2018.6.18

わたしたちはやっと三十代を迎え、彼女との付き合いは17年になった。その17年の間に連絡が途絶えることはしょっちゅうあった。


教室で授業を受けてたら、廊下の方からちりんちりん鈴の音が聞こえてきてドアを開けるなり、呆気にとられたみんなを他所に「マジ神に見捨てられた」ってぶー垂れて席に座ったでしょう。いまだにそれが可笑しくて、その先もずーっと覚えている。

生まれたばかりの彼女の息子に、夏休みの補習をサボって会いに行ったことがある。女子高生という肩書きで歩いていて、わたしはお祝いのひとつも思いつかない足りない子だった。ちいちゃくてよく泣いていた息子の産着はお日さまみたいな良い匂いがしていた。


彼女の両親はいわゆる毒親で、それはもう色々あった。だからわたしの両親をいつも彼女は、良いなぁって、言っていた。それでもどこかわたしたちはよく似ていて、なんだかシスターみたいだねって笑い合った。


結婚したあと彼女が東京へ行って、息子と2人になって帰ってきたあとはわたしたち3人で遊ぶようになって。

わたし自身が抱えていたものが爆発してしまって病んだ時も、ずっと人と会えない間も、元気?とかそんな風に繋がっていて、でももしかしたら、彼女の持っている不安定な部分を、アンダーグラウンドな世界に引き摺り込んだのはわたしなのかもしれない。わたしも彼女も死にたいって思考がクセになっていて、でもさ一度も死んだことがないのに、どうして楽になれるって思うんだろうねって笑ったこともあった。



十年経って、子を持って母となり、結局わたしも似たように離婚して岐路に立たされたころ、彼女はいまだあの場所にいた。それでも抗うように必死で、彼女は高校も目前の息子を連れて2人で逃げた。いわゆる毒親の両親を捨て、壊れてしまった姉や弟を捨て、必死で。その緊急連絡先としてわたしの名前を書いた。


会えないままお互い生活を続けるなか、どうせわたしたちシングルマザーだから子どもたちが巣立ったら一緒に暮らそうよって話をしていて、寂しがりでどうしようもないけど、今はひたすら頑張って、ババアになったらそんなんから解放されて毎日お茶しよ、とかなんとか。


5月の終わりに体調良くないって言っていて、気分の振り幅が大きすぎて疲れるって、今はそういう時なんだ、って。息子の修学旅行があるからお金がかかるし、進路とかまだ決まってないんだって話をしていた。



緊急連絡先のわたしに、緊急の連絡がきたのは七月の半ば。


予想だにしていなかった。半年連絡を取り合わないなんてのはザラで、浮き沈みも慣れっこで、でもまたいつもみたいに元気?で繋がる。



亡くなった。他人から聞かされた言葉であんなにも頭が真っ白になったのははじめてだった。


動揺して彼女に何度も電話をかけた。だって彼女と繋がっているのは唯一彼女の携帯だけだったんだ。何度もかけた。でもダメだった。

なにが起こっているのかわからない。息子と連絡さえとれない。古い友人に手当たり次第連絡をとって、彼女が捨てた家族にようやく繋がることができた。弟から聞いた話だと、亡くなってからすでに一カ月が経っていて、通夜も葬儀も納骨も、なにもかも終わっていたんだ。あっという間に。一カ月。なんにも知らないで過ごしてた。


死因はオーバードーズ。直前に息子と喧嘩をして、動揺して飲んでしまったらしい。死にたいけど、死ぬつもりはなかったはずだ。ただ行き場のない衝動みたいなものを鎮めたかっただけなのだと思う。彼女より、息子のことを思った。父はいない。母も失った、子どものことを考えた。


彼女が嫌っていた宗教のもとで、彼女の遺骨は眠りについて、彼女の嫌っていた家族のもとで、世界で一番大切だと言っていた息子は暮らす。


いまどこにいる。なにを考えている。どう思っている。死んだらどうなった。あんなにも人間の生き死にを話した人はいなかった。シスターと呼んだでしょう。でもなにもできない。本当の最期ですら知らなかったんだ。もう会うことができない。話をすることもできないんだ。


彼女の息子はどうなっただろう。蓋をするように息をとめてみる。考えないようにして、実感がないまま三年が経とうとしている。


全部置いて、彼女は逝ってしまったんだ。


死後の世界とか、よくわからない。信じている神様もいないので、輪廻転生とかもよく知らない。




最近夜は蛙が鳴きはじめて、なつかしい匂いがする。視力がわるいので星はあんまり見えないけど、たぶんあの頃のまんまでしょう。学校とは反対方向の列車にのって、明け方まで遊んだ日々を思い出す。どうしているだろうか。もう会えないとわかってからも、話したいことは山ほど募る。いまは全部蓋をして、ただ安らかに。と願う。ただ安らかに。また会えたらその時は。




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