〈最終回〉終わり良ければまあまあ良し
〔解説〕
本辞典も、4月末日の「〔番外編〕これまでの感謝とこれからのこと」の予告通り、これが最後となります。
今回はいつもとスタイルを変え、挨拶を兼ねてエッセイふうに綴ります。
まずはさっさと本題の解説を済ませてしまいましょう。元の「終わり良ければすべて良し」は、「物事は最後が肝心で、途中がどんなに良くても締めくくりがだめならすべてだめ。結末が良ければすべて良しと言える」という意味です。
しかし、実際には「最後さえ良ければ途中はどうでもいいなどということはなく、すべて良しなどとは言えないこともある」というパロディです。
〔さらに解説〕
さて、5月と6月の2か月間で31本のおふざけことわざをつくりましたが、このシリーズのスタートに際し、私は自分に条件を付けていました。
一つは、なるべく多くの人が知っていることわざに限定することです。知られていないものをおもしろおかしく紹介するという手もありますが、それではワンクッション多くなってしまい、スムーズさに欠けてしまいます。
この条件は結果的に自分の首を絞めることになりました。ネタ探しでのエネルギー消費です。よく知られていることわざであっても、パロディーの材料にするには困難だったり不向きだったりするものもあるからです。
それに加え、古典落語なども同様なのですが、ことわざには差別語がけっこうつかわれています。古典落語やことわざは差別語の〝宝庫〟なのです。当然、そういったものは避けることになりますから、これでさらにネタの範囲が狭まりました。
もう一つの条件は、下ネタ寄りのものに挑んでみるということでした。その理由は、いかに紳士淑女とはいえ、下半身に関することは、陰に陽に、人生のどこかで寄り添う(一人の例外もなく、とまでは言いませんが)事柄であり、また、独特の魅力を持っているからでもあります。
それを皮肉と諷刺で味付けし、笑いに取り込んでみたかったのです。私の能力ではハードルが高いと自覚していましたが、逆に、自分のカラーでやってみればいいのではないかとの思いもありました。
主な〝実験材料〟は「恩を肌で返す」「据え膳食わぬは女の恥」「痴情の空論」です。これらには〝カラダで返す〟や〝やりまくる〟ほか、けっこう下半身のほうを向いた表現を多用しました(ほかの記事でも少しずつやっています)。
ただし、直接の行為の表現や体の部位を示す単語は避け、現実の世界よりかなりマイルドにしています。
そういう配慮をしているつもりなので、公開にはなんの問題もないと思っていましたが、やはり若干の懸念はありました。下ネタに嫌悪感を抱く人は必ず存在するからです。
結果としては、ビューやスキの状況から見る限りでは、わずかに敬遠された感もあったかな、という程度であり、ほぼ影響はなかったというふうに受け止めています。
いつもスキを押してくれるのに、この記事には押してもらえなかったという女性もいました(推測ですが)し、逆に、下ネタをおもしろかったと評価してくださる女性もおられました(これはありがたい)。
ただ、「ほんとは押したくないけど、ま、つきあいで押しとくか」というような人がいた可能性は十分考えられますが。
ちなみに、「恩を肌で返す」はビューが424でスキが86という打率の高さでした。女性にはひじ鉄(古い)を喰らうだろうと覚悟していた「据え膳食わぬは女の恥」は555に対して83、「痴情の空論」は785に対して95で、心配をよそに高打率でした(6月30日未明時点)。
本日の記事を除く30本全体を通しての感想は、〝ことわざのパロディー〟自体も〝下ネタ寄りの試み〟も、予想以上に受け容れてもらえた、というところです。正直ホッとしています。
読んでくださった皆さん、コメントをくださった皆さんに、心の底から感謝とお礼を申しあげる次第です。
本辞典はこれにて閉じますが、終わりに際しては本日のパロディー「終わり良ければまあまあ良し」ではなく、元の「終わり良ければすべて良し」になったと思っています。
拙い記事におつきあいくださった方々に、改めてお礼申しあげます。ありがとうございました。
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