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監督って暇(笑)、でも逆にそれが功を奏して抜群の調整スキルを身につけた!【#僕のSofmap時代 Vol.16】

今回は22才(1994年)→23才(1995年)の頃のお話。前回はこちら

22才までは、自分の部門の中の自分の業務に全集中タイプの、エースで4番の選手兼監督だったのが、180度変えて「基本業務は全て部下がやる」「自分は監督(マネジメント)オンリー」としたところ、自分の業務に1つ大きな変化がありました。

それは、、、

自分のやることないから、毎日めっちゃ暇!(笑)

管理業務(勤務管理、労務管理、フローチェック(エラーチェック)、品質管理、などなど)はデスクのPCでカチカチ(マウス音)って効率よくやってました。ビジネスソフト(エクセルとファイルメーカー主流、あとイラレ)も大好きだったので、大きなエラーやイレギュラーでも起きない限りは時間がたっぷり余ってしまい、急に空き時間がたくさん出来ちゃいました。

他部署に顔を出して油を売るのが日常になってきた(笑)

やることないなら、やること探そう(見つけよう)ってことで、毎日どこかの部門(他部署)に自由にぷらっと顔を出して、あれやこれやのコミュニケーションをよく取ってました。#だって暇になってすることなかったからw

・新品売場の店長らと下取り販売の課題について
・修理部門(クリニック)と買取技術の連携などについて
・中古売場の店長と不良や査定減額などの課題について
・販売促進課とキャンペーンやPOPデザイン改良などについて
・人事部と面接や教育について
・経理部と宅配買取の迅速な振込処理(システム化)について
・システム管理部と開発&アップデート課題について

それまで「店長」として自部門だけやってたのが、気付けば関連するほとんどの部門と部署間の課題や連携不足、全体最適化の話をするようになってました。関連する他部門の問題や悩みを知ることで、また新たに自部門の数字を伸ばせるかも知れない”新たな伸び代”が見つかったのも大収穫でした。

(※余談ですが、この頃身に付けた「部署間らくらく横断調整潤滑油スキル」は大井の必殺技としてこの後も存分に発揮します。さらに10年後くらいにSofmap年間MVPで表彰されたりもします。「ズバ抜けた調整力」ってなんだ?笑)

桜本課長「なぁ大井ちゃん、予算組める?(作成できる?)」

そんな暇を持てあましてた時に、大井の直属の上司(Yマネージャー/係長クラス)の上司だった桜本さん(当時は中古営業部大阪営業課、だったかな?)から、ふと声をかけられました。

桜本「なぁ大井ちゃん、予算組める?(作成できる?)」
大井「エクセルっすよね?ぜんぜん余裕っすけど?」
桜本「Yマネージャーに予算組め、って言うたらよう組まんって・・・」
大井「代わりにやっときますよ。桜本さんのパソコン借りてイイっすか?」
(┗上司ほど備品パソコンが高スペックで処理速度が速かった為。Macintosh IIciにA4縦型モニターだったかな?)

大井「出来ました。こんな感じでイイっすか?修正も言ってもらえれば」
桜本「もう出来たん?中見とくわ」

で、その後しばらくしたら、Yマネージャーは人事異動になり、大井は桜本さんに呼ばれ、

桜本課長「大井ちゃん、明日からジャーマネ(係長クラス)」

この頃、とんねるずとかテレビ番組で、業界用語(何でも逆さまに言う)が流行っていて、
・銀座 → ザギン
・寿司 → シースー
・お姉さん(お姉ちゃん)→ チャンネー
この流れで、
・マネージャー → ジャーマネ
と呼んでました。(桜本さんとか一部の濃ゆい人だけですが!笑)

ってなわけで、移動買取センターの店長からジャーマネに昇進となりました。

▼中古営業部(のちに、U-COM営業部)
┗大阪営業課 桜本課長
 ┗大井マネージャー(仕入部門担当)←ジャーマネ
 ・買取店舗(店頭買取+移動買取)
 ・法人仕入、アウトレット仕入
 ・中古商品化、買取コールセンター

たしか、こんな感じの役割だったと思います。中古の販売以外の主に仕入れに関わる仕事が担当でした。23才、たしかこのタイミングで初めて桜本さんの直属の部下になったのかな。(入社直後はU店長、自分が店長になってFマネージャー、そしてYマネージャーが上司でした)

はい、今日はここまで。
ハートにスキフォローSNS拡散などしていただくとエネルギーフル充電で次回作の更新がきっと早くなります(たぶん)
よろしくお願いします!

うーーーん、
過去を振り返りつつも、目の前、未来がもっと面白いワクワク人生であるように。
ガンバろうっと。

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