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「缶詰と缶切り」と「音楽と楽器」

 鶏が先か卵が先かという話とは異なり、答えはすでに出ていると思うけど、私にとっては問題というテーマがある。
 缶詰と缶切りはどのように誕生したかということと、音楽と楽器はどのように進歩したのかということだ。

 あえて言うまでもないが、缶詰は、あの金属の缶の中に食材を入れ、真空状態にして金属のふたをしたやつだ。そして缶切りは、そのふたを開けるための専用の道具である。
 真空にするという発想も技術もたいしたものだが、ネジ式ではない金属のふたを〝切る〟という発想にも感心する。

 考案する順序としては、まずふたを考えるはずだ。道理から言っても先に缶切りを考えるということはあり得ないだろう。それとも、〝どんなふたにするか〟と〝どんな開けかたにするか〟を、頭の中で行ったり来たりしながら同時進行していたのだろうか。


 もうひとつはクラシック音楽について。膨大な数のクラシック音楽と、それを奏でるための楽器との関係だ。
 私は作曲もできないし楽器もあまり使えない。だからこそよけいに疑問が膨らむのだと思うが、オーケストラの様子を目にするたびに、あの複雑きわまりない楽器に驚いたり感心したりしている。
 ピアノなどはその代表格だと思うが、金管楽器の構造の複雑さや精密さには驚かされるばかりだし、楽器のどれひとつをとっても、創造力や技術力の高さは仰天ものだ。

 そして私は悩むのだ。金管楽器、木管楽器、弦楽器、打楽器。それらがすべて存在していたから楽曲が誕生したのか。つまり、作曲家たちが曲を作り出すことができたのか。
 それとも、先に曲ができ、楽器が追いかけるように誕生していったのか。前述のように、楽器がすべて先に存在していたなどとは考えにくい。
 あるいは、缶詰めと缶切りのように(まだ推測ではあるが)同時進行し、少しずつ複雑化するなど進化していったのか。


 ところで、この2件についてはネットでも紙の書物でも調べていない。缶詰のメーカーや楽器のメーカーに尋ねれば簡単に判明するかもしれないが、あえてやっていない。
 暑い日が続いているのに、こんなことを考えていてはよけいに暑くなりそうだ。ああ、暑いあつい。

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