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彼女は「誰の」夢で踊るのか?

こんにちは、とんです。ご覧いただきありがとうございます。

犬飼貴丈くん目当てに、『彼女は夢で踊る』を見てまいりました。
待ちに待った全国上映、嬉しいですね。今回はその感想をまとめたいと思います。
公式サイトはこちら

新宿武蔵野館について

この映画、見られる劇場がとても限られています。各都道府県で、2箇所上映しているところもあれば上映がない県もあります。
東京では今回伺った新宿武蔵野館ユナイテッド・シネマ アクアシティお台場だけで上映されており、新宿武蔵野館では11月5日までの2週間限定公開。こちらでは、冒頭にインタビューなどの限定映像も流れました。もしここまで来られるならこちらで見た方がお得かもしれません。
公式HPはこちらです。
↓この看板の真下に入り口があるので、これを目印に探してみてください。↓
(私が帰りに撮った看板の写真です)

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場所は新宿駅の目の前、新宿三丁目駅からも歩いて5分くらいです。
近くにはビックカメラや無印良品などがあり、私は上映時間まですぐそばの紀伊國屋書店で時間を潰すことができました。

特徴として、まずペットボトルの持ち込みがOKでした。
廊下に自販機があり、売店で売られている飲み物もペットボトルのものでした。
小さいペットボトルで150円という映画館料金だったので、外から持ち込んだ方がいいかもしれません。

次に席が傾斜になっておらず、平坦な劇場でした。
こう言う形の席は初めてで、見づらいかもと心配しましたがそんなことはありませんでした。
見上げる必要もない程度のちょうどいいスクリーンの高さなのに前の人の頭が邪魔にならない設計になっていて、ちゃんと楽な姿勢で見ることができました。

ただ暖房が効いていたのか、半袖のTシャツにまでなっていた私もけっこう暑かったです。温度調節の効く服装で行くのがいいかもしれません。

初めて行ったのでスクリーンの場所がはじめ分からなかったのですが、奥でスタッフさんがもぎりをしているところを探してみてください。
多分時間帯的にほかのスクリーンに間違えて入っちゃうことはないと思いますが、入り口横にポスターが貼られているので自分が見たい映画かを確認なさるといいと思います。


ストーリー

2年前の失恋を忘れられず、今でも彼女の幻影を見てしまう青年・木下信太郎(犬飼貴丈)が、ある日ストリッパー・サラ(岡村いずみ)に出会うところからストーリーが始まります。
初めてストリップを見た彼は感動し、ストリップ・広島㐧一劇場で働き始めます。

対して、いつしか㐧一劇場の支配人になった信太郎(加藤雅也)。
はじめは従順で素直な青年だった信太郎も、今はかつての上司のように偉そうに部下に指示したり飲み屋で説教をするおじさんです。
同じく、若い頃は大盛況だったストリップ劇場も、今や時代遅れで錆び付いていて、㐧一劇場も閉館しなくてはならないほどに。
そんな劇場の最後の公演に来てくれたストリッパー・メロディー(岡村いずみ)を見て、信太郎はかつて恋をしたサラのことを思い出します。

サラとメロディーはどういう関係なのか?

サラと信太郎の恋の行方は?

劇場の控え室の壁にある大量のキスマークには、ストリッパーたちのどんな思いが込められているのか?

一つのストリップ劇場に人生を賭けた青年から見た、人生の物語です。


見どころ

ストリップというのは女性が舞台の上で踊りながら服を脱ぐもので、実際に女性の裸も何度も映ります。苦手な方は気をつけてください。
ですが、その彼女たちのパフォーマンスこそが、この映画に大きな意味をもたらします。

なぜ信太郎はストリップに感動したのか?
なぜ人はストリップを見にくるのか?

そこには、性的欲求以上のなにかがあるのだろうか。

それがこの映画の大きなテーマになっています。


序盤のメロディーのセリフ、(うろ覚えですが)

まだ思い出せないの?
唇は思い出を残すのよ

これが果たしてどんな意味を持つのか?

「唇=キスマーク」「ストリッパーの意義」
そんなところに注目してご覧ください。


彼女は「誰の」夢で踊るのか?(以降ネタバレ)

これ以降ネタバレを含みます。ぜひ、映画を見てからお読み願います。


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ストリッパーというのは、1週間ほど同じ劇場で公演をしたらすぐに別の劇場に行って、全国を転々と回る職業だそうです。
つまり、ストリップ劇場はたくさんの出会いと別れの場所であり、信太郎もその別れに何度も悲しみを感じてきました。

ヒモとして劇場に居ついていた金ちゃんも、「また来週な!」と言ったっきり二度と劇場には現れませんでしたし、
「そのうち顔出すね」と言って出て行ったサラも戻ってはきませんでした。

そんな永遠の別れの悲しさを知っている人たちが出会ってしまう場所が、ストリップ劇場なのだと感じます。

信太郎は、そんな別れには全く慣れていない青年です。
だって、2年前の恋すらずっと忘れられずにいるんですから。
そんな青年が、劇場で悲しい別れを何度も経験することになります。それに耐えられる人間になるよう、信太郎は大きく変わってしまったように見えました。

ですが、最後まで見れば根本は変わっていなかったことがわかります。
結局信太郎は恋を一生背負い続ける宿命にあるのです。

メロディーは実際には存在していない、信太郎の中での幻影でした。
メロディーが実際に舞台に立つシーンも、他の人と会話しているシーンもありませんし、信太郎が別のストリッパー・ようこと関係を持ち始めてからはメロディーがさっぱり出てこなくなるという演出に気付いた時にはゾクッとしました。

はじめはメロディーはサラと信太郎の子供なのではと勘ぐっていましたが違いました。おそらく、信太郎もそう期待していたのではないでしょうか。いつか別れたサラの今が知りたくて、メロディーに固執していたのではないでしょうか。
この㐧一劇場という場所がなくなるにあたって、一番寂しいのはサラと出会う手立てがなくなるということだったのかもしれないと、勝手ながら考察しました。


信太郎がかつての支配人にこう問いかけるシーンがあります。

劇場を辞めると、どんな気持ちになりますか。

それに対して支配人は、

そうだな、
たまに劇場の夢を見るよ

と答えます。

ストリップ劇場という場所に取り憑かれてしまった人間に、劇場の思い出が頭の中から消えないという宿命があるのだとすれば、
サラは、永遠に信太郎の夢の中で踊り続けているのです。
その幻影がメロディーとして具現化したのをきっかけに、メロディーは信太郎の深層心理の代弁者として機能し始めます。

本当は劇場を閉めたくない。
ストリップなんてみんな見たいに決まっている。
・・・

そうやって信太郎が㐧一劇場にしがみつく姿は、決して若い頃と変わっていないと思います。


ストリップを見て涙を流す人について、人間の美しさに心を打たれたのだ、と言う描写がありましたが、私もストリップの映像の美しさに涙が出そうになりました。
サラが海辺で朝日に照らされながら踊るシーンは、目に焼き付きすぎるほどに焼き付く美しさです。
なんども夕焼けや朝日のタイムラプス映像が流れますが、それと同じくらいに、人の心を打つ美しさがあります。

しかも、自然という偉大なものではなく、自分と同じ人間がそのような美しさを持っているのです。

それを伝え、生きる希望にさえなるストリップ。
ただ男性が性欲を満たすためだけに見るものではないと、女性である私も実感しました。
盛況だった頃の㐧一劇場の列の中に、女性も並んでいます。見逃していたらもう一度見てみてください。


最後に

犬飼くん目当てで行きましたが、ストーリー性・演出のおかげでその映像美にも深く感銘を受けました。
犬飼くんが美しいのはもちろんのこと、女性や自然、広島の街の美しさ、音楽の意味も、パフォーマンスが映画館ならではだったと思います。

新宿武蔵野館のスクリーンは普通より一回り小さなものでしたが、音響や周りの雰囲気がすばらしく映画として見る価値のある映像だったと思います。

まだあと1週間近く上映していますので、ぜひ試しに見に行ってみてください。
感想等お待ちしております。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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