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週末日記をつけ始めた

週末と紅茶と日記帳

 私がよく行く「武蔵小金井」はJR中央線で新宿から快速で20分ちょっと、「国分寺」の一つ東側の駅だ。降りて徒歩3分ほどのところに、日進堂文具店というこぢんまりとした店がある。「町文具」とでも表するのがふさわしい老舗の趣だが、ディスプレイが凝っていて、思わず見入ってしまう。その日も、飾られていた文庫サイズの日記帳に目が留まった。

 日記をつけていたのは、中学生のころ、ねだって3年日記を買ってもらったのが最後だ。それも、思いついたときに書いてみるだけで、空欄だらけだった。毎日のルーティンより眠気が優先される、だらしない日々を40年余り。毎日つけるなんてとても無理だから、日記そのものをあきらめてきた。でも今回の日記帳は「週末に1週間分をまとめて記入する」スタイル。無性に「欲しい」という気持ちが湧き上がり、気が付けばレジにいた。

 それは「週末と紅茶と日記帳」という紅茶色の薄い日記帳だった。

手書きって楽しいのかも

 私は筆圧が強い。小学校低学年の頃は、「Bの鉛筆を使いなさい」と言われ、黒々とした文字をこすってしまうせいで、右手の小指側はいつも真っ黒になり、ノートの文字は鉛筆なのににじんでいた。シャープペンを使うようになってからは、よく芯を折って飛ばしてしまった。それが嫌でボールペンしか使っていない時期もあったが、今は趣味でシャープペンを使うので、対策として太めの0.9ミリのものを愛用中。ペンケースに納まるノック式の消しゴムもあり、シャープペンとともに持ち歩いている。ストレスなく文字を書く環境があったのは、不意に始まった「日記生活」にとって幸いだった。

 日記を書き始めるとき、ルールを決めた。わからない漢字は調べてちゃんと書くことと、雑に書き流さずある程度丁寧に書くことだ。この二つのおかげで、タイピングするときより少しゆっくりなテンポでものを考えることができた。これが、ことのほか楽しかった。いつもは、仕事であろうとなかろうと、時間と、即時の判断に追われながら文章をつづっているのだと気づいた。同時に、手を使って書くことで、自分が思ったことが文字になり、その文字が紙を滑る感覚も、久しぶりで楽しかった。「文字を書くのは面倒」と思っていたのに、思考と、文字をつづる速度が一緒になっただけで、とても楽しい作業に変わったのはひそかな発見だった。

「個人的な価値」で書く


 日記には、体調の悪い時やバイオリズムについてはわかるように欄外に、それ以外は思ったことや食べたものをつらつらと書いた。特に感情をちゃんと振り返って、文字にとどめておくようにした。自分の感情が整理できて、なんだかすっきりするようになった。週末に多忙で日記が書けなかったときは、その後の平日が落ち着かず、ランチで近場に出かけた時や、夕飯までの時間に書いたが、いつもよりは雑な感じになってしまい、楽しさが半減した。

 週末に書く場合、平日の仕事上のイライラを思い出すとして、少なくとも数日たっているので、自分が何にいら立っているのか、一歩引いて客観的に書くことができた。楽しかった出来事、心を動かされたことは、些末なことでもなるべく細かく思い出して、味がなくなるまでガムを噛み続けるような勢いで、しがみながら書いた。

 この日記帳には、「来週やること」を書き出す欄がある。仕事のこと、プライベートなこと、事務作業、家事にまつわること(今、「大根使い切る」と書いていたことを思い出した。まだ冷蔵庫だ)などを箇条書きにする。他人から見たら、大根と、仕事上の課題が並列なのはちょっと滑稽だが、私には等価だ。書いていく中で、自分にとって大切なことが可視化できるようになってきた。

プリミティブな喜び

 社会人になって20年余り。前半10年は、望んだ仕事でわかっていたとはいえ、泊まり勤務もあり、不規則な生活だったため、ロングスリーパーなのに睡眠時間が確保できず、常に3割は眠ったような頭で日々を暮らしていた。その晴れないもやもやが続くことに恐れを感じて「社内転職」をし、職種を変えた。それでだいぶ、好きなこともできるようになったし、頭もクリアになった。でも、「このままでいいのか」という不安は、山道で急に周りに霧がたちこめるように、予期せぬ時にたびたび襲うようになった。仕事に不満はない、趣味も順調、でも。

 その「でも」のあとに何が続くのか、自分でもよくわかっていなかった。それが、この週末日記のおかげで、自分が何に喜びがあって、何を我慢しているのか、出来事と感情の動きとの因果関係が、自分でわかるようになってきた。それで、思った。私はやはり、文章を書くことを基軸にしたものごとが好きなのだ。

 「社内転職」前は、文章を書くことが仕事の中に必ず含まれていた。無機質なものを淡々と短い時間で書くことを求められることもあれば、凝った表現やことば選びに時間を割いて書くことを許される場面もあった。私はその仕事の時に、常に寝不足で7割しか働かない頭をフル回転させなければならなかったこと、土日も仕事が入ること、急な呼び出しがあればしばらくプライベートを捨て置かなければならないことがストレスだっただけで、人と会うこと、調べること、文章を書くことは嫌いではなく、むしろ好きだ、ということに改めて気づいた。

 それならば、もう一度、人前で、それが駄文でもなんでも、書き続けてみようと考えた。そう決めてから、一丁前にスマホのメモ帳に「ネタ」なる項目をつくり、思いついたことの走り書きを放り込むようになった。それが少し溜まってきたので、やっと腰を上げたのが、2023年6月14日(水)だった。

 私のただの日常や思ったこと、感想めいたものが多くなると思うが、とりあえずここでしばらく、不定期にでも書いてみようと思う。エッセイ風のものが多くなるとは思うが、もし、読んでやってもいいよ、という方は今後もお付き合いいただけたら、これほどうれしいことはない。

伊吹綾香のつらつら日乗


ということで、名前(ペンネーム)も、趣味で使っている芸名に変えることにした。伊吹綾香のつらつらとしたエッセイ(など)、今後どうぞごひいきに。

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