どん底でみつけたもの

最近、自分のこれからについてずっと考えている。新卒なのに。

「新卒のくせに」と言われてしまえば、何も言い返せないほど、甘っちょろい考えを。

このままこの会社にずっといるのは無理だなぁ。
とはいえ何かやりたいことがあるわけでもないし、今もし会社を辞めてもなんのスキルもないから次はない。

そんなことをずっと考えてしまうくらい、私は配属ガチャも勤務地ガチャも敗北している。
一度も出社していないけど、毎日憂鬱だ。


配属が出されてから、私は性格がこれまでと180度変わった。
ほとんど話さない、何もしない、何も手につかない。
とりあえず目の前のやるべきことをこなしている。

音楽が大好きで暇さえあれば音楽をかけ、ギターを少し弾き、どっぷりと浸っていたのに今は全く音楽への欲求がない。

”STAY HOME”を楽しくするためにたくさんのアーティストがたくさんのコンテンツを配信した。とても楽しみで少しずつ見進めていたが、それも全くできなくなった。そのまま配信終了を迎えたものもたくさんある。だが、惜しいとも思わない。

こういう時に大好きなものは心を支えてくれるんじゃないの?

そう思うこともたくさんある。
でも違う。本当に好きなものは本当に苦しいときには助けてくれない。

音楽が聴けなくなったのは今回が初めてじゃない。
私は苦しくなると、心に余裕がなくなると、何も受け付けなくなる。
生きるだけで精いっぱいになる。

今回もそんな中の一つ。だけどあまりに期間が長すぎる。
最近少し余裕ができてきたのか、麻痺してきたのか、音楽を聴いてみようと思うときがある。

自分のその時の気分に合わせて曲かけてみる。
残念ながら何も思わなかった。
「いい曲だなぁ」とも「今はやっぱり無理だ」とも。
ただ「何度も聴いたあの曲」という認識だけして通り過ぎていく。
しかも歌詞と曲がバラバラに聞こえてしまう。

だからまた距離を置いた。

あんまり落ち込んだってなにも始まらない。やってみないとわからない。
そんなのわかっている。けどどうしても乗り越えられないものだってある。

それを乗り越えるまできっと私は音楽に浸れない。

生きがいともいえる音楽を享受できない中、私はあるアーティストのブログを読み漁っている。

日常をつづる文章は深く考えなくても目で追うだけで入ってくるからこういうときに最適だ。

その人は私よりもずっと年上でこれまで壮絶な人生を歩んでいる。多くのひとが経験しないような人生だ。
絶望のどん底も希望の山頂も見たような人だ。そしてそれを隠すことなく音楽で表現する人でもある。

だからその人の紡ぐ言葉はどんなに軽く書いたものでもずっしりと重く感じ、ゆっくりと心にしみこんでくる。

私が思うに、その人は現在、第3の人生を歩んでいる。これまでの夢も希望も絶望も愛もすべてを背負って歩き出したその人生は、幸せに満ち溢れている。

その人のブログには喜怒哀楽が詰まっている。そして日々の何気ない報告に詰め込まれた言葉にものすごいパワーを感じるときがある。

ある日のブログに書かれた言葉に私は救われ、涙を流した。

本当につらい時は音楽なんて聴きたくもない
 だけど前を向こうとした時に
 音楽は身体の中に眠っていた力を呼び起こすと思います

本当につらい経験を何度もして、身体に眠る音楽の力で何度も這い上がってきたからこそ紡ぐことができる言葉。

私はまだ前を向こうとできていない。
前を向きたくても力が足りていない。

いつまでも腐っているわけにもいかない。
現実を受け入れて、やってみるしかない。

わかっていても身体が動かない。
でもこの言葉がすっと入ってきたということは
きっと前を向きたいと思っている私がどこかにいる。

だからもう少しだけ、時間はかかるけど、自分の中に眠る力を信じたい。

音楽がそれを見つけてくれるかもしれないし、見つかったら音楽がそれを肯定してくれるかもしれない。

この自分との闘いの中で自分の大好きなものが受け付けなくなったと思っていたが、違う形で自分を救ってくれていた。
やはり私は音楽が大好きだったのだ。

音楽を心から楽しめる日はまだ遠いかもしれないけど、私には音楽がいつも一緒にある。
大好きなアーティストたちがそっと背中を押してくれたり、支えてくれている。

”さぁダメ元でやってみよう 泣いても笑っても 残された時間は長くはないぜ” (THE YELLOW MONKEY「この恋のかけら」)



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