見出し画像

【エッセイ】初めて買ったCDは恋敵の家にある

音楽の目覚め

 小学生の頃、「はいすくーる落書」という斉藤由貴さん主演の学園ドラマを見た。学園ドラマといっても、出てくるのは悪そうなお兄ちゃんばっかりのハチャメチャなドラマだったと記憶している。当時、1980年代は、まさにツッパリブーム。今でいうヤンキーの兄ちゃん、姉ちゃんの時代だった。

 そのドラマで主題歌になっていたのが、THE BLUE HEARTSの「TRAIN-TRAIN」と「情熱の薔薇」だった。正直、幼かったのでドラマ自体の内容はよく分からなかったのだが、的場浩司さんがカッコ良かったのを覚えている。そして何より、THE BLUE HEARTSの曲を聴いた僕は、頭にハンマーを振り降ろされた気分だった。

 小学生だった僕は、まだCDを聴く音楽機器を持っていなかったので、レンタルショップでアルバムを借りては、それを姉のCDラジカセでカセットテープにダビングし、自身ご自慢のSONYのウォークマンで聴いていた。それからというもの、僕は小学生ながらにTHE BLUE HEARTSを聴いて過ごした。

 小学校6 年生の頃だったろうか。音楽に興味のなかったであろう同級生たちが、やたら音楽の話をするようになった。それまで同級生が歌う曲といえば、日本中でヒットしたであろう、どの世代にも愛されるような、KANさんの「愛は勝つ」や大事MANブラザーズバンドの「それが大事」のような曲だったのだが、やがて音楽番組に興味を持ちはじめ、音楽チャートにランクインするような歌謡曲を聴きだした。

 同級生の男子が歌い始めたのは、T-BORANやWANDSが多かったような気がする。いわゆるビーイング所属のアーティストが活躍した、ビーイングブームだ。ちょっとオシャレというか、大人っぽいというか、そんなようなバンドに、そんなような曲。今思うと、きっとみんな異性を意識しはじめた頃だったんじゃないだろうか。歌詞の意味は分からなくとも、男性目線の恋の歌にちょっと背伸びがしたかったんだろう。

 そんな中、僕は1 人。ずっとTHE BLUE HEARTSを聴いていた。THE BLUE HEARTSのカッコよさを、ここで語る必要もないだろう。ただただ、カッコいい。当時、僕もまたTHE BLUE HEARTSの曲の歌詞の意味を、そこまで理解できるような年齢ではなかったかもしれないが、それでも込み上げてくる感情は抑えきれなかった。

 それにTHE BLUE HEARTSにだって恋の歌はあるんだぜ。小学校を卒業すると同時に転校してしまうあの娘に、僕は「リンダ リンダ」の歌詞を重ねていた。

THE BLUE HEARTS「STICK OUT」

 小学校の卒業を控えた年明け。僕はついに、お正月で貰ったお年玉を使って、初めて自分のCDラジカセを買った。もう姉ちゃんのCDラジカセを借りる必要もない。なんていったって、こっちはCDダブルラジカセだ。ダブルなんだぜ。

 そもそも令和の時代にCDラジカセなんて言っても、通じない人もいるかもしれないが、僕たちの時代、主流はCDラジカセだった。僕のそれはPanasonicのCDダブルラジカセ。当時の最新モデルで、姉の物とは違い重厚感があり、ダブルの名の通りカセットテープが2 つ入る。そして一番の魅力は、カセットを入れれば、CLOSEボタンを押さずとも自動で取り込み、蓋を閉めてくれる。小学校6 年生の男子には、それだけでヨダレものだった。

 そして僕はそのニューマシンの購入にあわせて、1 枚のCDを買った。それがちょうど発売されたばかりの、THE BLUE HEARTS「STICK OUT」であった。

画像1

 初回限定盤は、通常ケースを覆うように白い紙のパッケージが付属する。それを手にとっただけでも感動したが、何よりどの曲もカッコよかった。有名な収録曲でいえば、「夢」や「1000のバイオリン」というところだろうか。そして、初めて買ったラジカセに、初めて買ったCD、思い入れがないわけがない。

 小学校を卒業するまでの間、僕は毎朝、ラジカセのタイマーを目覚まし代わりに、このアルバムを再生していた。1 曲目の「すてごま」のイントロである『ジャッジャッジャッジャッ、ジャラッジャーン』という、マーシーのギターリフが聴こえれば「朝ですよ、起きなさい」の合図である。

初めて買ったCDは恋敵の家にある

 それから僕たちは中学生になり、それぞれに好きなバンドや、好きな音楽を見つけ没頭していく事になった。中学生ぐらいになると、音楽の趣味も多種多様になり、気の合う友人も出てくる。僕はX JAPANの影響でバンド活動に、HIDEの影響でギターに興味を持ち始めた。

 そして高校生の頃、僕たちは第3 次バンドブームの真っ只中にあった。1 番CDが売れた時代ともされている通り、音楽のジャンル、方向性を問わず、音楽シーンは賑わい、巷ではカラオケ店がそこら中に建ち並び繁盛していた。それと同時に、高校生でバンドを組む人間も増えていた。

 その頃の僕は、THE YELLOW MONKEYを中心に聴いており、やがてROCKIN'ON JAPANを毎月購読し、BLANKEY JET CITYやTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTといった多くのバンドに没頭していく事になる。

 僕の周りの友人バンドといえば、完全に2 極化しており、THE BLUE HEARTSやHi-STANDARDを聴くパンク、メロコア系、X JAPANを母体に、LUNA SEAやL'Arc〜en〜Cielを聴くヴィジュアル系のどちらかだった。

 ある話をする前に、初めて買ったCDであるTHE BLUE HEARTS「STICK OUT」の話の続きをしよう。

 この「STICK OUT」は2 枚で1 枚のアルバムといわれる所以があり、発売の5 ヶ月後にリリースされた「DUG OUT」というアルバムと対になっている。通称、「凸(デコ)」と「凹(ボコ)」である。「STICK OUT」が白いケースに対し、「DUG OUT」は青いケースで、こちらも初回限定盤には紙パッケージが付属していた。そして2 枚のアルバムには応募券が同封されており、この2枚の応募券を送ると、「凸(デコ)」と「凹(ボコ)」を両方を一緒に収納できる、2 枚組紙パッケージが貰えた。僕はこの2 枚組パッケージに、アルバムと歌詞カードを収納していたのである。

 高校生のある日、自宅にいるとインターホンが鳴った。中学、高校と同じ学校だった『S』である。Sは中学校時代はパッとしなかったものの、高校に入ってから急にモテだした男である。こっちから言わせれば「高校デビュー」というやつなんだが、確かにイケメン。ただひどい奴だった。女癖は悪く、借りた金も返さない。挙句の果てには、体育の授業中に誰もいない教室で人の定期券を盗む。そんな事を知ってか知らずか、ただ悲しいかな、ひとつ言える事は、Sは『僕の好きなTさんの彼氏』だった。

 Sは、THE BLUE HEARTSのコピーバンドをするからCDを貸してくれと言ってきた。恋敵とはいえ、ひどい奴とはいえ、中学校からの同級生がわざわざ訪ねて来たのに、そんな事でCDを貸さない僕じゃないのも確かで、何より、THE BLUE HEARTSには罪がない。僕はCDを貸した。よりによって、あの2 枚組紙パッケージのまま。

 そして、僕の初めて買ったCDは、今も恋敵の家にある────。

物は無くとも宝になるモノもある

 そういえば、よく母親が「お金を貸す時は、返ってこないと思って貸しなさい」と言っていたことを思い出した。僕にとってCDとは、音楽とは、財産そのものである。その財産を貸してしまったのだ。不覚にも、よりによってあのSに。これは、自分が悪いとしか言いようがない。僕はSに貸したCDと、同じく貸した2 千円も諦める事にした。

 それからというもの、僕はCDを貸す時は、返ってこない事を覚悟して貸すようになった。今、ざっと計算しても500枚以上のCDを持っているだろうが、それでも返ってきていない物も山ほどある。

画像2


 ご覧の通り、僕の初めて買ったCDには、CDそのものと歌詞カードが無い。もはやこれはCDではなく、CDケースではないか。なんと悲しい事であろうか。

 ただ最後に言えることが2 つある。

 1 つは、初めて買ったCDのあの感動と興奮、『ジャッジャッジャッジャッ、ジャラッジャーン』の目覚まし代わりのギターリフは、今でも耳に、そして心に残っている。そう、思い出として残るソレは、未来永劫、これは誰にも奪えない僕だけのモノである。

 そしてもう1 つは、「初めて買ったCDって何?」って聞かれた時、THE BLUE HEARTSのCDと答えると、実はよく羨望の眼差しを受けることができる。意外にも、みんな初めて買ったCDは恥ずかしいものが多いらしい。特に音楽好きの人からすると、初めて買ったCDがTHE BLUE HEARTSであるという事は、「カッコいい者」として扱われる。

 だから僕は自慢気に、こう答える。

「え? 初めて買ったCD? THE BLUE HEARTSのSTICK OUTやで」

 ────物は無くとも宝になるモノもある。

この記事が参加している募集

はじめて買ったCD

さくら ぼんじりの作品を見て頂けただけで嬉しいので、サポートは無理なさらずに……お気持ちだけで結構です……。もしもサポート頂いた場合は、感謝の気持ちと共に、これからの活動費、また他の方への応援に使わせて頂きますm(_ _)m