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酒にまつわるちょっとした話のタネ

 「酒は憂いを掃う玉箒」。酒は嫌なことを払ってくれる箒のようなものという、飲酒賛美のことわざだ。酒をたしなむ御仁には心強い言葉である。忘年会、新年会と続くこの時期、「玉箒」の稼働率はあがる。

 「ためし酒」という落語がある。ある大店に酒豪の奉公人がいた。その男が五升の酒を飲めるかどうか、旦那衆が賭けをすることになった。男にその話をすると、考えてくると言って外へ出る。
 しばらくして戻った男は五升飲んでしまう。旦那衆が、さっき外へ出たときに何かしてきたのかと訊くと、「いままで五升を量って飲んだことがねえから、試しに五升飲んできた」

 下戸の話もある。酒屋の前を通るだけで気持ちが悪くなるという大の下戸が江戸にいた。その下戸が、上方(関西)からすごい下戸が引っ越してきたと聞き、その下戸を訪ねた。江戸の下戸が、「わしは樽柿(空いた酒樽に渋柿を詰めて渋を抜いたもの)を食っただけで泥酔します。自分は覚えていないのですが、醒めてから聞いた話では素っ裸になったそうです。そのくらいひどい下戸なのです」
 江戸の下戸の話を聞いていた上方の下戸の顔は、聞いているうちから酔ったように真っ赤になり、体はふらふらと揺れていた。(参考/「江戸風流『酔っぱらい』ばなし」(講談社文庫)堀和久・著)

 上戸や下戸の語源は、大宝年間に施行された国制、大宝律令に由来する。人民は大戸・上戸・中戸・下戸に分けられ、成人男性が六、七人いる家を上戸、三人以下の家を下戸と称していた。
 当時は家族の人数がほとんどそのまま労働力となっていたため、人数が多ければ豊か、少なければ貧しかった。貧しければ酒も飲めない。
 これが転じて、酒が飲めない人のことを下戸と呼ぶようになった。もちろん、これは語源の話であり、現代社会に当てはまらないことは言うまでもない。

 いったい誰が、いつどういう経緯でアルコール飲料なるものを作り出したのか。そういう疑問を抱いている人は少なくないようだが、現代の賢人たちの英知をもってしても、いまだ解明できないらしい。
 酒の起源説のひとつに、朽ち木の洞や石のくぼみなどに落ちた木の実が自然醗酵し、それをたまたま口にした人が発見したというものがある。もちろんこれは想像であり、信憑性は低い。
 縄文時代の遺跡から、酒造りに用いたと思われる土器や、果実酒の原料となるニワトコ、山ブドウの種子などが出土しているという。このことから、縄文時代には酒が作られていたとされる。
 その縄文時代には、雑穀の醗酵酒も飲まれていたようだ。しかし、雑穀は自然醗酵しないから、麹のなかったこの時代には、人間が口にふくんで噛み、唾液中の酵素で醗酵させていたと考えられているのだそうだ。

 酔いの程度を表す言葉の頂点は「泥酔」のようだ。正体を失うほどに酔うことをいう。中国から入ってきた言葉で、唐の時代の詩に出てくる「酔如泥」が語源。「すい、でいのごとし」で、「泥」とは、南海の水中にすむという、骨のないぐにゃぐにゃした虫。水がないと、酔って泥のようになってしまうという。
 水がないだけで酔えるなら安あがりでいいし、酔い醒ましの水はさぞやうまかろうと思うが、それはさておき、へべれけになったようすが「泥」のようであることに由来するというわけである。

 酒の肴にはタンパク質が多く含まれているもの、たとえば魚や肉、卵、枝豆や豆腐などの大豆製品を摂るといいそうだ。タンパク質は、アルコールを分解する酵素の働きを活発にするほか、肝臓の働きも助けるとされている。
 じょうずに飲んで、「泥」のようにならぬよう、注意したいものである。

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