蚊さん、絶滅してくれません蚊
この暑さはなんなんだよ、と言いたくなるほど暑い日が続いているが、それでも私は夏が好きだ。圧倒的な生命力を感じるからだ。
しかし、生命力を感じているのは私だけではない。お世辞にもかわいらしいなどとは言えない、あの憎たらしい蚊も夏が大好きだ。
日本にはだいたい100種類ほどの蚊がいて、そのうち20種類程度が人間の血を吸う。よく知られているのはアカイエカやヒトスジシマカだ。
そいつらが、「夏は生命力に満ちていていいなあ」などと言いながら、本格的にわが世の春を謳歌しはじめている。
夜型のアカイエカは人が寝ようとするころ、あの、プーンという独特な羽音を立てながら夜な夜な忍び寄ってくる。
一方、夜が苦手なヒトスジシマカは朝から夕方までが就業時間帯だ。うまいぐあいにシフトが組まれていて、まるで棲み分けしているように思える。
蚊がターゲットを探すときには、二酸化炭素、汗、体臭などに狙いをつける。だから、体臭が強い人が汗をかきながらビールを飲んでいるなどという場合は、蚊に〝おいでおいで〟をしているようなものとなる。
以前、O型の血液型の人は刺されやすいと聞いたことがある。どこのどなたかわからないが、2004年にヒトスジシマカで行なった実験では、O型の人がA型の人より2倍も多く刺されたという。
2019年には新たな発見があった。蚊は人間の皮膚から分泌される揮発性物質(VOC)に引き寄せられるそうだが、この物質が、O型の人は他の型の人に比べて多く分泌していることがわかったという。
ただし、蚊を引き寄せるには他の要素も関係しているから、単純にO型が刺されやすいと言いきるのは考えものらしい。
蚊に限らず、生き物の血を吸えない環境下の吸血昆虫は花の蜜や草の汁、樹液などを栄養源としている。
蚊は、生き物がそばにいようがいまいが、ふだんは血を吸わない。血を吸うのは交尾を終えたメスだけだ。つまり、乙女の柔肌を刺すのも、年季の入った老人の肌を刺すのも、すべて〝妊娠中〟のメスということになる。
交尾を終えたメスだけが血を吸うというのは、産卵までの間は特に栄養が必要ということにほかならない。自然の摂理はほんとによくできている。
ところで、一度に吸える血の量は、蚊自身の体重の約2倍にもなる。食いだめならぬ吸いだめだ。いや、飲みだめというべきか。それができるからこそだろうが、エサにありつけなくても一週間程度は生きることができ、条件がよければ一か月も生きているというから恐ろしい。
私が蚊に対して抱いている最大の疑問は、どう考えても〝か細い〟と思える口吻が、なぜ人や動物の皮膚を突き刺すことができるのかということだ。蜂の針ほどのじょうぶさならわかるが、蚊の口吻などは虫眼鏡でも見なければ見えないほど小さく細い。
逆にいうと、蚊から見たら人間の皮膚はかなり分厚いはずだ。それなのに苦もなく(かどうかわからないが)刺して血を吸う。
それを調べたら意外なことが判明した。私は、蚊の口吻は注射針のようなものだと思っていたのだが、もっと複雑で緻密な構造をしているのだ。
口吻は上唇、下唇、下顎の三つからなる細長い管が合わさった構造で、先端には針が付いている。その針は人間の髪の毛よりも細く、鋭いうえにギザギザのノコギリ状になっている。
しかも、蚊は意外に力が強く、そのノコギリを毎秒30回という早さで動かすことができる。それによって人間の皮膚や筋肉を貫通できるという。
私の疑問は解消したが、代わりに驚きとおぞましさが残った。
ところで、私は蚊に刺されたときにはそのまま「蚊に刺された」と表現するが、関東では「蚊に食われた」とも言うなあ、と思っていたら、「刺された」が主流でほぼ全国的に使われていて、この「食われた」も東日本や北日本ではけっこう使われていることがわかった。
あとは少数派だが、西日本の「噛まれた」や、近畿地方の「かじられた」もある。近畿地方では「食われた」も「かじられた」と同じくらい使われているようだ。
よく考えてみると(よく考えなくても)、「食われた」「噛まれた」「かじられた」は、歯がなければできない行為だ。蚊に歯がないことは誰でも知っているだろうから、それらはやはり不自然な表現だと思う。
蚊は血を吸うのだから「吸われた」ではどうか。「あ、蚊に吸われちゃった」とか「いやん、吸われたわ」なんていう感じだが、これはどの地域でも使っていないようだ。「かじられた」よりはいいと思うが。
変わったところでは「蚊にさわがれた」などというのもあるが、これもまた個性的で独特な表現だ。
そうしてみると、やはり「刺された」が適切に思える。
蚊は池や水たまりなどに卵を生みつけ、それが孵化してボウフラと呼ばれる幼虫となる。そしてさらに、水中に居座り続けてサナギになる。私は、ボウフラは知っていたがサナギは知らなかった。
サナギはその後水中から出て羽化し、成虫となる。
捨てられた空き缶などには雨水が溜まったりするから、そういうところにも産卵する。人目につかない場所なら絶好の場所になる。
流れのない池などにも産卵するが、金魚や鯉などの魚類を飼っていれば、ボウフラなどは食われてしまうから増殖防止になる。公園や空き地などにできやすい水たまりなども産卵にとっては好都合だ。
ヒトスジシマカはかなりタフで、たとえば秋に卵を生みつけた水たまりの水がなくなってしまっても、春になってまた水がたまると息を吹き返し、孵化してボウフラになるそうだ。
私は、繁殖力の旺盛さは種(しゅ)が生き抜くための最大の能力であり、武器であると思っている。このあたりの詳細は拙作「ハエさん、絶滅お願いしますよ」で述べたが、蚊でもシミュレーションしてみよう。
とりあえず平均的なパターンで設定する。交尾から4日後に200個の卵を生み、翌日に孵化。そして、孵化から10日くらいで成虫になる(オス100匹、メス100匹)と仮定する。
なお、このサイクルは蚊の生育環境や種類によってかなり異なるため、調べた資料によってもばらつきがあった。私がこの設定で示しているのはごく大雑把な数値だ。
さて、ここに初代の蚊太郎と蚊代子の夫婦がいる。蚊代子が今朝7月9日に200個の卵(半分の100個はメスと仮定)を生んだとする。その卵は13日に孵化し、10日後の23日には適齢期の成虫となる。
この段階では100匹のオスと100匹のメスの合計200匹(プラス蚊太郎と蚊代子)となる。
モテモテの100匹の娘たち(つまり2世代目)は、当日か翌日、つまり、23日か24日には良縁に恵まれ、4日後にそれぞれが200個の卵(半分の100個はメスと仮定)を生む。
この段階で、蚊太郎と蚊代子の2匹、息子100匹と娘100匹、孫20,000匹(オスとメス各10,000匹)となる。
蚊太郎と蚊代子の夫婦、その子供たちの産卵は1回で終わらず、3回から4回繰り返される。たぶん近親相姦とか乱交とか、そういうことになるのだろうと思うが、訊いてみるわけにもいかないので真相は不明だ。
次は、10,000匹の孫娘たち(3世代目)がそれぞれ100匹のオスと100匹のメスのひ孫を生む。これが繰り返されていく。蚊の寿命が15日から30日と、比較的短いのがせめてもの救いだが、鼠算ならぬ蚊算を考えるだけで恐ろしい。算数や数学が苦手な私など、もう計算したくない(計算違いをしているかもしれないが、判明したら教えてください。すぐ直します)。
ああ、夏は好きだけど蚊は嫌いだ。蚊さん、絶滅してくれません蚊。