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不倫の境界線

 浮世には、存在や定義が曖昧な物事がたくさんある。たとえば「やさしい人」とはどんな人か。「新発売」の表現の期間や期限に決まりはあるか。まじめと不まじめはどこが分かれ目か。私がいまだに到達できない「チョイ悪おやじ」のチョイ悪とはどの程度の悪なのか。

 「不倫」も曖昧だ。どこまでがどうなれば不倫が成立するのだろう。それも気になるが、同じような「浮気」という言葉も気になる。
 不倫と浮気は似て非なるものだ。まずはこれをはっきりさせたい。どんなふうに〝非なる〟のか、律義な私は一応辞書で調べてみた。しかし、曖昧に入り組んでいてすっきりとしない。
 川が海とまじわる汽水域のように、真水でもないし海水でもないという感じだ。「海水がまじった真水」や、「真水がまじった海水」というふうに。

 それでも少々異なるところがある。浮気は、文字どおり〝気持ちが浮ついた〟という意味合いが強く、不倫のほうは〝色恋沙汰の雰囲気〟が濃い。
 わかりやすいようにたとえ話をしてみよう。いつもパナチョニックの家電を愛用していたフリ子さんが、はじめてトーチバの冷蔵庫を買ったとする。

「あたし、今回は浮気してトーチバに乗りかえたわ」
「あたし、今回は不倫してトーチバに乗りかえたわ」

 これでおわかりだろう。こういう場合に不倫という表現をつかうのは不自然だ。三省堂国語辞典には「人の道に外れること」「自分の結婚相手以外の人と関係を持つこと」とある(どんな関係なのかまでは出ていない)。

 さて、いったいどういう関係、どういう状態を不倫というのだろうか。これも正解がないテーマのひとつだ。茶飲み話にちょうどいい程度の話のタネだから、どこかで誰かが論じたこともあるだろう。
 人それぞれ捉えかたが違うだろうけど、いくつか〝境界線〟の候補をあげてみた。

1、頻繁に相手のことを思う。
 主婦のフリ子さんは、テニス愛好会で仲よくなった、妻帯者の伊呂彦さんのことが忘れられなくなり、暇さえあれば伊呂彦さんとのロマンスなどを思い描くようになった。
 だいぶ深入りしたシーンなども妄想するが、いっさい口外しないで自分で思っているだけ。

2、私的な連絡をやりとりする。
 「ラケットを買いたいんだけど、伊呂彦さんにアドバイスしてほしいの」などと、何か理由づけしてはメールやラインをする。ただし、自分が好意を抱いていることはいっさい言わない。

3、二人で遭うことを伝えてみる。
 「いつも親切に教えていただいているので、軽いお食事でも」などと行動に移す(この場合、伊呂彦さんがOKするかしないかは考えず、意思を伝えるということのみ)。

4、ガストで食事をする。(1)
 伊呂彦さんが承諾して二人で食事をする。話題はテニスのことや世間話だけで、家庭のことなどはいっさい話さない。

5、ガストで食事をする。(2)
 伊呂彦さんが承諾して二人で食事をする。食事のほか、ワインなどもオーダーする。話題は伊呂彦さんの人生観や結婚の経緯などのほか、あたしのことどう思いますか、などと訊いたりする。しかし、手をにぎるなどということもない。

6、恒常的に逢瀬を重ねる。
 お茶や食事だけでなく、日帰りドライブや映画などにも出かける。しかし、キスはおろか、やはり手をにぎることさえない。

 だいたいこのあたりまでが境界線の曖昧なところではないか(もちろん、これらの中間の状況というのもある)。
 ここにあげたどの段階であろうと、伊呂彦さんがフリ子さんの思いを察し、受け入れて相思相愛状態になれば確実に〝不倫の成立〟ではなかろうか。つまり、気持ちが通じ合った段階で。
 あるいは、「いや、それだけじゃ不十分で、やっぱりキスくらいまで進まないと〝完全〟じゃないでしょう」などという意見があるかもしれない。

 最後に冗談で締めましょう。次のような場合はどうだろうか。
7、ホテルへ入る。そして、シャワーを浴びた後、テレビを観る。その後は何もせず、そのまま帰る(ま、あり得ないだろうけど)。

 浮世の仕組みも人間関係も、なかなか奥が深い。




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