予期せぬ本帰国

こんにちは。
やっとnoteが書ける環境になったので、事の成り行きを整理します。

およそ一ヶ月前…、

1月25日

春節に1週間の旅行のつもりで日本に来たのですが、その間に新型コロナの影響で広州の学校が休校となり、帰りの便をキャンセルしてしばらく様子をみようということになりました。

1月29日

一時帰国前から見学をすることになっていた学校から、本日付の文科省の通達で『中国から来た子供は帰国後2週間の自宅待機を経ないと学校に来ることはできない』旨の説明をされ、見学を断念。

2月4日

このまま広州の学校が再開されない可能性もあったので、学習の機会を確保するために日本の学校に編入学(自治体によって体験入学・二重学籍・転入学など、制度が異なります)希望とし、教育委員会学事課に問い合わせをした。

この時点では、中国の学校を退学して転入学という手続きをしないと通学できない(制度上、体験入学が無い)という説明をされ、まだ広州に戻るつもりだったので、日本での通学を諦めざるを得ない状況だった。

最悪、春休みまで休校になることを考えて、着の身着のままで学校にも通えず義実家にいなければならない場合は、思い切って2〜3週間、以前お世話になったフィリピンの語学学校に行こうかと検討した。

現時点では17日再開の予定であるが、休校が延長されるようだったら日本の学校に通うということを、予定通り春節の終わりに単身帰った夫と意見を合わせる。

2月5日

同様に一時帰国している家庭から、学校でうけいれてもらい、通えることになったという情報をいただき、再度教育委員会学事課と相談。二重学籍という特例で、年度末までは広州の学校に在籍しながら、日本の学校で学習できることを確認した。

しかし、この時は17日から元の学校に戻れるなら、無理を言って日本の学校に3日程度通わせることもないかと諦めた。

2月6日

突如、本帰国が決まったことを夫から知らされる。新型コロナの影響ではなく、5年の任期満了とのこと。3月で本帰国なら、2月の一時帰国が許可されないのが通例だったため、まったく予期していなかった。

この時点で、子供は広州に帰さず二重学籍で日本の学校に通わせ、年度末まで元の学校に在籍ということで、本帰国とすることを決めた。

こんな形で駐在生活が終わるとは…。

2月7日

学校の担当者と話をして、受け入れOKとの回答をいただく。ただし、制服が出来上がってから通学可能とのこと。転入に必要な書類などに関しては、広州の学校から教育委員会へと直接連絡してもらうことになった。

2月8日

2週間の自宅待機が終わるので、制服の採寸・注文をした。約1週間かかると言われる。本帰国後は持ち家に帰る計画だったが、急な帰国となったため賃貸を探すことになった。

何もかもが未定で、着の身着のままの難民状態なことにストレスを感じてきた。

2月10日からの週

日本の状況が日毎に悪くなっている。中国帰りだからといって、差別されるようなことはないが、広州でもマスクしないと外出できないとか、バス・地下鉄の間引き運転とか、住人以外マンションに出入りできなくなるなど、相当な努力をしているという情報が、日本にはなかなか実感として伝わっていないことがもどかしい。

(※2月29日の首相会見を観ながら書いています。今の日本の状況は、一ヶ月前の広州と似ています。どうか諸外国の対応から日本も学んでほしいと思います。)

転入にむけて、学校長との親子面談をする。不要不急の外出を避ける生活が続く。

英検一次試験に合格した子供は、日本で二次試験を受けられるように英検協会の配慮があった。

本帰国するとは言え、住民票を入れてしまうと教育の義務が生じて、中国の学校を転出しなければならなくなるので、3学期が終わるまでは住民票を入れることができない。

不動産屋さんを訪ねて、海外からの転入について情報を集める。学区内の物件をピンポイントで探す。

会社方針で、妻子は広州に戻さず日本にいることが決まり、子供だけでなく私も一度も広州に戻れないまま本帰国となってしまう。

日本に来てからすぐに受けた健康診断の結果が届き、総合D判定でショックを受ける。

2月17日からの週

いよいよ子供達の学校が始まる。私学の3学期末での編入学募集状況が東京都のサイトで発表されたのでチェックする。塾の情報を集める。

生活リズムが変わったことにストレスを感じるが、『いいなぁ、新しい生活のスタートだね。』という友だちの言葉で、やっと前向きな気持ちになれた。

週末に英検の二次試験、英語塾の説明会、塾のパンフレットをもらい春期講習の検討と、本格的に日本で暮らすための準備を始める。

単身赴任の夫に引越しの全てを任せることになる。

2月24日からの週

まだ広州のマンションには住民登録している人しか入れないため、引越し業者の見積もりも、肝心の船便を出すことも、このままでは無理という状況。家財道具が何もないまま新生活を始めなければならない。

船便も出せたとしても、5月〜6月に届くかどうか…。

日本でクラスター感染が始まり、市中に蔓延していると予想される。外出を控える生活で、義母と過ごしていて、軽度認知障害があることに気がつく。

日本も首相が各自治体に3月2日から休校を要請した。中国の対応を経験している身としては、英断だと思う。

まとめ

以上が我が家の経緯です。

今や、中国での感染拡大は収まりつつあり、反対に日本人が広州に戻ると、14日間のマンションでの自主隔離をしなければなりません。

夫が日本に帰国した際は、羽田から会社の用意した隔離施設に直行することになっています。

来週からは、また子供たちと自宅待機が始まりますが、新居へ引越して生活リズムの確立を目標に日本に馴染んでいきたいと思います。

中国は色々とネット規制があるので、サポートは帰国後に次のステップに進むときに活かそうと思っています。今は広州の色々な城(問屋)を攻めてます(w)