
「教頭先生への下校時刻の確認も済ませてくれたんだ。ありがとう」
「どういたしまして」
「そういえばさ、青井もエヴァ、見てるの?」
「もちろん、見てるよ」
「もちろんなんだ」
「どのキャラが好き?」
「そうね、加持さんかな」
「お、大人……自分はそんな加持さんのことが好きなアスカかな。弐号機も好き」
「そうなんだ。あ、放送、そろそろ始めなきゃね」

 

下校放送のテープにはショートとロングの二本があり、ショートは「ジムノペディ」、ロングは「亡き女王のためのパヴァーヌ」がBGMとして録音されている。この日の放送はロング、「亡き王女のためのパヴァーヌ」だ。時間になり、テープを再生する。十秒ほど流したところで音楽のボリュームを下げ、桐山はアナウンス原稿を読み上げる。「本日の下校時刻は五時三十分です。間もなく下校時刻です。みなさん、すみやかに下校しましょう。本日の下校時刻は――」

 

――体育館の裏では、廣井は皆口がやってくるのを待っていた。「私から告白するんだ」しかし、そこへやってきたのは門倉だった――

 

「ねぇ、桐山くん」放送が終わり、機器の電源をオフにしたあと、桐山は青山から声をかけられた。

「ひとみと別れたの?」
徳島から聞いたのだろう。ならばごまかしは無意味だ。
「そうだけど」正直にこたえた。
「そうなんだ。好きじゃなかったの?」
「いや、別れることは徳島のほうから提案されたんだけど。徳島からは聞いてない?」
「うん。そこまでは。それでも、好きだったら付き合い続けたいって思うものなんじゃないの?」
「それは……周りの目とか態度とか、いろいろあったから」
「じゃあ、それがなければ続いていたの?」
「それはわからないけど……どちらにしても注目されるのは嫌だったな、徳島は。まぁ自分もだけど。視線を送られるのは苦手だから」
「私からも?」
「えっ?」
このとき、桐山ははじめて青井と視線が交わった。
「私が見ているのも、苦手?」
「どういうこと?」
「やっぱり。私の視線には気づいていないんだね。意識の範囲外からの視線には案外気づかないものだもんね。私がずっと桐山君のことを見てたの、気づいてなかったでしょ。あんなに視線に敏感になって、あんなに人の心を覗くような視線を向けてるのにね」
「嘘だろ、そんなことまで……信じらんないな」
「誰かを見てるとき、誰かもまたあなたを見てるのよ」
「深淵かよ」

 

 

――門倉と入れ替わるように現れた皆口。廣井は皆口に思いを伝える。「皆口君が好きです。わたしとつきあってください」――

 

 

「そうね、深淵。どこまでも深い闇。私の瞳にはぴったりかもね。ねぇ、いまこれを読んでる人はどう思う?」
「これ? ……読んでる?」
「そう。これは桐山くんの物語。誰かによってつくられた桐山くんの物語。そしてそれを読んでいる誰か。会話をすることはできなくても、こちらから話しかけることくらいはできるのよ。みなさま、ここまで読んでくださってありがとうございます」
桐山は驚いた。桐山自身の物語だということに対しては訳がわからないままだが、何より青井がこんなに喋っていることに驚いていた。
「いや、自分の物語だなんて……自分は誰かの物語のモブだと思うよ。だって」
「カメラがないから?」
「? どうしてそれを」
「言ったでしょ。これは桐山くんの物語。私はその登場人物の一人。特別なことと言えばこの世界(スタジオ)を捉えているカメラ……そうね、強いえて言えば「望遠カメラ」を与えられていることと、この物語を書いている人の過去を少しだけ教えてもらっていることくらいだけど。この物語がどんな形で展開されているのかまでは知らないけど、紙面や画面が桐山くんの「カメラ」よ。誰より高性能なカメラだし、台数だって無限。誰よりもたくさんのカメラが、これを読んでいる人の視線がいま桐山くんと私という文字を、言葉を捉えているはずだもの。それに、読み手のカメラによっては私たち、実写にもアニメにもなっているのよ。桐山くんが神木隆之介で私が浜辺美波かもしれないし、アニメなら緒方恵美と林原めぐみの声で喋ってるかもしれないわ」

これが誰かが書いている物語ということであれば、桐山自身の自我もつくられたものであるというのだろうか。ありえない、と思いつつも振り返れば「カメラ」が見えるなんてよく考えなくてもおかしいし、いままで暮らして過ごしてきたことすべてが中途半端にリアルなご都合主義でできあがっているような気がしないでもなかった。ただ、自分がつくりものであるということは、やはり信じられない、というか信じたくなかった。

「青井、モブじゃなかったんだな。ちょっと待ってくれ、この世界を捉えているってことは、何もかも見られていたってことか? 徳島とのデー……トとか、風呂とかトイレとか全部覗かれていたってことか?」
「私も桐山くんもこの物語の中では特別な存在よ。大丈夫。物語として描かれていないところは見えていないから。その必然性もないし。立ち入ることのない部屋の向こうがハリボテでないって桐山くん、証明できる? まぁ、ひとみとのデートの場面は一応描かれていたみたいだけど」
一気に恥ずかしさがこみ上げる。桐山が黙っていると青井はこう続けた。
「桐山くん、あのさ、すべて明かしたうえでひとつ聞きたいんだけど、これからも今までみたいに見つめ続けてもいいかな」
「これが誰かにつくられた自分の物語だとしてさ、徳島と付き合って変に注目されて嫌な視線を浴びて、そのうえで青井からこうしてまだ見つめ続けたいって宣言されているってこと? それが物語の必然なの?」
「そこまでは私はわからない。私だって桐山くんに出会う前の記憶や感情だって与えられたものかもしれないけど、いまのは私がそうしたいから聞いてるだけ」

 

 

――下校時刻。皆口と廣井が並んで帰る――

 

 

桐山聖一は主人公である。
物語は主人公を中心に進んでいく。
物語は主人公の決断によって進んでいく。
桐山は答えた。
「なら、できればそっとしてほしい」

 

 

:||

青山は果ての土地に転校していった。
そんなに遠くに行かなくてもいいのに。
いつだったか、青山は自ら命を絶ったと風の噂できいた。
青井に何があったのかはわからない。手の届かないほど遠くに行ってほしかったわけじゃない。

 僕は結局中学の三年間を無駄にした。徳島もきっとそうだろう。嘲笑が渦巻く閉鎖的な環境で、やさしい人がやさしいまま生きることは難しかった。結局、徳島とその後もう一度付き合うことはなかった。
青井はどうだった? 聞いてみたくとも、もう聞くことは叶わないのだが。

 

僕は知らない天井から始まるアニメを見た日から九千二百八十一日後に「シン・ヱヴァンゲリヲン劇場版:||」を、この物語には登場していない人と観た。

僕のエヴァンゲリオンは終わった。徳島ひとみもきっと終わらせただろう。青井かえでは終わらせることができなかった。新劇場版「序」、「破」、「Q」……すべての冒頭で青山のことを思い出し、僕は泣いた。物事はたくさんのことを置き去りにして勝手にアップデートされて、そして終わっていく。

 

「カメラ」はいつの間にか見えなくなっていた。あのころとは別の、見慣れた天井を見上げる夜。一人にもかかわらず誰かと視線を交わしたような気がした。





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