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脅かすと驚かす

遠い親戚のおばちゃん

 土日に活動している趣味の音楽活動には、お子さん連れで来ている方もいる。時には、稽古場の一角に託児所ばりのスペースができていて、乳幼児が集っていてにぎやかだ。そのうちの一人、3歳のNちゃんは、私ともよく遊んでくれる大切な友だちだ。(キャラクターのミニオンが好き、という共通点もある)

 子のいない私にとっては、ほかのご家庭のお子さんの成長を見守ることが自分のささやかな楽しみであり、そのお子さんを通じて、子育ての一端をほんの一瞬、疑似体験したり、垣間見たりする貴重な経験をさせてもらっている。そのお子さんにとって、親でもきょうだいでもない私は、「遠い親戚のおばちゃん」のつもりで接するようにしている。

 Nちゃんはそれこそ生まれる前から知っていて、これまでコロナ禍真っ只中に育っている割には比較的頻繁に会うことができているため、「関係性」が少しだけできている。今、彼女は人見知りをするようになり、相手との距離感を確かめて接することができるようになってきた。ああ、これって成長だな、と素直にうれしいし、私のことを呼んで求めてくれていたのに、いざ目の前で話せる状態になると私から目を背ける感じもいとおしい。また、空間・時間的に距離感のある人にはわがままを言わないようにもなってきて、ウチとソトの区別が形成されつつあるようだ。春から集団保育が始まった影響もあるのかな、などと勝手に考えていたりもする。

おばちゃんなのに、おねえちゃん

 私自身は30歳半ばを過ぎたくらいから、小さいお子さんへの自称は「(遠い親戚の)おばちゃん」なのだが、このNちゃんはなぜか私を「おねえちゃん」と呼んでくれる。親御さんたちがあだ名で呼ぶ人のことは、Nちゃんもそのあだ名で呼ぶのだが、私のことは割と「名字+さん」だったから呼びづらい&覚えづらいのかなと思ったりする。なんにせよ、40歳も過ぎて、純粋な「おねえちゃん」呼びはとてもうれしいので、Nちゃんの前では私も自称を「おねえちゃん」に改めている。

 私自身シャイなところがあるせいもあり、全力で変顔をして和ませたり、おどけたりしてお子さんを喜ばせるのは苦手だ。(それができる人、できるようになった人は本当に尊敬している)その代わり、お子さんだからと特別扱いせず、「人と人」として、相手が何を欲しているか、何をしたら喜んでくれそうか、大人と同じような方法でコミュニケーションをとっている。

 Nちゃんとの遊びはもっぱら、Nちゃんの仕掛けに乗ることだ。階段の上から声がすると「あれ、Nちゃんいるのかな、どこかな」と呼びかける。Nちゃんは巧みに身を隠しながらそろそろと下に降りてきて、手すりの途中からぱっと顔を出す。「あー、Nちゃんいた」とこちらは喜びをそのまま口に出すのだが、そのすきにNちゃんは階段をちょっと上って身を隠したりする。「Nちゃんもういなくなっちゃった」とがっかりすると、「ここだよ」と得意顔のNちゃんがまたぴょこっと顔を出す。そんな遊びだ。

 いつもやっていることだけれど、この前は階段を上った先にいた母親に「おねえちゃん、おどかしちゃった」と言っているのが聞こえた。おそらく「驚かしちゃった」と言いたいのだろうな、と思いながら、「脅かす」と「驚かす」は似た響きながら結構ニュアンスが違う言葉だな、と再発見した。私はびっくりはしたけれど、怖がってはいないからなあ。うんうん。こうやって、彼女はどんどん言葉やコミュニケーションを覚え、大きくなっていく。他人のお子さんですら、成長がうれしくもあり、寂しくもあるのだから、親御さんだったらその何十倍も感情のふり幅が大きいのだろう。

できることが増えていくのが子育て、その逆は

 一方、できていたことができなくなっていくのが、老いであり、そこに付随することのある状態の一つが認知症だ。コロナ禍で対面の機会を減らしている間に、義理の叔母、そして義母が相次いで認知症と診断された。子育てには希望があるが、認知症の身内の世話は、結構気がそがれていくことが多い。晴れぬ霧に迷い込んで、居場所や、自分の置かれた状況がわからなくなっていく不安は、当事者が感じていることで、私は同じ立場になることも、直接助けることもできない。だから、認知症になるとどういう知覚になるのかを本などで学んで、何が起きているか想像しながら、寄り添う方法を考える。昨日できたことが今日できない、今日わからなかったことだけれど、翌日には少しできるようになっている、と揺れ動く症状の中で、私の心も揺れる。

 義理の叔母は遠方におり、幸い身内と呼べる方が手と心を尽くしてくださったおかげで、我々のやることはそこまで多くない。ただ、コロナ禍のせいで現在も面会制限があり、何年も会えていないのだ。義叔母は、実子がいなかったこともあり、甥である義兄や夫をずっとかわいがってくれている。私も結婚してから一人で泊めてもらったり、語学の本を譲ってもらったりと世話になった。早く会いに行きたいが、コロナが恨めしい。

 義母の場合は、我が家から2駅ほどのところ(義母の家にそれなりに近いエリアを選んだ)なので、一時期は夫と義兄と私で、食事を届けたり、病院に連れだしたり、ごみを捨てたりという世話をしていた。ランチを食べに出た店先で転んで、お店の人が救急車を呼んでくださり、急いで病院に駆け付けたこともあったが、幸いにも大事に至らなかった。

 とはいえ、私はこの一件で、義母の認知症がひどくなっていることを悟った。それからは、一人暮らしの義母が「転んで大けがをするのではないか」「やかんの火をつけたまま忘れてしまわないか」「ストーブでやけどをしないか」というのが特に恐怖で、気が気ではなかった。特に失火は、一気に命を脅かすのはもちろん、被害や周りへの損害が大きいため、これだけは避けなければとずっと気になっていた。

 そんなことを思っている間に義母は投薬管理ができなくなり、持病が悪化して年末から入院した。その後施設に入ってもらったため、日々の生活はできているが、義兄のところにはかなり頻繁に、一方的な着信(耳が遠く、電話で相手の声が聞き取れない)が続いている。こちらもコロナ禍の制限の関係で、退院時に見送って以来会えていない。

 実の両親も後期高齢者だがまずまず元気で、この前も車に乗せて隣県にある父方の墓参りに行った。母はといえば、私と同じ量の食事をほぼ同じ速さで食べ終わり、私の音楽活動の公演にも電車を乗り継いで足を運んでくれるくらい元気だ。やはり食が細くならないことは健康長寿の上で大切なのだなと思う。

 父は病気の後遺症もあって歩くこと、立ち座りが不自由な部分があるが、杖があればある程度の距離は歩ける。墓参りの時は、一緒に草むしりをしたりして、結構頑張っていた。私は一人っ子なので、両親のことは夫と私で見ていかねばならないが、現時点で両親だけで生活が回っていることを本当にありがたく思っている。

支えられながら生きていく

 といったわけで、私の身内のことに目を向ければ、老親3人と叔母のことになり、前向きになれないこととも向き合っていかなくてはならない。そんな日々に「遠い親戚のおばちゃん」として接することのできる幼い友たちの存在は、とてもありがたく心の支えになっている。(幼い友、という中には小学生くらいまでを含んでいる。Nちゃん以外にも何人か、心の友はいて、私の最年少のLINE友だちは、小学6年生。たまにしかやり取りをしないが、彼女も私にとっては大切な友人だ)

 当たり前のことだが、人は家族のみで生きるのでも、生かされるのでもない。関わったり、やり取りをしてくれる皆様のおかげで、私は生かされていると実感する。私や私の家族にかかわってくださっている皆様に感謝。そして、私を比較的自由にさせてくれている一番近い身内にも感謝。(これを忘れちゃあいけないのだった)これからも、幼い友にいっぱい驚かせてもらおうっと。

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