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小3 録音は本人の許可を取って

人の声を録音したりそれを聞いたりすることができたら面白い、と考えたのか、テープレコーダーって何に使うのかな、と子どもながらに思った。

父はテープレコーダーというものをテレビで知って、すごいものができたと大はしゃぎしていたが、母の反対もよそに、ついに我慢できずに買ってきた。

「人が気づかないようにして録音することが大事」と父は言って、丸いお膳の下にテープレコーダーをセットした。

家族みんなテープレコーダーがそこにあることを知っているので誰もしゃべらない。なぜか身振り手振りで話そうとする。笑いそうになると、あわてて立ち上がり台所に逃げる。

音は何もしないが、テープはくるくると回っていた。

「これでは何も録音できない」と父は怒り出した。

それなら父が何か話せばいいものを、それもイヤなようだ。
ついにテープレコーダーをひっぱり出して、今度はお膳の上に置いた。

目の前でテープが回っているのを見ると、さらに誰も話せなくなった。

ついに父はしびれを切らしてしゃべりだした。
「えーと、うーん、えへん、えっへん・・・」と意味のわからないことばを発した。
「よし、とりあえず聞いてみよう」テープをシュルシュルと巻き戻して再生ボタンを押す。

「えーと、うーん、えへん、えっへん・・・」

さっきのお父さんの声だ

「大丈夫だな」

普段はあまり家族との会話が少ない父が勇気を出して自分の声を録音したので、私は父の素の姿(ハダカ)を見てしまったような気になって、もう録音されることが恥ずかしいとか言えなくなった。
でも、だからと言って録音するような話はない。小学生の女の子二人と母である。

それからというもの、父はテープレコーダーをあちこちにセットして私たちの会話を録音しようとした。(今なら立派な盗聴だ)

ドッキリさせるつもりかもしれないが、テープレコーダーが発見されるたびにイヤな思いがした。それを再生される本人はたまったものじゃない。

「お父さん、もうやめてよ」と何回も言ったのを覚えている。

あまりに姉と私が嫌がるので、父はもう録音しなくなった。

その後、カセットテープというものが世に出てからは、録音することが大ごとではなくなったが、もうその頃は姉も私も子供ではなかった。父はビデオ録画のように子供時代の声を残しておこうとしたのかもしれない。

父は当時写真の仕事をしていて、勿論暗室もあり、家には姉と私の子供時代の写真がミカン箱にいっぱいあった。贅沢な話だが、いつもカメラを向けられていたので、写真が嫌いだった。

父が生きている間は携帯電話もインターネットもなかった。さらに自動にピントが合うカメラもなかったのだ。1965年の頃だ。

「写真の仕事は機械に任せられる時代が来る」と言っていた父は先見の明があった。定年を見据えて週末になると実兄のところで尺八制作の修行をして、定年と同時に自分で工房を始めたのだった。それは見事に成功した。


今も父が生きていたら、次から次へと新しい電子機器を買って使いこなしていただろう。

写真を撮ってデータをパソコンに入れて画面上でトリミングしたり、背景の余計なものを消したりしているのを天国から見て、もう少し長生きしたかったな、と思っているに違いない。

私も父のおかげで新しい機器にまごまごすることもなかっただろう。

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