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体験ルポ・村上春樹の読書会に参加した

(3689文字)


ハルキストになりたい

 (前文略)

 ぼくは元々ハマりやすい性格である。これを機にこれまで食わず嫌いをしていた別の分野の信仰の現場にも足を運んでみることにした。

 その現場とは、村上春樹の読書会。

 毎年、ノーベル文学賞が発表される度に、聖地と呼ばれているカフェで取材を受けているハルキストたち。

 ぼくにとってこれまでは薄笑いの対象でしかなかった彼らと村上春樹作品だが、自分の中に角川春樹以外のハルキストの血が流れていないとは言い切れない。来年のノーベル文学賞発表時には自分も一緒にあのカフェで残念がっているかも知れないのだ。

 さっそくツイッターで「村上春樹 読書会」と検索してみると、この11月に都内で読書会を開催する告知ツイートを発見。窓口になっているフェイスブックのイベントページに捨てアカウントで参加希望を申し込む。

 当日のスケジュールは、11時から某会場で読書会、近くのレストランでランチを楽しんだ後、再び会場に戻って読書会、という流れで、最低3時間の拘束らしい。会費はランチ代合わせて2千5百円。

 読書会は基本的にあらかじめ指定された作品について参加者が論じあうスタイルのようだ。

 ノーベル文学賞発表直後だからか、今回の読書会にはいつもよりも多くの参加希望者が集まり、初参加もぼく以外にもいるという。とりあえず、ほっとした。

やはり難解な春樹文学

 今回、主催者が指定した課題作品は「めくらやなぎと眠る女」(『螢・納屋を焼く・その他の短編』収録)と、「やくらやなぎと、眠る女」(『レキシントンの幽霊』)の2作品。後者は前者から13年後にリライトした作品らしく、読書会では2作品の読み比べをするという。


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「めくらやなぎと眠る女」が収録されている『螢・納屋を焼く・その他の短編』(新潮文庫)

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「やくらやなぎと、眠る女」が収録されている『レキシントンの幽霊』(文春文庫)

 
 なんにせよぼくは村上春樹の小説なんて一作も持っていないので、ブックオフを数軒ハシゴし、無事2冊とも100円でゲット。

 購入後しばらくは苦手意識からかなかなか読む気になれなかったが、主催者から「当日持ち寄る質問はあらかじめイベントページに投稿してください」と連絡が来たところでやっと腰を上げることに。

 とは言うものの村上春樹作品を読むのはこれが初めてではない。手当たり次第有名な作家の代表作を読んでいた学生時代、村上春樹の作品もいくつか読んだ記憶がある。

 その頃の自分には何がおもしろいかまったくわからなかったし、しゃらくせえ文章ぶっこきやがってくらいの感想しか湧かなかった。

 十年以上ぶりに再び開いた村上春樹作品。一読した感想はやはり「さっぱりわからん」だった。

「五月の風のにおい」だとか「バスの中の老人の集団」だとか「どろどろに溶けたチョコレート」だとかワケのわからない描写と主人公の意味不明な悩み描写が最初から最後まで続いている。

 作品の中に論じ合う箇所などひとつも見つけ出せなかったが、フェイスブックのイベントページをのぞくと他の参加者の皆さんは、湯水のように疑問、質問をぶつけているではないか。

「風邪を果実に例えていますが、どんな果実? 私はオレンジをイメージしました」

「バスが爆撃機に見える意味と冒頭の五月の風の意味は?」

「バスの匂い、雨の匂い、わきのしたの匂いなど、匂いの描写が多いですが、どのような効果として使っているのでしょうか?」

 どの質問もぼくにとっては「知らねーよ!」としか答えられないものだし、「わきの下のにおい」に至っては「病院行け」というアドバイス以外に思いつかない。

 村上春樹の読書会。想像していた以上にハードルが高そうだ…。


ハルキストの素質あり?

 当日。普段滅多に来ない港区のオシャレなビルの前で待ち合わせ場所に立っていると、いかにも本好きな大学生らしき女子、読書会常連風の40代女性数人、カジュアルな格好の20代前半の男らと合流する。そこから徒歩5分ほどの住宅街にあるマンション一室に移動。

 到着した先のドアには「○○建築事務所」という表札が。常連参加者にどういうことか訊ねると、主催者(50代男性)の父親が建築士でその事務所を会場として使用しているらしい。ボンボンのハルキストが! 思わずプロレタリアライターのひがみ根性が出る。

 リビングテーブルを囲む9人のハルキストたち。いよいよ読書会が始まった。自己紹介をすっ飛ばして、主催者から「とりあえず、2つの作品の印象から訊いていこうか」と投げられる

 感想の発表は、ぼくの対角線上の参加者から半時計回りの順番のようだ。その間にまとまった感想をでっち上げなければ。

参加者A「一言でいうと、甘酸っぱいと言うかほろ苦いというか」

 それに対して、他の参加者から「わかる。特に“旧”のほう」という賛同なのか横槍なのか判断しかねる合いの手が入る。隙あらば自分の考えを発言しようとするハルキストたち。とにかくアグレッシブなのである。

 また、この場での村上春樹の気共通の呼び名は「春樹さん」のようだ。「知り合いか!」というツッコミがノドまで出かかったが、場の空気に迎合してぼくも「春樹さん」という呼ぶことに。

 いよいよぼくの番がやってきた。

「えーっと、“新”に比べると“旧”のほうがのんびりしているというか…。“新”は設定が細かくなっているんですけど、のんびりしている“旧”のほうが好きです…」

 てっきり黙殺or袋叩きに遭うのではとビクビクしていたが、意外や意外、それほど的外れの感想でもなかったようで皆さん、ぼくの意見に賛同してくれるではないか。

 その流れで、初参加のぼくと女子大生の自己紹介タイムとなる。

 いちばん好きな春樹さんの作品に関しては、昔読んでぼんやりと憶えていた「パン屋襲撃」と言っておいた。主人公カップルが深夜にパン屋を襲撃する愉快な話だ。

 この答えに関しても周りの参加者から「ほぉ」と、こやつ、なかなかやりおるなという意味合い(たぶん)の込められたため息混じりの賛同の声が漏れる。あまつさえ、ムードメイカー的役割の女性からは「初めてとは思えない」という股間に響くお褒めの言葉をいただいた。

 読書会、なかなか悪くないではないか。


好きな映画=少林サッカーで失笑される

 他の参加者の意見を聞いているうちに、なんとなく作品や描写に込められたテーマ、春樹さんの作品の読み方というものが解ってきた。

 春樹さんの作品というのはメタファーのパッチワークみたいなもので、常に「これは何の隠喩なのだろう?」と考えながら読まなければいけないのである。思考をこねくり回すのが好きな人にはたまらない魅力だろうし、読書会向きの作家であることも理解できる。

 ただ、その読み方自体に酔っぱらい、暴走してしまう参加者も見受けられた。

 例えば、「めくらやなぎ」には『アパッチ砦』という古いアメリカ映画の台詞が意味ありげに引用されている。ぼくの隣の席の参加者はこの台詞にはどういう意味が込められているのだろうとわざわざ映画まで見て予習してきたという。

 その成果について最初はふむふむと聞いていたのだけど、おばさんは引用されているシーンだけでなく、たっぷり映画一本分の解説までしてしまうのだ。

 また、別の参加者はとある場面で感じたことについて、頼まれてもいないのに文庫1ページ分をまるまる音読。さっきとは声色まで変わっている。

(作品のテーマは読み取れるのに、なんで場の空気は読めないのかね)

 そう思ったが、アイドル界隈にも自分の推しているメンバーが好きすぎるあまり、ツイッターに延々とその「推しどころ」を投稿しているヲタもいる。げんなりしてきたら、どちらもミュートすればいいだけのことだ。

 

 切りのいいところで参加者が連れ立って外にランチに行くことに。

 ランチのお店は、いかにも村上春樹作品の主人公が行きそうな裏道にある隠れ家的カフェだった。トビラ写真はぼくが頼んだスパゲッティーである。

 食事をしながら読書以外の趣味の話になった。ぼくが好きな映画を『少林サッカー』と言うとなぜか参会者から失笑混じりの笑い声が起きる。マジで殺すぞ!

 さらに、意を決して乃木坂にハマっていることを告白。その魅力についてひとしきり語ってしまった。若干場の空気が引いた気がしたが、たぶん気のせいだろう。

 ランチ後、再び事務所で読書会を再開。よっぽど読書会の雰囲気にハマってしまったのか、14時には中抜けして帰るつもりだったのに閉会時間の夕方17時半まで長居してしまったではないか。

 読書会後、筆者以外の参加者は別の会場行われる村上春樹作品の英訳者によるトークショーに流れるという。

「招待券が一枚余っているのでよかったら行かない?」というありがたいお言葉をいただいたが、予定があったので丁重にお断りした。このあと、乃木ヲタたちとニューシングルの感想を語る飲み会があるのだ。

(了)

※当記事は『裏ネタJACK 2016年12月号』(ダイアプレス社刊)収録されている原稿に修正加筆をし、転載したものです。

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