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好きな映画をもっと好きになるための映画レビュー No.2『ビッグ・フィッシュ』~大魚の行方~

「fish story」という言葉は釣り師が自分の手柄を大きくみせることから「ホラ話」という意味になった。日本でも「逃がした魚は大きい」というように、魚は実際よりも大きく表現されることが多いようだ。この映画はそんな嘘のように大きな魚の話だ。

 まず初めに、この物語が二重の構造をしていることを踏まえておこう。これはホラ話そのものではなく、ホラ話をする父と、その父とうまく付き合うことができない息子の物語なのだ。もしここでホラ話が二重構造を抜きに表現されていれば、私たちはどこかで興ざめしてしまうだろう。例えば私たちが物語を楽しむとき、少なくともその最中は、物語の中に入り込み、登場人物と共に時間を共有する。どんな作品でも「これはフィクションです」という表記が最後にくるように、物語は物語が終わるまでは、自らがホラ話だと表明してはならないのだ。だから私たちは突拍子のないホラ話を、それを聞くという息子やその婚約者の時間を借りることで、安心して見守ることができるのだ。

 ともあれ純粋なファンタジーとしても心躍らされる場面も多く、好きなシーンを挙げると枚挙に暇がないが、あの画面いっぱいに広がったスイレンだけは触れておかねばならないだろう。黄色の花々の真ん中で、屈託のない笑顔のユアン・マクレガーに求愛されれば、誰もが「はい」と言わざるを得ない。私たちはただ相槌をうちながら、幸せなホラ話に浸るのだ。

 だが私たちが最も嘘のような幸せを感じるのは、父のホラ話ではなく、息子がホラ話を受継ぐ、あの瞬間である。彼が物語への信仰を取り戻した時、父の残した「ホラ話」という大きな魚は、どこまでも遠くへ泳いでゆけるのだろう。

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