20歳のとき、女一人でアメリカ大陸横断しました。⑥いよいよニューヨークへ!!

こんにちは、Kayoです。私はシアトルに留学していた夏休み、「何かやってみたい」と思い、アメリカを横断することにしました。 参考:20歳のとき、女一人でアメリカ大陸横断しました。①きっかけと準備編

とはいえ、アメリカは日本の比にならない大きさ。一口に鉄道で横断といっても、全行程12,000km、乗車時間は120時間の大掛かりなもの。 それでもロマンを求め、最後の目的地をニューヨークに据え、旅立ったシアトル。

120時間の乗車の末、無事に東海岸にたどり着いた私はいよいよ旅の最終目的地、ニューヨークへ向かいます。


20歳のとき、女一人でアメリカ大陸横断しました。⑥12,000km、120時間の移動を終え、いよいよニューヨークへ!!


最後のアムトラック

夏のニューヨークは全く宿が取れない・・・そんな悩みをFaceBookで解決することができた私は安心してシャーロッツビルからニューヨーク行きのアムトラックに乗った。

これが大陸横断最後のアムトラックだ。シャーロッツビルからニューヨークの乗車は6時間30分だった。 これまですでにアムトラック内で110時間を過ごした私にとって、この6時間30分は一般の人の1時間くらいの感覚だった。人の慣れってものは、すごい。


最後のアムトラックでも、私はひたすら窓から風景を見て過ごした。


ハロー、ニューヨーク!!

ガタンガタン、プシューっ、キイィーーー。

アムトラックはとうとう最終目的地のニューヨークに着いた。 着いたぞ、着いた。私は電車を降り、ホームへ出た。

アムトラックのニューヨークの駅は「ニューヨーク駅」ではなく「ペンシルベニア駅」だ。そこから恐らく地下鉄か何かで中心地に行ったと思う。あまり覚えてない理由も、私はとうとう夢のニューヨークに来た事への感激で小さいことは覚えていないのだ。高ぶる気持ちを抑えながら私はホステルに荷物を置くこともなく、マンハッタンへ向かった。


マンハッタンの交通機関はもっぱら地下鉄

「マンハッタン」と「ニューヨーク」の違い


マンハッタンの交通機関をお伝えする前に大事なニューヨーク基礎知識をおひとつ紹介。「マンハッタン」と「ニューヨーク」について、どちらも日本では同じように使われているが、実は少し違う。

マンハッタンは、私たちが思い描くニューヨークの大都市の島のことだ。下の地図の左上の細長い島のことを指す。タイムズスクエアやウォール・ストリート、SOHOやセントラルパークはこのマンハッタンにある。

画像:あっとニューヨークより

一方ニューヨークは、ニューヨーク市を指すことが多く、マンハッタン以外の部分、「クイーンズ区」や「ブルックリン区」なども含まれる。


もっとも、ニューヨーク在住でないアメリカ人と話すときはニューヨークというとニューヨーク州と思われることもあるので会話の際は、マンハッタンなら「Manhattan」、ニューヨーク市なら「City of New York」ニューヨーク州なら「New York State」などと言い分けよう。


そのマンハッタン、交通網はもっぱら地下鉄である。地下鉄というと、日本では普通だが、アメリカだと珍しい。アメリカかは飛行機とバス文化だから、そもそも電車、しかも地下鉄はめったになく、「ニューヨークに行ったら地下鉄!」というイメージを持っているアメリカ人が多いのだ。


マンハッタンの地下鉄は「Uptown」と「Downtown」のみ
そしてそのマンハッタンの地下鉄はとっても使いやすく、一本しかない。

「一本しかない」はさすがに言いすぎに聞こえるが、行き先は「上り」と「下り」だけなのだ。ただ日本でも「上り」と「下り」の考え方はあるが、ニューヨークのそれはちょっと違う。

ニューヨークでは「Uptown」と「Downtown」という言い方をするが、「Uptown」は北行き、「Downtown」は南行きと覚えよう。日本の「東京に向かうのは上り、東京から遠ざかるのは下り」という考え方とは違うので注意しよう。


マンハッタン観光の中心は南部

さて、私はそのシンプルな路線しかないマンハッタンの地下鉄に乗り、マンハッタン観光の中心部である南部「Downtown」に向かった。マンハッタンの地下鉄といえば、想像していたのはさぞかしきらびやかな最先端地下鉄だったが、実際はかなりシンプルだった。

というか暗くて、人が少ないと恐ろしい雰囲気だ。線路には猫のような大きいネズミがいるし、なかなか・・

アメリカは文明の発達が早かった故に、地下鉄などの交通網は設備が古い。日本のは比較的新しいから綺麗だが、アメリカでは産業の発達を証明するものがオンボロということはよくある。

とはいえこのマンハッタンの地下鉄は以前に比べると確実に治安が良くなった。約20年前はニューヨークというのは女ひとりで歩けない街だった。特に地下鉄なんて犯罪の巣窟。というのもニューヨークの地下鉄に乗っていると車内がよく真っ暗になのがその理由の一つだ。

地下鉄が走っている途中で真っ暗になることは今も変わらないが、今はかなり治安がいいので安心して夜も地下鉄に乗ってくれたまえ。ニューヨークは他のアメリカの地域よりよっぽど安全な街だから大丈夫だ。


ニューヨークダウンタウンへ

地下鉄でダウンタウンへ向かおう。さて、どこに行こうか、やはりニューヨークといえば「タイムズスクエア」ではなかろうか。映画やTVでおなじみ、ニューイヤーには盛大な盛り上がりを見せるニューヨークの中心地、タイムズスクエアへ私はホステルにも寄らずにまっすぐ向かった。

タイムズスクエアへ。これぞニューヨークだ!!
私はタイムズスクエアの駅に着いた。階段を登ると・・・わーー、人が多い!!!!

私が思い描いていたタイムズスクエアより、断然人が多く、歩けるかどうかというごった返し状態だ。映画やTVで見るタイムズスクエアはもっと落ち着いている気がするが、実際に行ってみると迫力が全然違う!とにかく本物のタイムズスクエアは賑わっている!

そしてあの有名な広場には、

パフォーマンスをする人もいれば、

へんな人もいる。

警察に注意されているカップルなどもいる。


タイムズスクエア周辺の看板には「MAMMA MIA!」や「LION KING」などの看板がひしめき、「私もいつか金曜のアフターファイブにミュージカルを観に行きたいわ」なんて夢が膨らむ。


タイムズスクエアからちょっと歩くと、人でごった返すSTARBUCKSや、おもちゃ屋内に観覧車のある今はなき「TOYSRUS」がある。全部映画で見た風景だ。テンションが上がる上がる。

タイムズスクエアは夜になってもたくさんの人で賑わっていた。みんな寝るときはあるのだろうか?


ニューヨークのお宿

さて夜になった。ニューヨーク1泊目はようやく取れた50ドルのホステルだ。1泊50ドルというのは、相部屋スタイルのホステル界では超高値である。ホステルの通常相場は1泊20ドルだが、ニューヨークは宿の供給が追いついておらず、むちゃくちゃ高い。

試しにBooking.comでニューヨークのホステルを探してみてくれ。一人1泊1万円なんてのも出てくる。

<例:Booking.comより>

とにかくニューヨークのホステルは高い。私が泊まったホステルは市街地からかなり離れていたものの、50ドルだった。それでも空いているだけましだ。本当に夏(8月)のニューヨークなんて全く宿がとれないので、旅行が決まったらすぐに宿を取ろう。


ニューヨークでディナー・・・は、夢のまた夢?

夜になってお腹が空いた。「せっかくニューヨークに来たんだし、美味しいレストランで・・・」というのが一般的なニューヨーク旅行者のディナーだが、「学生ひとり旅 x ニューヨーク = お金がなさすぎて家メシ」の方程式が現実だ。

ニューヨークのレストランなんて、軽く一皿50ドルはする。他のアメリカの地域なら15ドルくらいの食事なのに。それでも一緒にご飯を食べる人がいればニューヨークの破格レストランに挑戦するかもしれないが、一人ならCampbellのクラムチャウダーで十分だ。私は今日もクラムチャウダーと、りんごを食べて床についた。


ニューヨーク1日目、終わり

憧れのニューヨーク1日目はNYCの中心であるタイムズスクエアを楽しむことができ満足だった。

さて明日はどうしようか・・・そうだな、ニューヨークのメイン公園、「セントラルパーク」と、個人的に興味のある「ウォール・ストリート」、に行ってみよう・・・私は都会の喧騒を耳栓で塞ぎながら眠りについた。


ニューヨーク2日目、始め〜セントラルパークで朝活を

朝だ。私はホステルの無料朝食の食パンを3枚かぶりつき、熱いインスタントコーヒーをすすり、りんごを2つ掴んで、セントラルパークへ向かった。

セントラルパークといえば、ニューヨークが舞台の映画やドラマには必ず出てくる、NYを代表する自然の広場だ。「パーク」を日本語で言うなら「公園」だが、アメリカのパークと日本の公園は規模が全然違う。

下の地図を見ればお分かりいただけるが、マンハッタンの1/3の長さに広がる緑の四角いゾーンがセントラルパークだ。南北4kmにまたがる。

上空写真で見るとこれだ。

パークといえど、中には湖のような池があったり、サイクリングコースもあったりで、1日アクティビティができる。まさに都会のオアシスだ。

当時の私はスマホもなく、インターネットで検索できなかったから、セントラルパークがここまで広いとは知らぬままパークへ入っていった。パーク北部から入っていった私は歩けど歩けどどこにもたどり着かず、諦めて一旦外に出た。

ずっとこんな風景が続くのよ。


電車でセントラルパークの中心部へ行く

セントラルパークを出た私は、パークの中心部へ行くため、一旦地下鉄に乗ることにした。同じ公園内を移動するのに電車を使うなんて、やはりパークの広さを感じる。

セントラルパークでホットドッグ!

セントラルパーク中心部の駅に着くと、急に人が増えた。セントラルパーク北部は閑散としていたけど、中心部は「ザ・マンハッタン」って雰囲気だ。

「セントラルパークといえばホットドッグ」というイメージがあるのは私だけか?私はおもむろにパークの前に店を出している小さなホットドッグ屋で2ドル50セントのホットドッグを買った。

そしてセントラルパークでほっそ〜〜〜いビルを眺めながらホットドッグにかぶりつく!!

アメリカのホットドッグはレタスなどは入っておらず、パサパサのパンにウインナーが挟まっているだけだ。野菜といえば、上に乗っている甘めのハラペーニョソースと、ジャムみたいなトマトケチャップぐらいだ。

ホットドッグを食べていると、アメリカ名物「スクワレル」というリスちゃんもやってきた。

セントラルパークはあまりにも気持ちよくて、ホットドッグを食べ終えた私は大の字になって昼寝をした。もちろん貴重品も持っていたが、治安もわりかしいいので気にせず眠ることができた。


リーマンショック後のウォール・ストリートへ

さて、セントラルパークを出た私はマンハッタン南部の「ウォール・ストリート」へ向かった。

ウォール・ストリートといえば世界の金融の真ん中だし、リーマンショック後の状態が知りたくて私はまた地下鉄に乗って向かった。

地下鉄を出てしばらく歩くと、「いかにも」なウォール・ストリートが出てきた。

おお〜

「ウォール・ストリート」その名前の由来は知らなくとも、この写真を見ればだいたいの予想はつく。

高層のビルが間隔を空けずに立ち並び、その間を歩く者はまるで壁と壁の間をすり抜けているような、そんな圧迫感がある。

サブプライムローンの崩壊から端を発したリーマンショックから2年、いつもは賑わっているかもしれないウォール・ストリート。

だが私が行った時はビジネスマンは誰一人おらず、物々しさを増していた。それは休日だったからかもしれない。それでもこの静けさには一種の異様な空気を感じた。

「物々しい」となんども言っているが、それが街自体のモノトーンなかっこよさを強調している。

ウォール・ストリートではかっこいい写真がいっぱい取れる。今で言う「インスタ映え」間違いなしな風景ばかりだった。

ちなみに観光者で「ウォール・ストリートへ行きたい!!」と言う人は少ないかもしれない。でも、この映画を見たら絶対にウォール・ストリートに行ってみたくなる。


ニューヨークに引っ越してきた友達と合流!

ウォール・ストリートを出た私はケータイにメールが入っているのに気づいた。

「Hi, Kayo-chan 🙂 I am coming to you, where are you now? (こんにちは、かよちゃん。今から会いに行こうと思っているんだけど、どこにいるかな?)」


メールの送信者は、2日前に私がFaceBookで「ニューヨークで泊まる宿がない!」と叫んだ時に「私、ニューヨークに引っ越しかたら、泊まる??」と、天使の提案をしてくれた友達だ。

私はすぐさま「ウォール・ストリートにいる」と返事をし、彼女を待った。


ニューヨークで友達と合流

30分後、彼女と無事に落ち合うことができた。彼女の名はFaith。まさかシアトルで出会った女の子とここニューヨークで再開できるとは・・・と思うが、世界を旅していると国境を越えて偶然また会う・・・という人が出てくるので珍しいことではない。

Faithがニューヨークに来たのはほんの2週間前という。本当にタイミングが良すぎる。ラッキーだ。

ニューヨークに来たばかりのFaithはまだほとんどマンハッタンを観光していないらしい。だからここからは2人で観光することにした。


9.11テロの被災地へ

Faithはここニューヨークで行きたいところがあるらしい。私はそれについていくと、そこは「9.11」の被災地、そう「The World Trade Center (世界貿易ビル)」だった。

これが世界貿易ビルだ。

一度は崩壊したものの、今(2011年)は再建が進んでおり、元の形を取り戻しつつあった。

世界貿易ビルの周りには、被災して亡くなった人たちの写真や、家族や友達から亡くなった人たちへのメッセージ、そしてお花がところせましと並んでいた。

あの悲劇からちょうど10年。まだこのビルの周りは悲しみに包まれていた。

Faithがなぜここに来たっかというと、ちょうど飛行機がビルに突っ込んだ時、Faithのお兄さんがこのビルで働いていたらしい。

お兄さんは助かったそうだが、あの光景をテレビで見ていたFaith一家は気がき気ではなかったという。


教会へ

世界貿易ビル跡地と再建中のビルを見て、しんみりした私たちはこの流れで教会へ向かった。Faithは真摯なキリスト教者だが、最近は忙しくて教会に行けていなかったらしい。

私たちはウォール・ストリートに近い教会に向かった。

さすが教会はステンドグラスなどの装飾が綺麗だ。忙しいニューヨークにてひと時の静かな時間を過ごした。


ブルックリンでゆっくり就寝

さて、今日もマンハッタンをしっかり観光した。今晩から3日間、Faithの家にお世話になる。

Faithの家はBROOKLYNにあった。一人暮らしだが、2DKのアパートを3人でシェアしているという。

アメリカで1Rや1Kと行った一人暮らしの家はほとんどなく、2DK、3LDKのような家をシェアするのが一般的だ。

私は布団をもらい、リビングのソファに横になった。ちょっと乾燥機が回っているのがうるさかったけど、今晩も安心・安全に眠れることに感謝をしながら眠りについた。


ニューヨークに来て2日目。さすがニューヨークは見るものがたくさんある。

次回はいよいよ最終回!自由を求めて自由の女神様の足元に船で向かいます、が・・・・乞うご期待!

最終回:アメリカ大陸横断記⑦最終回

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