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好きな映画をもっと好きになるための映画レビュー No.4『時をかける少女』〜かける×かける〜

 時は誰も待ってはくれない。だから取っておいたプリンを妹に取られたり、抜き打ちテストで悪い点を取ったり、調理実習で火事を起こしたり、自転車のブレーキが壊れて電車に轢かれたりしても、時間を戻すことはできないのだ。この映画はそんな時間の流れに対して「かける」少女の話だ。

 ひょんな事から真琴が手に入れた能力はタイムーリープ、すなわち時間遡行だ。真琴はタイムリープによって何度も何度もささやかな幸せを繰り返し、安心で安全な日々を享受する。やりたくないことはやらなくてもよいし、嫌なことはなかったことにできるし、心を締め付けるような決断はずっと延期することができる。それは誰もが夢見た終わらない夏休みのようなものだ。

 だがタイムリープの先人である魔女は真琴に対して優しく呪文を投げかける。

「真琴が良い目を見ている分、悪い目を見ている人がいるんじゃないの?」

 何かをするという事は、代わりに何かをしないという事だ。これは自分の幸運の代わりに誰かが不幸になるという運命論ではなく、単なる可能性の話だ。一つの可能性を選ぶ時、そこには必ず選ばれなかった可能性が生じるという事だ。
 
 時は誰も待ってくれない。だから人は常に過去の決断を後悔し、未来の不確かさに怯える。一見するとタイムリープはそんな時間の流れを自由に行き来し、不確かさを無くす行為だといえる。だが、自分の視野の外で起こっている事はどうだろうか。どんな些細な行為からも異なる可能性は広がっていき、自分の目に見えない出来事の原因となるのである。

 時間の可能性という真実と共に、能力も千昭も失ってしまった真琴を待ち受けているのは、不確かで残酷な未来だけなのだろうか。

 自分の行いを後悔し、落胆する真琴に魔女は再び呪文をかける。

「待ち合わせに遅れてきた人がいたら、走って迎えに行くのがあなたでしょ?」

 時は誰も待ってくれない。だから迎えに行かなくてはならない。どんなに不確かな未来に対しても、自分の行為を「賭け」なくてはならないのだ。全速力で「駆け」れば、転ぶことも多いかもしれない。だが、それは自分で選んだ目的を信じて向かっているということなのだ。過去の決断に責任を持ち、自分で未来を選ぶことが、本当の意味で時を「かける」ということなのだ。

 夏休みが終われば、ナイターや花火大会に行ったり、浴衣姿は見せれないかもしれない。だが「前見て走れ」と功介の声が聞こえるではないか。晴れた空、広がる雲、時をかける少女と未来はその先にある。

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