【小説】有限会社テンジク
「そやけど、こないだの社長の話、めっちゃ長かったなぁ?」
足を組みながら目いっぱい背もたれに背中を預けているハッカイが言った。
お気に入りのジーパンは濃いめで、ほぼ毎日これを穿いている。穿きこんで色を落としていくのだという。洗濯は年に1 度だけ、汗をかききった夏の終わりである9 月を目処にそれを行う。脱いだ状態でフロントにあるすべてのボタンを丁寧に留めたら、くるっとそれを裏返し洗濯機に入れ、ジーパン1 本に対し最大水量である65リットルのスイッチを押す。その際、洗剤は一切使わない。水のみだけで洗うという徹底ぶりである。ジーパンを裏返す理由は洗濯槽内での摩擦により余計な色落ちをさせない為だ。
これほどまでにこだわったジーパンを穿いている割には、トップスは何の変哲もない水色のジャンパーで、椅子の背もたれから僅かに見える背中には、アルファベットで「TENJIKU」と書かれてあった。ハッカイがのけ反る度に、椅子の背骨が「ぎしっ、ぎしっ」と音を立てた。
「ホンマ長かったなぁ……ジジィ、何回も同じ話しやがって。あれ聞くん何回目やねん」
ゴジョーはそう相槌を打ったが、視線はスマホの画面に夢中だ。ハッカイとまったく同じ水色のジャンパー。2 人が着ているジャンパーはどうやら会社のそれらしい。けしてそれを着ないといけない規則はないが、2 人ともそれを着ている。ゴジョーは左手にスマホを持ち、右手は人差し指と中指でタバコを挟んでいる。タバコを吸いながらゲームをするので、基本的に薬指を使って画面をタップする癖があり、ハッカイにはいつもゴジョーのそれが何ともマヌケに思えた。
事務所には、事務員用の机が並んで2 つ、その横にパソコン用の机が1 つ、その3 つとは背中合わせに、誰も使っていない机が1 つあるだけだ。あとはコピー機が1 台、業務用のプリンターが1 台、背の高い書類棚と低い書類棚が1 台ずつ。大きく幅をとるものはそれくらいだろう。壁にはシフト表や従業員の連絡先などが張り出されているが、特に散らかった様子もなく全体的に整理されている。これといって特徴のない事務所である。
事務員が郵便局に行っているので、事務所には2 人しかいなかった。2 人しかいないからこそ、安心して社長のシャカの愚痴をこぼすことができる。
2 人の会社の社長であるシャカは幼少期の苦労もあってか、仕事一途で、酒も飲まず、タバコも吸わず、遊びらしい遊びをしない。その気質で会社は中小企業ながら、年間で億が回るほどに成長し、一代でその財を築いた。反面、融通がきかず、頑固極まりない。おまけに負けず嫌いで、プライドが高い。「ワシの右に出るもんはおらん」と、完全にワンマンタイプの社長。まさに天上天下唯我独尊である。御年75歳になった今でも現役でいられるのは、そのおかげかもしれない。
「まぁな。おシャカさんの話は昔から長いって決まっとるからな。はよ、ホンマに代替わりしたらええねん」
ハッカイは組んだ足をぶらぶらさせながら言った。
会社は6 年前に、前所長であるシャカから、その息子のゲンジョーへ、所長としての役職が引き継がれた。会社の名義も、表向きはゲンジョーとなっている。しかしながら、社長としてシャカが人事と資金を握っているので、代替わりしたといえど実質的には何も変わっていない。
「おい、聞いとんかっ!?」
ハッカイはぶらぶらさせたついでの足で、勢いよくゴジョーの足を蹴った。
「痛いっ! 聞いとうよぉ……」
蹴られたのはゴジョーの脛、弁慶の泣き所だった。きっと痛いはずだろう。それにも関わらずゴジョーは笑っていた。根っからのいじられキャラ、根っからのドM。眉毛の尻が下がった顔は何とも締まりがない。
44歳にして独身のゴジョーはゲームのこと以外に興味がなく、服装や身だしなみなんてものには、まったくをもって無頓着である。事実、ハッカイと違ってゴジョーはいつもジャージパンツを穿いている。確かに動きやすいといえば動きやすい。その膝は少し薄れ、かかとの裾も傷んでいる。そんな様子であるからして、女性とも縁がない。縁がないというより、興味があるのかどうかすら分からない。ゴジョーの身だしなみといえば、数ヶ月に1 度、近所の床屋に髪を切りに行く程度だ。美容院でもないのにカット料金はそこそこ高かったりする。床屋では顔剃りをしてもらうので、散髪の直後は眉毛がキリッとして若返ったように別人に見えるのだが、今のゴジョーは眉毛と共に髪の毛も伸びっぱなしである。その頭頂部は他に比べて少し薄い。
ゴジョーはハッカイより5 歳も年上だが、2 人の関係は完全に対等、もしくはハッカイの方が上回っている。
「でも、所長があれじゃあなぁ。どっちもどっちやで」
ゴジョーは蹴られてやっと視線をハッカイに戻し、そう答えた。スマホの画面を下に向けるように机の上に置くと、箱から新しいタバコを1 本取り出した。
シャカが未だに現役を退けない理由も分かる。というのも、ゲンジョーは完全なるボンボン気質なのだ。仕事嫌いで定時にはサッと帰る。仕事熱心なシャカとは正反対の性格だ。金に苦労せず育ったので金銭感覚もおかしく、欲しい物はすぐにネットで買う。受け取りがめんどくさいのか、会社の住所で注文するので、会社には次から次とゲンジョー宛の荷物が届き、従業員は宅配便の箱が来れば、すぐに彼が何か買ったと分かる。箱の中身はだいたいがプラモデル。会社の2 階にある一室を私物化し、出勤中にも関わらず、ほとんどそこでプラモデルを作って過ごしている。挙句、買い物も飲食も何かと経費で落とすので、事務員も呆れている始末だ。シャカにとっては、息子のそんな姿が悩みの種のひとつになっている。
「ゲンジョーの現状に悩むシャカ」
ハッカイがくだらないダジャレを言った。すると、ゴジョーが吸っていたタバコに少しむせ、プッと笑うと、今にも落ちそうだった灰を灰皿にトンと落とした。
「おい、カッパ。このままではシャカの頭がおしゃかになるぞ?」
「ちょ、やめろや!」
ハッカイは追い討ちをかけるように言い、ゴジョーが笑いをこらえられない様子を見ると嬉しそうにしていた。
ハッカイは実にくだらないと思いつつも、ダジャレを言う癖がある。ふと頭に浮かんでしまうらしく、面白い、面白くないは別として、言わずにはいられない。
何よりゴジョーの笑いのハードルが極端に低いのを知っている。ハッカイが何かふざければ、ゴジョーは絶対に笑う。ハッカイからすれば、ゴジョーは絶対的な観客であり、容易に悦に入らせてくれる相手だった。
「でも、ああ見えて、オッ所さんは会社のこと考えとるで?」
素に戻ったハッカイが言った。2 人はゲンジョーのことを陰で「オッ所さん」と呼んでいる。
確かに昔かたぎで頭が固いシャカは「時代やなぁ……」が口癖になり、その時代とやらについていけなくなりつつあった。時代への適応力では、まだ柔軟性があるゲンジョーの方に軍配が上がる。
従業員に対しても、雇用主として給料を支払っているかぎり「使ってなんぼ」と思っているシャカとは対照的に、自分も楽がしたいから従業員にも楽をさせておきたいというゲンジョーの方が、近年の働き方改革にはマッチしている。
それに右肩下がりのこの業界を、今後どう乗り切っていくかを考えているのは、意外にも柔軟性のあるゲンジョーの方だった。
社長のシャカ、所長のゲンジョー、どちらにも良し悪しはあるのだが、ハッカイはまだゲンジョーの方が気楽で仕事がしやすいと思っている。
「だいたい最近は、ネーさんが社長に何も言わんからアカンねん」
会社の行く末を嘆くハッカイをよそに、ゴジョーはまたスマホの画面を薬指でタップし始めていた。
ゴクーのことを2 人は「ネーさん」と呼ぶ。ゴクーは、社長の代から働くベテランで、女性にも関わらず会社の草創期を支えたエース中のエースである。現在は主任として、社長、所長に続く会社のナンバー3 だが、ゲンジョーが子どもの頃から働いているので、ゲンジョーに対しては子ども扱い、発言力ではナンバー2 だった。シャカからの信頼も厚く、頑固なシャカと対等に会話ができ、意見できるのもゴクーだけだった。天上天下唯我独尊のシャカが、唯一、弱みを見せることができるのもゴクーだけであり、事実、親子関係の良くないシャカとゲンジョーの間に入るのも彼女の役目である。
「ゴクーさんが男やったら、うちの会社はとっくに乗っ取られとったで」
そうやって周囲の人間にシャカがいつも笑って聞かせるほど、昔のゴクーは気性が荒く、怖いもの知らずで、シャカとも仕事のことでよくケンカをしていた。
そんなゴクーも、今ではとうに還暦をすぎた66歳。孫が3 人いるおばあちゃんだ。仕事では未だに衰え知らずで、従業員の中でもその仕事量、仕事さばきに、そう勝てる者はいないといえど、年齢的に気性は随分と丸くなっている。
「アンタが頼りやで?」
ゴクーはいつもハッカイのことも息子同然に扱い、自分の後釜としてけしかける。ハッカイが入社した理由も、実はそこにあった。将来を見すえ、だらしが無い息子の右腕となる人物を探していたシャカは、ゴクーを通して、過去にこの会社でアルバイトをしていたハッカイを呼び戻したのだった。
ハッカイはそんな理由もあって、基本的にゲンジョーがどうであろうと、自分の役目を果たすべく、常に彼のことを気にかけている。ゲンジョーはゲンジョーで、自分の代わりに仕事をこなしてくれるハッカイには甘い。ただゲンジョーもボンボンゆえのドS 気質なので、ドM のゴジョーの方がいじりやすく、性格的に相性が良いのはゴジョーの方かもしれない。
そういう意味で、実質、今の会社の戦力はハッカイとゴジョーの2 人といえる。そもそも高齢化社会にあって、会社の平均年齢も高くなりつつあり、39歳にも関わらずハッカイが最年少にあたるこの会社では、必然的にそうなるのであろう。
「この先どうなんのかねぇ……」
ハッカイは腕を組みながら天井を仰いだ。そんな調子で会社の行く末を嘆いていると、事務所の電話が鳴った。
「お電話ありがとうございます。妖怪駆除センターのテンジクです」
あきらかにさっきと違う声のトーンでハッカイが電話を受けた。こういう時、決まって電話に出るのはハッカイである。できるかぎり仕事をサボりたいゴジョーに対し、ハッカイは仕事に手を抜けない。ゴジョーが客に対して、オッサンまる出し、アホまる出しで会話をするのが、会社にとって良くないとも思っている。
電話の相手とひと通り話し終えたハッカイは、ゴジョーのスマホから聞こえてきたゲームキャラの口ぶりを真似て言った。
「ゴジョー様、緊急の仕事にございますわよ?」
§
有限会社テンジクは妖怪駆除専門の業者である。妖怪といっても、人間に害のある妖怪と、害のない妖怪がいる。当然ながら、彼らが仕事の対象とするのは害のある妖怪の方だ。
実際のところ、妖怪というものにはその実態がなく、本質はいわゆる念やエネルギーといったものである。そういう念やエネルギーが、人間をはじめとするあらゆる生物や、あらゆる事象、現象に入った時、妖怪としてのはたらきをする。いわば無形でありながら、あらゆる森羅万象、有象無象の元のことをいう。
人間にとって幸福を運ぶ良い妖怪もいれば、不幸を運ぶ悪い妖怪もいる。例えば「神のご加護や仏のお導き」なんて言い方をするのは良い妖怪のはたらき、「魔がさした」なんて言い方をするのは悪い妖怪のはたらきといえる。分かりやすくいうと、その人にとって良い事があった時は「妖怪のおかげ」、悪い事があった時は「妖怪のしわざ」ということである。
ただし、良い事にしろ悪い事にしろ、それが起きた時の念エネルギーが微弱であれば、それは一般的に自然現象に入る。反面、一定量を超えた念エネルギーが集まった場合、それは概念となり、その際に起きた事は「妖怪のおかげ」「妖怪のしわざ」となる。これを妖怪化という。
妖怪は常に、人またはその言葉やしぐさ、それだけではなく物、出来事、自然、その他、ありとあらゆるものに入り、そのはたらきをする。その元となる本質の念やエネルギーこそが、本来の妖怪そのものである。
普段、我々が言う妖怪とは妖怪化されたものをいい、世界各国に伝わる妖怪、幽霊、モンスターなどは、それらが言葉や文章で伝えられていく中、具現化されたり、固定化されたもののことをいうのである。
ハッカイたちが勤務する有限会社テンジクは、そんな中で人間に害のある妖怪を駆除する為の業者である。
§
現場に向かう車を運転しているのはハッカイだ。企業によくある白いライトバン。ゴジョーはのんきな顔をして助手席に座っている。こういう時もハッカイは率先して車を運転する。その理由は、ゴジョーは車の運転が荒いからだった。普段、能天気なゴジョーも、意外に気が短いところがあり、車に乗るとそれが顕著にあらわれる。よく車に乗ると人格が変わるというそれだ。
ゴジョーに運転させると怖いという理由もあるが、何よりハッカイが懸念しているのは、過去に一度、会社にクレームが入った事があるからであった。社名の入った車が荒い運転をしていれば、当然のようにクレームが入る。よってハッカイはゴジョーに運転を任せない。常に会社のことを中心に物事を考えてしまうのがハッカイの性だった。
「ゴジョー様、到着にございますわ」
「もうええって、ハチ!」
出発前に真似たゲームキャラが思いのほかゴジョーにウケたので、行きの車中、ハッカイはとてもしつこかった。
現場となる駅には会社から10分ほどで着いた。
「立てこもりちゃうやん! 全然ちゃうやん!」
到着するやいなや、ハッカイはゲームキャラなど捨てて、急に大きな声を出した。ゴジョーがそれにちょっと驚いて体をビクッとさせた。
「立てこもりって言うから、てっきり屋内かと思ったら、思いっきり屋外やんけ。開放感MAX やな」
ハッカイはそうせずにはいられないと言わんばかりにツッコミを入れる。もちろんドヤ顔でゴジョーに視線を向けた。
「いや。けっこう人おるで、これ」
そんなハッカイを気にもしないゴジョーの視線の先には人だかりができていた。
駅の改札前にある広場。改札の数は9 個あり、比較的、大きな駅だと言える。石畳で広がった改札前広場には、所々にお洒落なヨーロピアン調のポールライトが等間隔で設置されている。
その改札を封鎖するように、1 人の男が女性を腕に抱えて立っている。もちろんといっては何だが、男の手には刃物。刃渡り約17センチの三徳包丁だ。その周囲には半円を描き、制服の警察官に抑えられるように野次馬の人だかりができていた。
§
犯人に怒号を浴びせたり、スマホのカメラで撮影する者を注意する警察官。怒号と妙な緊張感のある静寂。そんな相反する2 つが混じりあった、何ともいえない雑踏の中を、ハッカイはひょうひょうと抜けて行った。
「テンジクでーす。テンジクでーす。はい、すみません。テンジクでーす。通して下さい。すみません。テンジクでーす。はい、通りまーす。テンジクでーす。テンジクでーす」
ハッカイとゴジョーに気付いた私服警官が2 人を呼びよせた。
「あ、すみません。こっちです」
比較的、若い私服警官だった。短髪でいかにも体育会系、いかにも爽やかな彼はハッカイより年下に見える。その事にハッカイはちょっと安心した。
普段からハッカイは警察官が嫌いである。「国家権力の犬め」とかを言ってしまうタイプである。「町民、市民、国民を守る正義の団体が、なぜにああなんだ」とかを言ってしまうタイプである。「だいたい、公務員のくせに偉そうじゃない?」とかを言ってしまうタイプなのである。
あくまでハッカイの経験上だ。「年輩の警察官は横柄な奴が多い」というハッカイのよく分からない思い込みから、彼は若い私服警官を見て少し安心したようである。確かにこの私服警官は物腰が柔らかかった。
「で? どんな感じですか?」
ハッカイが高圧的に言った。
「通報を受けて僕らが来てから30分ほどなんで、発生からもう1 時間くらいですかね」
私服警官の彼は丁寧に答えた。
「けっこう長いですね」
ハッカイが無愛想に続けた。
「調べてもらっていいですか?」
私服警官の彼は懇願するように聞いた。
「とりあえず、やってみますわ」
ハッカイが偉そうに言った。
「お願いします」
頭を下げる私服警官の彼に対し、ハッカイは、したり顔で笑ってみせた。悪い顔だった。この男こそ妖怪ではなかろうか。もしもこれが一般の客相手なら、ハッカイは営業的な笑顔で愛想をふりまき、低姿勢で接しただろう。会社を思って間違いなくそうするだろう。やっぱり、この男こそ妖怪ではなかろうか。
§
妖怪の駆除は、まずそれが妖怪のしわざかどうかを調べるところから始まる。
単純に「妖怪探知機」と呼ばれるその機械は、昔のトランシーバーくらいの大きさがあって、持つと少し手にあまるくらいだ。それこそ今のトランシーバーの方がよっぽど小型化されている。見た目もそれによく似ており、上部にはアンテナとダイヤル。本体には液晶とランプがついている。妖怪の念エネルギーの量によって、液晶に表示された数字は大きくなり、合わせてランプの色が変わる仕組みである。
今回の場合、調べた結果、念エネルギーが大したものではなく自然現象内であれば、警察が犯人の説得や強硬措置など、引き続き事件の処理にあたる。もし念エネルギーが妖怪化しており、事件が妖怪のしわざなら、妖怪駆除業者、すなわちハッカイたちの仕事ということになる。
「ハチ的にはどうなん?」
ゴジョーがハッカイに聞いた。
「やっぱりクサいな。臭うわ」
ハッカイは人より鼻がきくようで、どうやら彼は妖怪の臭いに敏感らしい。ハッカイが職場で頭角をあらわすのも、もちろん仕事に手を抜けない性分もあったが、この鼻のおかげでもある。
ハッカイが言うには、妖怪の臭いはクサくてたまらないらしい。その臭いはハッカイいわく「ちくわが腐った時の臭いと同じ」とのことだ。ハッカイは幼少期に、冷蔵庫のちくわが腐っていたのを嗅いで、おもいっきりえずいた事がトラウマになっている。妖怪の臭いが、そのトラウマのせいで臭いのか、本当に腐ったちくわと同じ臭いなのかは、それを嗅ぐことができるハッカイにしか分からない。
「そっちはどうなん? カッパよ」
ハッカイはしかめっ面で言った。
「ちょっと待って。今調べるわ」
「はよ、してよ!」
ハッカイは子どものような口調で駄々をこねた。ゴジョーはハッカイが妖怪の臭いを嗅いで顔をしかめるのを見るのが好きだった。いつもわざとワンテンポ遅れて探知機のダイヤルを回すのは、この時ばかりはハッカイが弱々しくなるのと、そのしかめた顔が面白いからである。
「はよ、せぇって!」
ハッカイはゴジョーのお尻を蹴った
「やめて。ケツ割れる」
「もう割れとるわ!」
このやり取りは彼らが毎回やっているお決まりのパターンだった。
ゴジョーは妖怪探知機の電源を入れ、電波を合わすように、ダイヤルを調整してはアンテナで探る、また調整しては探るを繰り返した。一番安定したポイントで液晶とランプが反応する。
「364 の黄色! 星3 やな」
ゴジョーはハッカイにそう伝えた。数値が100以下の青であれば、それは妖怪化する前の自然現象といえる。それが101以上の他の色となると、妖怪化した状態。いわゆる「妖怪のしわざ」であり、数値や色によってその悪質さや危険度は変わってくる。
ハッカイとゴジョーの2 人の間では、その度合いを星1 から星5 のレアリティで表現している。
§
「刑事さん、やっぱり妖怪のしわざですね、これ」
ハッカイは先ほどの私服警官にそう伝えた。ただ数分前のハッカイとは違い、今度は笑顔で愛想をふりまいている。一度、圧をかけた割には、会社の評判を落とすまいと急に営業スマイルになっていた。
「じゃあ、すみませんがお任せしていいですか?」
私服警官は引き続きの業務をハッカイに依頼した。
「ちなみに犯人て何か言ってます? 要求とか主張とかそういうの」
「それが、どうも……」
「どうも?」
「自分のSNS アカウントのフォロワーは何で伸びないんだとか、何で誰もいいねしてくれないんだとか」
「しょうもなっ!」
私服警官の話を聞いて、ハッカイがまた大きな声を出した。
「こうなったら無理やりにでもバズらせてやると言って、あの様子です」
「しょうもなっ! めっちゃしょうもないやん。アカン。腹立つわぁ」
ハッカイは憤慨していた。そして私服警官にこう続けた。
「刑事さん、あれ、たぶんね。妖怪フォロフォロのしわざやと思いますわ。本人の承認欲求が妖怪化したやつです。最近、多いんですよ、ああいうの。いわゆる現代妖怪ってやつです」
ハッカイはそう言ったが、妖怪に特定の名前などない。古くから言い伝えられる妖怪に名前があったりするが、ほとんどの妖怪には特定の名前などついていない。
ハッカイはいかにもらしい名前を私服警官に伝えたが、実はただ彼が何かにつけて、いろいろなものや人に名前やあだ名をつける癖があるだけだった。さらにつけ加えて言うと、それらしい妖怪の名前を言っていた方が、ビジネス的には都合がよく、客にとってもしっくりくるだろうという打算的な考えだった。
§
「カッパ、仕事やでぇ」
ライトバンに戻っていたゴジョーにそう伝えると、ハッカイは車のトランクを開けた。
「何て? 駆除してくれって?」
「うん。オレ、今日、スティックでいい?」
「ええよ、ええよ。ハチの好きな方、使えや」
スティックというのは、妖怪を駆除する為の道具であり、見た目はそのままスティック型の掃除機だ。それに対してキャニスター型もある。これら掃除機に似た道具は「妖怪吸引機」と呼ばれる。
妖怪化しない一定量以下の念エネルギーは、自然現象とだけあって、放っておけば自然に消滅する。逆にいうと、妖怪化した念エネルギーは分解さえしてしまえば消滅するということである。つまり妖怪駆除とは、妖怪化した念エネルギーを分解し、消滅させることをいう。
具体的には、妖怪化した念エネルギーを妖怪吸引機で吸いとり、焼却炉と呼ばれる特殊な電磁波を発する機械に入れ、それを当てることによって電子分解させる。電子分解された念エネルギー、つまり妖怪は焼却炉の中で自然に消滅する。これを業界では「焼却する」という。
ハッカイはスティック型の吸引機を取った。ゴジョーのキャニスター型は、本来の掃除機と違って、キャニスター部分を背中に背負わなければならないので、その分だけ重量感がある。ハッカイがスティック型を選んだのにはそういう理由があった。しかし、なぜかこういう時のゴジョーは、ハッカイに対して年上ぶり、いや、お兄ちゃんぶりと言うべきか、何せそういう了見を発揮する。負担のありやなしやの二択になった時、ゴジョーは優先的にハッカイに負担の少ない方を選ばせてやるのだ。
§
「ほな、今から作業に入ります」
「具体的にはどうやるんですか?」
私服警官は初めて見る妖怪駆除に少し興味を示していた。
「掃除機で吸うみたいに、この吸引機で吸うだけですわ。後は会社に帰ってからの作業です」
「吸うってそんな簡単に?」
「いや、まず軽くはがさなアカンのです。人にせよ物にせよ、とり憑いた妖怪を一瞬はがしてやるんです。まぁ、驚かせたり、喜ばせたり。何かしら感情を揺さぶってやったら、一瞬はがれるんで、その時に一気に吸うんです」
ハッカイは丁寧にその様を伝えた。
「何か僕らの交渉と似てますね」
「あぁ、そんな感じですね。気を緩ませるみたいな感じです。怒らせたりしたら余計にややこしくなるんで」
§
犯人は50代半ばくらいの男だった。紺のジャンパーに薄いグレーのズボンを穿いている。
「何か昔住んどったアパートの壁を思い出すわ」
ハッカイは砂壁のような色をした犯人のズボンを指して言った。
「ぬりかべ! ぬりかべ!」
今度はゴジョーがハッカイを笑わそうとふざけてみせたが、ハッカイはそれを冷たく無視した。
「おい、少年!」
遠巻きにハッカイが犯人に声をかける。
「え?」
50歳を過ぎた男が、あきらかに年下の男から「少年!」と声をかけられる事を思えば、当然の反応だった。ハッカイはこういう「人の虚をつくこと」が好きである。
仏教には「桜梅桃李」という言葉がある。桜には桜、梅には梅の咲き方があって、「それぞれに個性があってよい」というのが本来の意味だが、ハッカイは桜には桜の、梅には梅の咲かせ方があるとも捉えており、「相手に合わせた接し方がある」というのが彼の持論である。つまり「変な人には変な人を」であった。
「名前は何て言うん?」
「しぇらぐしです」
「いや、滑舌わるっ! 何言うとるかまったく分からん」
ハッカイはそう言うと、ゴジョーの方へ顔を向けて笑いかけた。滑舌の悪さのせいで、犯人の話は2 人の距離にも増して、とても聞きとりにくかった。
「何て? ゴメン。もっかい言うて?」
「寺口です!」
馴れ馴れしく聞くハッカイに対し、寺口は聞きとりやすくなるように大声を出し、犯人らしからぬ低姿勢で答えた。大声で会話する2 人とは異なり、捕まっている女性は声も出せずに首をすくめていた。20代前後だろう。硬直した体を懸命に支える黒いローファーが時折グラついている。
「何でこんなことしとん?」
ハッカイはそんな女性を気にしながらも、寺口に対し冷静に聞いた。もちろんハッカイも心中は穏やかではなかったが、平然を装ってやることが女性の為にもなると思っていた。
「SNS のフォロワーが増えないんです。誰もいいねしてくれないんです。こうすれば注目されるんじゃないかなぁと思いまして」
寺口のどうにもならない主張と腰の低さを思うと、それとは大きくかけ離れた大胆な犯行である。間違いなく妖怪のしわざだった。
「おい、キュリキュリちゃん。フォローしたれよ」
「嫌じゃぁ。ってか、それ言うなぁ」
ハッカイがニヤつきながらゴジョーに小声でそう言うと、ゴジョーは恥ずかしそうにして、すぐにそれを拒否した。
「キュリキュリ」というのは、某つぶやき型SNS におけるゴジョーのアカウント名である。ゴジョーはこのSNS で主にゲームに関するつぶやきをしていた。
しかしそのつぶやき方が、ゆるっとフワッとしていたことから、本人の意図とは裏腹、気づけば男性フォロワーたちがゴジョーのことを「ゆるフワ系女子」と勝手に勘違いし、ゴジョーをチヤホヤするようになってしまったのである。
ゴジョーは、日に日にその状況を自分のフォロワーに説明できなくなり、今となっては「キュリキュリちゃん」を演じ続けるしかないところまできていた。
ハッカイはいつもそれをネタにしてゴジョーをからかうと同時に、キュリキュリちゃんのフォロワーたちを不憫に思っていた。
みんなから愛される「ゆるフワ系女子」の正体が、こんな40半ば、薄毛のおっさんだと誰が思っているだろうか。
§
恐怖からくる疲労を考えれば、早く女性を解放してあげなければならない。そう思ったハッカイは突拍子もない行動に出た。
「ちょっと待って! 寺口さん!」
「え! 何ですか!?」
ハッカイが焦って驚いた様子をみせると、寺口も焦りをみせた。
「その包丁! ちょっと待って! 根元に何て書いてある!?」
寺口は不思議そうな顔をしながらも答えた。
「しょじりょおです」
「え? 何て? 諸事情?」
相変わらず滑舌の悪い寺口にハッカイが聞き返した。
「しょじりょおです」
「ボリショイ?」
「小次郎です!」
寺口は聞きとりやすくなるよう大声で言った。
「小次郎? それやっぱり小次郎の包丁やんな? それヴィンテージ包丁やで!? 売ったらめっちゃ高値つくやつやん!」
「え? そうなんですか!?」
ハッカイの言葉に寺口は驚いたようだ。しかし、ハッカイの話はもちろん全くの嘘である。小次郎なんてメーカー名は初めて聞いたし、そもそもハッカイが包丁のメーカーを知っているはずもない。包丁にヴィンテージなどあるかどうかも怪しい。
「ちょっと待って。調べたるわ」
そう言うとハッカイは適当にスマホを操作してこう続けた。
「ほら、やっぱりこれと同じやつちゃうん? うわっ! 高っ! 300万やて。車、買えるやん!」
寺口はそわそわし始めていた。
「ちょっと。ちゃんと調べたるから包丁見せて? そっち行っていい?」
「ちょっとだけですよ?」
§
了承を受けたハッカイが寺口の元まで来た。
「ちょっと見せてみて?」
寺口は何の疑いもなくハッカイに包丁を渡した。
「同じやつ出とるか、オークションかフリマアプリで調べたるわ。もし売れたら大儲けやで」
ハッカイはそう言うと、包丁を片手にスマホを操作し始めた。画面を覗きこもうとする寺口。
「焦るな! 陰になって画面が見にくい!」
ハッカイはもったいぶるように、胸にスマホを押し当て画面を隠した。
「やっぱりあれやな。これええ価値しとるわ。これ以上、価値あるもん無いんちゃう? もはやプライスレスやな」
そしてしばらくスマホを操作してから、ハッカイはしみじみと言った。
「見せたろか?」
「僕も見せてもらってよろしいでしょうか?」
ニヤついた表情でそう続けるハッカイに、いつの間にか気を緩めていた寺口は、もう辛抱たまらない様子でスマホの画面を覗きこんだ──そこには、4 歳になるハッカイの娘が、満面の笑みを浮かべて写っていた。
「え?」
寺口は状況が飲み込めず、何が何だか分からない。
その瞬間、ハッカイは手に持っていた包丁を地面に滑らすようにして放り投げた。
「うわっ! 危なっ!」
ゴジョーが急に大声を上げながら不細工に小高くジャンプする。意図的なのか、偶然なのか、ハッカイが放り投げた包丁が一直線にゴジョーの足元へ滑ってきたのだった。
あっけにとられている寺口の隙を見て、ハッカイは捕まっていた女性を寺口の腕から引き離した。
「頑張って! 走って!」
ハッカイがそう声をかけると、女性は恐怖で固まった体を奮い起こし、何とか群衆の方へと走り出した。それを数名の警察官たちが一斉に保護する。
そんな様子を見ることもなく、ハッカイは、
「寺口! アウトっ!」
と叫ぶと、スティック型吸引機を寺口の尻にめがけてフルスイングしたのであった。
声も出せず悶絶する寺口の尻から、黄色いモヤがにじみ出ている。ハッカイはその様子を見逃すことなく、すぐさまに吸引機のスイッチを入れた。そう、このモヤこそが念エネルギー、妖怪であった。
§
ハッカイが吸引機で吸おうとしているのに対し、妖怪も寺口の体に戻ろうと必死で抵抗していた。まさに綱引きである。
「おい! カッパ!」
「わかっとる!」
ハッカイの呼びかけと共にゴジョーも吸引機のスイッチを入れた。今度は2 人がかりである。吸引機の音は大きかったが、吸いこんでいる実感があって何とも心地が良い。
そして、妖怪を半分くらい吸い出しただろうというその時だった。ハッカイの吸引機の音が次第に小さくなっていき、やがて無音になると、その効果を失った。
「ちょっと、誰やねん!? 充電してへんかったやつ!」
スティック型の魅力はその取り回しの良さだったが、キャニスター型のそれに比べてバッテリー容量が少ないところが欠点である。ハッカイの吸引機のランプが赤く点灯していた。
「タイミング悪すぎるやろ、ハチ!」
もはや1 人で懸命に吸引するゴジョーが言った。
「ちょっと待っとって! カッパ、絶対に離すなよ!?」
もはやこうなってしまえば、予備バッテリーに交換するか、直接、有線で電力を引っ張っるしかない。この状況を考えれば、もちろんライトバンまで発電機を取りに行っている暇は無さそうだ。
「転ばぬ先のスティックです」
相変わらずくだらないことを言うと、ハッカイはなぜか嬉しそうな笑みを浮かべながら、腰に巻いたホルダーから予備バッテリーを取り出した。
そして、本体から残量ゼロのバッテリーを抜いた、ちょうどその時──。
「キィィィィィ!」
誰かが甲高い奇声を上げた。もしかして妖怪か?
──いや、ゴジョーだった。
「ハ……ハチ! バッ……バッタ! バッタ!」
「蜂とかバッタとか紛らわしい」
「いや、バッタ! バッタがおる!」
奇声を上げるゴジョーを、ハッカイは冷たくあしらった。よく見ると、ゴジョーの小汚ないジャージパンツの裾に一匹のバッタが止まっていた。
ゴジョーは大の虫嫌いである。ゴキブリが苦手とか、ナメクジが苦手とかそういった人も多いだろうが、ゴジョーはとにかく虫全般が苦手である。例えば、てんとう虫や蝶など、人から好まれるような虫ですら苦手なのだ。よくゴクーやゲンジョーが葉っぱや紙くずを「ほら、虫やで」と手渡すと、ゴジョーが悲鳴を上げるなんて光景が、有限会社テンジクでは日常茶飯事だった。
「ちょっと取って! ハチ、取ってや!」
助けを求めるゴジョーを見てハッカイは笑いが止まらない。そして、そんな暇はないと言わんばかりに無視した。
「ちょっと! 登ってきた!」
バッタはゴジョーのジャージをよじ登り始めた。のん気にゆっくりゆっくりと。バッタには、ここが立てこもりの犯行現場であることなど分かるはずもない。
「カッパ、吸引機から手離すなよ? 絶対になぁ!」
ハッカイがそう叫んだと同時に、その気配を感じたバッタが勢いよく飛び跳ねた。そして、こともあろうにゴジョーの手の甲に止まった。
「無理!」
ついにゴジョーはバッタを振り払うと同時に、吸引機のホースを投げ出してしまった。
そして、吸引機から解放された黄色いモヤは、寺口の体からも抜け出すと、今度はバッタの体に入り、そのまま高く「ぴょーん」と跳ねて、野次馬の人だかりの中へと消えてしまったのである。
§
「何やっとんねん、カッパ!」
「ハチかて充電しとけや!」
ハッカイとゴジョーがくだらぬ言い争いをしている横で、寺口は群衆に向けて、四方八方、何度か頭を下げるとパトカーに乗り込んだ。この後、寺口は取り調べを受け、妖怪のしわざといえど、人として犯した罪の償いをする事になる。
私服警官がハッカイとゴジョーの元へやって来た。
「お世話になりました。おかげで最悪の事態は防げました」
安堵の表情を見せる私服警官に、ハッカイは真顔で返した。
「いや、まだですよ」
「まだって……これから捕まえに行くんですか?」
「もちろん。妖怪駆除が僕らの仕事なんで」
2人がそう話しているところにゴジョーが割って入った。
「いや、ハチ! 捕まえるって無理やろ!?」
ゴジョーはちょっとムキになっていた。余計な仕事はしたくないのだ。ゴジョーは基本的にゲームと晩ご飯のおかずのことしか考えていない。家で過ごすことが生活のすべてであり、仕事はその合間の話でしかない。それに虫が嫌い。
「あんなバッタ一匹。探すん無理やて!」
「いや、無理じゃない。あいつな、何でか知らんけど、さっきより臭いキツなっとんねん。その臭いをたどったら分かるはずや」
作業も終了したい、虫も追いかけたくないゴジョーの必死の訴えに、ハッカイは聞く耳を持たなかった。なぜなら、ハッカイは仕事に手を抜けない。
「それにな。さっきの今で、そう遠くへは行ってないはずや……そう遠くへは行ってないはずや」
「いや、何で2 回言うたん!?」
「いや、何か漫画みたいなセリフやったから。2 回言うたろうと思って」
すかさずツッコミを入れるゴジョーにハッカイは笑ってみせる。相変わらずくだらないやり取りで、ペースはいつもの2 人のそれに戻っていた。
「仕方ないなぁ」
ゴジョーは観念したようだ。ハッカイはゴジョーを転がすことには慣れている。ゴジョーの機嫌が悪くなれば、ハッカイはいつもこうして笑わせるのだ。ゴジョーはゴジョーで少しだけそれに感謝をしていた。
§
警察に後で結果を報告することを約束した2 人は、ハッカイの鼻を頼りにしながら、犯行現場であった駅からそう遠くはないところを歩いていた。
「近いぞ」
ハッカイがそう告げると、子どもの泣く声が聞こえてきた。慌てて駆け出した2 人の先には、住宅に囲まれた公園があった。入口には4 、5人の子どもたちがいる。小学校低学年の子が数人泣いているのを、高学年の子が必死であやしているようだ。
「大丈夫やで。でも危ないから早くお家に帰り」
ゴジョーが子どもたちにそう優しく話しかけている横で、ハッカイは「おぇっ! おぇぇぇっ」とえずいていた。
「アカン。めっちゃ臭い」
ハッカイは涙目になっていた。そんなハッカイにゴジョーは小声で言う。
「ハチ……ハチ……」
「何や?」
「アカン……オレもアカン……やっぱり無理かも」
ハッカイがやっとの思いで顔をあげた先。公園の中には巨大なバッタがいた。大きさにして、隣の滑り台と同じくらいだった。
「ハチ。無理」
ゴジョーはハッカイの顔を見つめ、小声で可愛い子ぶった。キュリキュリちゃんの顔がチラつく。
「アカン!」
ハッカイはすぐにそれを却下した。
「カッパよ。あれはな? バッタじゃない。新しい遊具やと思え」
「いや、無理やて」
「黙れ! 行くぞ、2 号!」
「いや、2 号て何?」
「バッタ、戦闘シーンときたら、1 号と2 号て相場は決まっとるやろ! お前は悪の秘密結社に改造された哀しい男や! 正義のヒーローや! ほら行くぞ、2 号!」
「ほな、V3 は誰やねん!?」
§
2 人が公園の敷地内に入るも、バッタはじっとしていた。そのあたりは普通の昆虫と変わらない。ただ違うのはその大きさだけだった。
「何か色が変わってへん?」
ゴジョーがハッカイに聞く。確かにさっきまで黄色だったモヤはその濃さを増し、今はバッタの周りをオレンジ色のモヤが漂っている。
「そやろ? どうりで臭いがキツなっとる思ったわ。カッパ、探知機使ってみて?」
ハッカイの指示にゴジョーが探知機を使って調べた。
「489のオレンジ! 星4 に上がっとる!」
「489。シバク。お前シバかれるんちゃう?」
ゴジョーから結果を聞いたハッカイは、またそんなことを言ってケラケラと笑った。
「いや、でも何でレアリティ上がっとん!?」
驚くゴジョーをよそにハッカイが冷静に答えた。
「あれ、よう見てみ?」
ハッカイに言われたとおり、ゴジョーが巨大なバッタをよく見ると、その巨大なバッタは、あくまで小さなバッタが一匹、一匹と群れになり、その形を形成している事が分かった。ゴジョーは今にも倒れそうな表情をしている。
そんなゴジョーにハッカイは説明を続けた。
「あれな。何でレアリティ上がったか教えたろか? 結局、フォロワー増やしたい、評価増やしたいっていう寺口の欲求がな、つまり数を増やしたいっていう欲求が、あんだけのバッタ集めとるねん」
「え? そうなん?」
「ほんでな、野次馬がたくさんおったやろ? 当然、みんな寺口に対してよく思ってなかったと思うねん。緊張感もあったやろけど、嫌悪感とか軽蔑とか。まぁ、言うたら人の負の感情みたいなん。あのバッタ、あそこにおった人らのそういう念エネルギー集めて、ここに来よってん。ほんで結果、ああなっとんねん。レアリティ上がったんはな、それや」
「え? そうなん?」
「いや、知らん。適当に言うただけ」
「何やねん!?」
憤慨するゴジョーを見て、ハッカイはまたケラケラと笑っていた。
しかし、ハッカイが言ったことは実際には間違ってなかった。
なぜかハッカイの鼻が妖怪を嗅ぎ分ける力があるのも、寺口との包丁のやり取りがスムーズに行われたのも、そしてこういう彼の推察も、「妖怪のしわざ」に対して、もしかしたらハッカイの中にある「何かのおかげ」なのかもしれない。それは誰にも分からない。ハッカイ本人ですら分からないことだった。
§
「さて、ラスボスいきますか」
「いや、虫だけはオレ無理やねんけどなぁ」
ゴジョーが作業に入りやすいように、ハッカイはゲーム感を演出する。そして2 人は静かに吸引機のスイッチを入れた。
閑静な住宅街。誰もいない公園。モーターが回り出し。空気を吸い始めた機械が呼吸音をたてる。音は徐々に勢いを増す。決戦の火蓋をきるホラ貝のように。静寂の中、その音が、その音だけが最大に鳴り響いた。そして──ハッカイの吸引機が静かにその音を止めた。
「え?」
2 人は顔を見合わせた。
「何やねん! 転ばぬ先のスティックって!?」
「知るかい! ハチが自分で言うたんやろ!?」
キレるハッカイに対し、間髪入れずにゴジョーはツッコんだ。
予備だったはずのハッカイのバッテリーは、すでに残量が少なかったようだ。おそらく劣化してその消耗が激しかったか、そもそも予備バッテリーも充電されていなかったかのどちらかだろう。
「こうなったら物理戦じゃ! 全部叩き潰したるわい!」
ハッカイは1 人やけになってバッタの群れに突っ込んだ。群れの中、スティックを振り回すハッカイ。バッタの群れは、乱れては元に戻り、乱れては元に戻りを繰り返した。意味がない。
「脳天からカチ割ったる!」
ハッカイは勢いよく滑り台の階段を駆け上った。
かたや、ゴジョーは奇声を上げながら走り回っている。群れから離れたバッタがゴジョーを追いかけ回しているのであった。ゴジョーは吸引機を使う余裕すらない。
──その時。
「カパやん! どけっ!!」
ゴジョーの後方から声がしたと思えば、すぐにその横を悪趣味な金色をしたバイクが、猛スピードで駆け抜けていった。そしてU ターンをすると、バイクはゴジョーを追いかけ回しているのか、彼に群がるバッタを追いかけ回しているのか分からなかったが、数回行ったり来たりを繰り返した。そのおかげで、ゴジョーに群がっていたバッタたちは無事に彼から離れた。
それを確認したバイクの主は、キッとハンドルブレーキを握り、バイクを綺麗に停止させた。そして、被っていたフルフェイスのヘルメットを脱いだ──顔を見せたのは、ゴクーだった。
同時にハッカイが滑り台からスーっと無言で滑り下りてきた。
§
「警察から連絡あったで」
フルフェイスを脱いだゴクーがそう言うと、ハッカイとゴジョーが駆け寄ってきた。
「おぉ、V3 来てくれたんか!?」
「何やの? V3て」
ハッカイの言葉に困惑するゴクーを「ほっといたらええ」とゴジョーはそう促した。
警察から任務協力の感謝と、今後についてのことを電話で聞いた事務員から連絡を受けたゴクーは、どうやら別の現場の作業を終えると、2 人の応援に直行してきたらしい。
「そやけど、どないしたら50ccであんな運転できるねん」
ゴクーは悪趣味な金色のバイクのみならず、彼女専用のスティック型吸引機をまさに「如意」、意の如く操る。ハッカイはそれを笑いながら、これまでの事の一部始終を話した。比較的、自分のことよりゴジョーの失態を誇張して話をするので、話を聞いたゴクーはゴジョーを見て大爆笑していた。
「さて、笑っとる場合ちゃうで。ゴクー、予備のバッテリー貸して?」
ハッカイが吸引機のバッテリーを交換する間もなお、バッタはその場を動かずじっとしている。どうやら、ただただその群れを維持することだけがバッタ、いや妖怪の欲求のようである。
「アタシが散らすからアンタら吸ってみて?」
ゴクーはそう言うと、スティック型吸引機でバッタを散らし始めた。彼女専用のスティックは真っ赤な色をしている。性能にすると、ハッカイたちのそれの3 倍はあるという噂だった。
「見て、カッパ。バッタをばったばったと薙ぎ倒すゴクー」
いい加減しつこいほどのハッカイのダジャレ。それでもゴジョーは笑っていた。ハッカイにとって本当に良い観客といえる。
「はよ、せんかい!」
2 人はゴクーに怒られた。慌てた2 人はバッタが散らばった隙に、元となる妖怪、オレンジ色の念エネルギーを吸い始めた。
「ゴクー! アカン! キリないわ!」
「吸引力が全然足らん!」
「ゴジョー! ちゃんと吸えや!」
「吸うとるわ!」
「お前、バッテリー切れとんちゃうんかい!?」
「それ、ハチやろ!」
2 人は同時に吸引機でバッタを吸うのだが、なかなか吸っても吸ってもキリがなかった。
──またしても、その時だった。
ハッカイとゴジョーとは別の方向、2 人からすると左。どんどんとオレンジ色のモヤが吸い込まれていく。おかしい。吸引するような音もないのに、もの凄い勢いでオレンジ色のモヤが吸い込まれていくのだ。
§
「所長!」
2 人が左を向くとゲンジョーが立っていた。その手には、見たことあるけど見たことない吸引機があった。
「サイクロン式! それ金持ちしか買えんやつ!」
ハッカイはたまらずツッコんだ。上司にも関わらずツッコんだ。
ゲンジョーの持つ吸引機は、驚くほどの静音性と吸引力でみるみる念エネルギーを吸い込み、あっという間にそれを終わらせた。
「はい、終わり」
そう言うと、ゲンジョーは得意気な顔で3 人に声をかけた。
「お疲れさん」
「いや、お疲れさんちゃいますよ!」
「どうしたんですか? そのサイクロン」
「ん? 買った」
「どこで?」
「Amasan」
「またアマサン!? 金の出所は?」
「経費」
「せっこ! めっちゃせこい!」
ゲンジョーは3 人から問いただされるも、すべて平然と答えた。むしろその状況を楽しんで笑っている。完全に金持ちの道楽だった。それでもそんな状況に残りの3 人も笑う。これまでの経緯も含め、4 人はその場で大爆笑しながら話に花を咲かせた。
その間に、念エネルギーから解放されたバッタたちは、そのまま大群となって遠く空へ飛び立って行った。
これにて一件落着である。
§
翌日。
「おい、ハチ。辛そうやな?」
相変わらず薬指でスマホをいじりながら、ゴジョーが言う。
「え? うん、早速でたわ」
そう言いながら、ハッカイは次々と机のボックスティッシュに手を伸ばし、鼻をかんでは丸めたティッシュをゴミ箱に捨てている。「あぁ」と、うなだれてはその繰り返し。どうやらアレルギー性の鼻炎のようだ。妖怪の臭いを嗅いだ後は決まってこうなる。
「昨日みたいな事件て全然いらんけどさ、仕事的には大きい仕事があった方がオイシイんよなぁ」
ハッカイは昨日の事件について振り返っていた。
実際、寺口のような事件はめったにない。有限会社テンジクの仕事といえば、「原因不明の家電の故障」や「近隣住民とのトラブル」など、そのほとんどが、ごく一般家庭からの依頼である。それも最近では徐々に依頼数が減ってきている。主な原因はふたつ。
ひとつは単純に、妖怪の数が昔に比べると減っているという事であった。
社長のシャカが言うには「昔はほっといても依頼がバンバンきて儲かったのになぁ。妖怪の数が減っとる。時代やなぁ」とのことだ。
どこの地域もそうかもしれないが、昔は自然がいっぱいあった。その分、妖怪の念エネルギーのみならず、あらゆるエネルギー、生命力に溢れていた。有限会社テンジクのある地域も、ニュータウン計画の名のもとに山を切り崩して作られた住宅街だ。開発が進む際、家が建ち並ぶ間は、まだ仕事の依頼も多かったのだが、家の比率、自然の比率、その反比例に合わせて少しずつ妖怪の数が減ってきているらしい。
ふたつめの理由は、ネット社会という現代における理由である。
インターネットの普及、パソコンの普及、スマートフォンの普及。その利便性はとても素晴らしいものである。しかし、有限会社テンジクにとっては、それがひとつの壁になりつつあった。
最近では、簡易的な家庭用の妖怪駆除グッズなどが通販サイトで手に入るようになり、それだけではなく妖怪駆除アプリなども出回るようになった。低級レベルの妖怪であれば、それで対処できる場合がある。
さらには、SNS や動画配信サイトにてその対処法が配信されている。それに従って、インターネットの使い方に慣れている人、特に40代以下の年齢層からは仕事の依頼がめっきり減ってしまったのだ。
ネット社会と共に高齢化社会とも言われている中、まだ比較的、インターネットを利用しない高齢層からの依頼で何とか会社はもっているが、有限会社テンジクとして、また業界全体としては、右肩下がりのこの状況に皆が頭を悩ませている。これもまた「時代やなぁ」なのであった。
「なぁ、ゴジョー。この先、大丈夫なんかね?」
ハッカイはいつも仕事のことで悩んでいるが、ゴジョーはといえば、もちろんゲームと晩ご飯のおかずのことしか頭にない。ゴジョーはハッカイの問いかけに適当に返した。
「ハチ、いっそ動画配信したらいいんちゃうん? 会社として。妖怪駆除の」
「妖怪駆除の配信なんかいっぱいあるやんけ。今さら感ないわ、そんなん。それにオレ、顔さらすん嫌やわ。ゴジョーがやれや」
「嫌やわ、オレも!」
「何で? キュリキュリちゃん名義でやれや? お前も顔さらすん嫌やったら、顔が映らんようにカメラ回したら? 頭の上からとか」
「絶対に嫌!」
「ええやん。キュリキュリちゃんのフォロワー集めて。頭頂部からカメラ回して」
「やめろや! いろいろバレるやろが!」
「トーチョーバーて言うたらええやん」
そんな、人が聞いても面白くとも何ともない、たわいない会話で2 人は爆笑していた。
「ゴジョー。オレら幸せやなぁ。オレ、お前が同僚で良かったわ」
ハッカイはそう言うと、またティッシュで鼻をかんで、それをゴミ箱に捨てた──。
天国というも、地獄というも、すべては人の心しだい。
ここは有限会社テンジク。今日も平和である。
完
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