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「青春18×2-君へと続く道-」レビュー(その2)~「Love Letter」と「余命10年」~

〔※ネタバレがありますので、映画をご覧になってない方は読まないでください。〕

■「Love Letter」オマージュ

物語の中で、ジミーがアミを映画に誘い一緒に見に行くシーンがあるのだが、そこで見た映画が岩井俊二監督の「Love Letter」という設定になっている。
この映画は、台湾でもヒットしてよく知られている映画らしい。
自分はこの「Love Letter」という映画を見たことがなかったが、どうもこの映画のオマージュが「青春18×2」にちりばめられているらしいということが映画を見終わってから分かったので、配信レンタルで見てみた。
 
有名な映画なので中美穂主演でヒットしたということは知っていたのだが、実際見てみると、個別のシーンだけでなく、物語の構成までオマージュされており、藤井道人版の「Love Letter」を作ろうとしたのではないかという感想も、そうかもしれないと思わせるほどのオマージュぶりだ。
 
○主人公が雪上に寝転ぶ
○山に向かって「元気ですか」と叫ぶ
といった「Love Letter」の代表的なシーンだけにとどまらない。
○主人公が亡くなった恋人の部屋に入る。
 (部屋が生きていた当時のままで残されている設定も同じだが、部屋の雰囲気そのものがかなり似ている)
 
物語の構成がロードムービーであり、主人公が過去を遡るというところまで同じ。
○「Love Letter」では、神戸に住んでいる主人公が、恋人の故郷である小樽(北海道)と恋人が亡くなった八ヶ岳山麓(長野)に行っている。
○「青春18×2」では、主人公が八ヶ岳のある長野県を経由して初恋の人の故郷である只見(福島・日本有数の豪雪地域)へ旅する。
 
神戸と言えば、主人公のジミーがアルバイトしていてアミと出会うカラオケ店の名前が「神戸」だった。
映画を見たときは、カラオケ店の日本人オーナーが関西弁でしゃべっていたのでオーナーの出身地が神戸という設定なのかなと思っていた程度だったのだが、「Love Letter」を見たあとだと、なるほどこれもオマージュかという指摘はおそらく当たっていると思う。
 
最後の一番重要なシーンもオマージュされていた。
○「Love Letter」では、主人公(女)の亡くなった恋人(男)と同姓同名の中学時代の同級生(女)が、中学時代はなんとも思わなかった同姓同名の同級生(男)が図書貸出カードの裏に描いていた自分の似顔絵をみて、同姓同名の同級生(男)の自分に対する好意を10年以上たった後に知る(鈍感すぎるだろ)。
 
○「青春18×2」では、主人公のジミーが、アミが日本に戻ってから描いた絵日記を読んで台南いたときのアミの想い、真意を知る。
 
「Love Letter」で、主人公の亡くなった恋人が同姓同名の同級生(女)の似顔絵を描いた貸出カードの本というのがマルセル・プルーストの「失われた時を求めて第7篇」(劇中では出てこないが第7編のサブタイトルは「見出された時」なので、意図的に最終篇でもある第7篇が選ばれているのだろう)。
「青春18×2」でアミが旅先でもつけていて、ジミーに送った絵はがきにも香っていた香水はニナリッチの「レールデュタン」(時の流れ)だ。
作品のキーとなる小物の名前にまで「Love Letter」のオマージュを感じられる。
(ちなみに、「失われた時を求めて」では小説の主人公が紅茶に浸したマドレーヌの香りで過去の記憶を思い出すところから始まるらしい。)
 
「Love Letter」は、主人公が亡くなった恋人の部屋で見つけた中学の卒業アルバムで、中学時代に住んでいた小樽の住所を知り、その住所に届くはずのない手紙を書いたら、その住所は恋人の昔住んでいた住所ではなく、同姓同名の同級生の住所だったので、その住所にまだ住んでいた恋人の同姓同名の同級生から返事が届くという物語だ。
主人公と主人公の亡くなった恋人の同姓同名の同級生を中山美穂が二役で演じている。
(中学生時代の回想シーンは酒井美紀が演じているが、これが酒井美紀のデビュー作であることを今更知る自分)
 
主人公が亡くなった恋人をなかなか忘れられず、たまたま知った恋人の昔の住所に手紙を書くというところから物語が展開するのだが、作品の全体のトーンとしてはあまり暗くはなく、どちらかというとポップで、コミカルなシーンも多い。
(筋書き自体はちょっとトリッキーで、やり過ぎの感じは否めないが)
 
中山美穂が二役で演じている主人公と主人公の亡くなった恋人の同姓同名の同級生はどちらとも大切な人(恋人と父親)を亡くして、そこで時間が止まっているのだが、過去の記憶(亡くなった恋人の中学時代の記憶と自分自身の中学時代の記憶)を辿ることによってそれぞれ自分自身と向き合い、止まった時計が動き出すというのも同じだ。
 
翻って、「青春18×2」はどうだろう。
自分自身の過去の記憶を辿って、大切な人の真意を知り、現在の自分自身と向き合うというストーリーは、まさに「Love Letter」のオマージュそのものだ。
ただ、「青春18×2」の方は、どちらかというとシリアスな基調になっており、ロードムービーの要素が強い。
「Love Letter」を知らなくても「青春18×2」は十分楽しめる作品だが、オマージュ元を知れば、より一層作品が味わい深く感じる。
 

■「余命10年」セルフオマージュ?

この「青春18×2」がかなり気に入ったので、藤井監督の他の作品も見てみたくなった。
(自分としては、かなり稀なことだ)。
「新聞記者」が気になって見始めたのだが、今見る映画としてはピンとこなかったので10分で視聴終了。
 
その代わりに「余命10年」を見て驚いた。
個別のシーン、台詞にほとんどそのままのものある。
・病気を隠して、知り合った男性主人公と「私も頑張るから、もう死にたいなんて言わないでください」と約束をする
・仲間と海に入るシーンは、そのまんま
・男性主人公が祭りの雑踏で手をつなごうとする。
・過去を振り返るためのアイテム(ビデオカメラ・アミの描いた絵本)
・女性主人公が自分でかいた創作物がラブレター代わり(小説・絵本)
・ラブレター代わりの小説・絵本の最後に「会いたい」と書いてある。
・ラストシーンは、二人の思い出の場所(桜並木・夜景を見た展望台)に主人公の男性が行き、亡くなっている(と思われる)女性主人公の姿の幻を見る。
 
これらの点については、「青春18×2」のレビューをかなり見たが、誰も指摘していないのはなぜなのだろう? 
ありきたりな設定だからか、監督が同じでいうまでもないことだからなのか、それもと「余命10年」が少し前の映画なので、内容を詳細に覚えていないからなのか。
 
そこで疑問がわいてくる。
この映画の藤井監督が「リリィ・シュシュのすべて」世代で、原作にも「Love Letter」が出てくるので「Love Letter」オマージュ色が強いのは、まあ分からないわけではないが、なぜ「余命10年」の要素をここまで入れ込んだのか?
 
この映画の制作過程については、藤井監督がインタビューで話しているが、18歳の時にバイト先で知り合った日本人女性バックパッカーにであった台湾人男性が36歳になって日本を旅行するというエッセイが原作になっている。
この原作ありきなので、台湾と日本の両方が舞台でそれぞれを旅するロードムービーであることが前提になっている。
 
原作を読んでいないので、原作でジミーの日本での旅がどのように描かれているか分からないが、ジミーの日本への旅の設定(特に36 歳のジミーがアミの故郷である日本へ旅をしようとした理由)がほぼ映画オリジナルだとしたら、藤井監督がやりたかった内容ではなく、「余命10 年」という興行収入30 億円の大ヒット映画を生んだ藤井監督に期待された、「興行上の要請」だったかもしれない(映画としての「ドラマチックな要素」を求められた)。
たしかに、原作のエッセイどおりの単なるロードムービーではフックが弱い。
  
もともと台湾企画の映画だが、日本も舞台となる映画なので、この映画の監督を探すにあたって、祖父が台湾人という台湾にルーツを持つ藤井監督が20 台の頃に台湾で映画が撮りたくて自ら営業に行ったことがあり、そのことが縁で監督に決まったという経緯があるようだ。
台日合作で、それなりに費用もかかるので、日本での出資元もそれなりに集めなくてはいけない(つまり、ある程度の収益が期待されているということになるが、それは企画先行で共同出資方式が一般的になった現在では当たり前なのかもしれない)。
台湾だけでなく、アジア各国での公開も予定されていることも考えると、日本を含めたアジアのメンタリティーの響く(受け狙いの)「ベタな」設定が必要だったということになるのだろう
か。
ベタな設定が必要だとしても、ここまで「余命10年」に寄せる必要はない。
「青春18×2」を見た時には、こんな都合のいい難病があるのかと思ったが、「余命10年」をみて納得した。
女性の主人公の病名は肺動脈性肺高血圧症(PAH)という病気だが、この病気は、映画にする上でかなり都合がいい(「余命10 年」には原作があり、その原作者がこのPAHに罹っている)。
このPAH という病気は、次のような性質がある。
・若年者に比較的多く、「余命10 年」という決して短くはない絶妙な存命年数(10 年生存率が極めて低い)。
・入院の必要は必ずしもなく、見た目は一般と変わらない。
・病気による行動制限(服薬必要・運動禁忌)があるので、通常の就業は難しいが、外出できないわけではない。
主人公が寝たきりでは映画が展開していかないが、ある程度行動できることによって、物語を展開させることができる。
 
しかし、「余命10 年」の難病にかかっていることなど他人に言えるはずもないから、病気のことを他人に言えないことが映画向きの設定になる(別れが辛くなるから恋愛しない)。
「青春18×2」のアミが22歳という設定なのは、大学を卒業できなかった「余命10年」の主人公とほぼ同じ年齢設定になっている。
服薬しながら短い期間ならば、多少無理をすればバックパッカーも可能という、まさに「青春18×2」にうってつけの設定が可能なのだ。
要するに、映画にするのに都合がよかったから、アミを「余命10年」と同じような病気にしたのか。
「余命10 年」は自分の脚本ではないから、よくある設定とはいえ「余命10 年」のパクリと言われないように、「セルフオマージュ」と言えるよう、はっきりと分かるようにしたのか。
結果的に似てしまったというレベルではない。
 
そう考えていた、原作を読むまでは。

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