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④消費の反対側

「スリー・カップス・オブ・ティー」

 「スリー・カップス・オブ・ティー」という著書があります。
 K2登山に失敗しパキスタンで村人に助けられ恩返しに学校建設活動に取り組んできた体験を記したという内容で、その中で3杯のお茶をふるまうというシーンがあります。
 イスラム教徒たちと家族のように仲良くなるには、3回お茶を飲み合うまで付き合うという意味で、
 1杯目:初めて一緒に飲む、相手はまだよそ者
 2杯目:尊敬すべき客人
 3杯目:お茶を分かち合う、家族の一員
ということです。
 事実ではなく捏造と騒がれましたが、ひとを思う気持ちは国境を超えて同じということを教えてくれます。

「カリオモン」っていう習慣

 コーヒー発祥の地・エチオピアには「コーヒー・セレモニー」という風習があります。
 ウィキペディア様によれば、
「エチオピアとエリトリアの伝統的な習慣でコーヒーを飲むことを儀式化した作法の一つ。エチオピアではカリオモン(Kariomon)と言い、「カリ」とはコーヒーノキの葉、「オモン」は「一緒に」という意味。」
 とあります。

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 1煎目はアボル(Abol「健康」)で主賓や年長者から先にコーヒーを勧め、2煎目はトーナ(Tona「愛」)、3煎目はバラカ(Baraka、「祝福」)と客の求めがあった場合に出すようです。
 客は3煎目を迎えてくれた家族や村の幸せを祈りながら飲むのですが、他者への感謝ともてなしの精神を表していてステキな習慣だなと思います。

どこから輸入されている?

 コーヒーの生産地は、「コーヒーベルト」と呼ばれる北緯25~南緯25度までの熱帯と亜熱帯に集中しています。日本では沖縄と小笠原で栽培されていてます。(最近では東北で栽培実験がされているとか。)

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 アフリカ・アジア・中南米が世界三大産地となりますが、だいたい以下のような特徴かと思います。(飲み比べてみて、自分なりの感覚をつくるのも楽しみの一つかもしれませんね。)

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 コーヒーが大好きな日本。どのような国から輸入されてきているのかを調べてみると以下のような感じでした。

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 ブラジルはわかりますが、二番目がベトナムいうのが意外でした。
 コーヒー豆の原種には
  ①アラビカ種 ②ロブスタ種(カネフォラ種) ③リベリカ種 
 の3種類があります。(リベリカ種はほとんど入りません。)
 ベトナムのコーヒーは、ほとんどがロブスタ種で苦みが強くて風味が弱くバターでコーヒー豆を煎ることでコクや甘みを増しコンデンスミルクを入れて現地では飲まれています。
 あまり日本ではベトナム産コーヒー豆って見かけませんよね。
 輸入されているベトナムのコーヒー豆は主にインスタントコーヒーや缶コーヒーに使われています。

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 ロブスタ種は1本の樹から収穫できる果実の量が多くコスパがいいです。
 アラビカ種と比較してみるとよくわかると思います。
 アラビカ種には「ブルボン種」と「ティピカ種」がありますが、生産地と歴史の違いがあります。とても面白い歴史の流れがありますので、別の機会にご紹介しますね。

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消費の反対側から考えてみる

 経済発展や開発の水準が先進国に比べて低く、経済成長の途上にある国が「開発途上国」です。
 エチオピア・グアテマラ・コロンビア・インドネシア・ミャンマー・バングラデシュ・・・など主な生産地は「開発途上国」に含まれています。
 途上国の経済発展のために、国や国際機関・NGO・民間企業などによる様々な「支援活動」が行われ、私たちは「支援してあげている」ような気持になりがちではないでしょうか。
 ワイシャツがミャンマー・ベトナム・バングラデシュ、モバイル端末に使われるレアメタルはアフリカの国々だったりします。様々な食材も生産国が様々です。
 生活するために忙しい毎日を送っています。小説の「モモ」でも描かれていましたが、消費するために私たちは大切な「時間」を奪われています。
 少しでも安くて便利で豊かな生活が、この国の人たちに「支援されている」ように思えてならないのです。
 なかなか他のひとやことに関心が向かなくなっているのですが、日常生活の中で手にするものの反対側を少しだけ興味を持って想像してみることが私たちにとって大切なことではないかと思うのです。
 経済的な物差しで見れば「先進国」と呼ばれる国の暮らしに比べて「お金がなくて、食べ物がなく、不衛生」という印象を受けます。
 それをただ「助けてあげなきゃ」と決めつけてしまうのではなく、そこに暮らす人々の歴史の中で積み重ねてきた文化や慣習を尊重することが大切に思います。
 忙しいからこそ「想像し考える時間」というのが貴重です。
 苛立っている目に触れるたびに、学生の頃にホームステイさせてもらったフィリピンの山岳地帯で出会った「生き生きとした目」を思い出します。
 電気もガスもなく、ショッピングモールも無い場所だったけれども「人との出会い」が楽しかったなぁ。

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 そして時間も経験する機会を失ってモノづくりが出来なくなってきたからこそ、日本の農業をはじめとして様々な「生産する人たち」が偉大だと感じてしまいます。
 だから「安いから買えばいいや。」という消費生活を考え直す時期にきているのかなと感じます。
 「XXだから買う。」と意味を感じる感性と「どういう風につくるのか?」という好奇心を持つこと…昔、言われたことを思い出します。