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左卜全のクリスマススピーチ

 (2502文字)

 クリスマスが来るたび、年越しへのカウントダウンが近づくたびに見返す映画がある。黒澤明監督作『醜聞(スキャンダル)』(1950年公開)だ。


 映画は、新進気鋭の画家・青江(三船敏郎)がたまたま人気女性歌手・西條美也子(山口淑子)と観光地の同じ旅館に宿泊していたがために、大衆誌にツーショット写真を撮られ「熱愛発覚!」のデマ記事を流されてしまったことから物語は始まる。
 怒りの収まらない青江は単身、記事の発行元である出版社に乗り込み、社長(小沢栄太郎)を殴り飛ばしてしまう。それが今度は大手新聞の三面記事になり、火種は社会問題として世間一般にも燃え上がる。
 まさに、ビートたけしの「フライデー襲撃事件」を予見するような作品だ。
 青江は出版社を名誉毀損で訴えることを決めるが、よりによって手を組んでしまった弁護士は人間のだらしなさを凝縮したような人物、蛭田(志村喬)だった――。

 映画の大筋はこんなところだが、この物語の実質的な主人公は、弁護の依頼主である青江と出版社の悪徳社長の間で右往左往する蛭田なのである。
 訴状を持って出版社に乗り込んだはいいが、その場で社長に丸め込まれ、接待と袖の下の魔力に屈してしまう。競輪の車券代まで訴訟相手から恵んでもらうまでに落ちぶれ、一度は相手の取引き(示談)に応じてしまうものの、今度は依頼人の正義感に押され、ついには原告弁護人として裁判の場に立つことが決まってしまうのだった。

 
 余談だが、この、俗にまみれていて軽薄でだらしなくて、それでも何かを信じようとしている小市民、蛭田という人物には実際のモデルがいるそうである。

“私は、蛭田というあの人物に会った事があるのだ。
今、電車が通過した神泉の踏切りの近くの駒形屋という飲み屋で、私は蛭田と隣り合って酒を飲んだ事があったのだ。
(中略)
その男は、これまで、その話をどの位繰り返し喋ったのだろう。
まるで、暗記した科白のように、ペラペラ軽薄に喋ったが、その喋り方の軽薄さは、その話の内容の悲しさに、返って苦いものに思われた。
その話の内容は、その男の娘の事だった。
肺を病んで寝たっきりの娘の話で、その男は、繰り返し繰り返し、その娘がどんなに素晴らしい娘か、という事を喋り続けた。
天使のようだとか、お星様みたいだとか、歯の浮くような言葉を使って、その娘の事をくどくど話し続けたが、私は変に身につまされて素直にその話を聞いていた。
そして、その男は、その娘にひきくらべて、自分がどんなに下らない人間か、という事をいろんな実例を上げて、話し始めた時、おしげちゃんの親父さんがたまりかねたように、その男の前にガラスの蓋物を突き出して、
「さあ、もういい加減にして、帰っておやんなさい。娘さんが待っていますよ」
と云った。
その男は、急に黙り込むと、そのガラスの蓋物にじっと眼を据えて暫く身動きもしなかった。
そのガラスの蓋物には、熱の高い病人が食べそうなものが入っていた。
その男は、急にその蓋物を掴むと、それを抱くようにして、そそくさと店を出て行った。
(中略)
蛭田という男は、駒形屋で会った、あの男が書いたのだ。
私が書いたのではない。
(黒澤明著『蝦蟇の油』より)”

 

 さて。裁判が間近に迫った12月24日、クリスマス・イブ。
 良心の呵責に苛まれた続け、ついに爆発してしまった志村喬は自分の娘の眼はおろか弁護の依頼主である三船敏郎や山口淑子にすら顔向けできなくなってしまう。そして、逃げ込むように場末のキャバレーに入り、しこたま酒をあおって酔いつぶれたところに、それ以上に酔っぱらった、一人の天使が現れる。
 左卜全だ。
 左卜全は酔客とホステスの前でいつも通りのロレツの回ってない口調でこう演説する。

「諸君! 今年もあと一週間だ! 一週間後には1950年が来る!
人間はね、毎年毎年、今年のことは知らん。今年のことは知らないけども、来年こそはと考えて生きている。そうでも考えなくちゃ生きてかれませんわな。
諸君、諸君! 来年こそは、やる! きっと、やる! 僕はやる。うん。頑張るぞぉ! 来年こそは!
来年こそ、小ちゃくても一軒(ムニャムニャ)。...お母ちゃんに楽させる。
諸君! やるぞ! 来年こそは僕は断然やるぞ、僕は。僕は誓う! 来年こそはやる!
今年なんかもう糞食らえだ。うへへへへ。
♪ほたーるのひかりィ まぁどのゆうきー、だ。
しょ、諸君! 一緒に唄ってくれ、唄って! そして、来年こそは、みんな、しっかりやる!
ねえ、うへ、あはは」

 この薄汚いなりをした酔っぱらいの演説に「そうだ! 実にそうだ!」と諸手を挙げて同意した人物がひとり、さっきまで酔いつぶれていた志村喬だ。
「来年こそはやる」ことですっかり意気投合した左卜全と志村喬は肩を組み、「蛍の光」を唄い始める。
「皆さん! 皆さんも唄ってください。ね…。お願いします」

 志村喬の言葉に楽器を持ち直し、「蛍の光」の旋律を奏で始めるキャバレーの専属バンドマンたち。
 二人の歌声はやがて、三船敏郎はおろかさっきまで左卜全の演説を遠巻きに眺め、ヤジや嘲笑を飛ばしていた酔客やホステスたちにまで広がり、合唱となる。

 その中には、日々、めんどくせえ酔客を相手に媚びを売って感情を磨り減らしてしまったホステスがいる。出世ラインから外れ、派閥にも属することができずに一人酒をあおってるサラリーマンがいる。夢を追って花の都・東京に出てきたはずが、いつの間にか生活に首根っこを押さえつけられている少女がいる。両腕に墨の入ったウダツの上がらねえヤクザ者がいる。毎夜、演りたくもない客のリクエストばかり弾いて日銭を稼いでるバンドマンがいる。


♪蛍の光 窓の雪
 書(ふみ)よむ月日 重ねつつ
 いつしか年も すぎの戸を
 あけてぞ 今朝は 別れゆく...

 彼ら彼女たちの唄う「蛍の光」はまさしくクリスマスソングであり、今年への決別、来年こそはやる歌だ。
 
 2019年もあと一週間。一週間後には2020年が来る。
 左卜全も言ってたように、今年なんかもう糞食らえだ。
 来年こそは、やる! やってやろう!

 メリークリスマス。

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