【エッセイ】井の中の蛙が裸眼でヌードデッサンした話
BLANKEY JET CITYの『国境線上の蟻』というアルバムを聴くと、僕はとある夏を思い出す。
高校3年生の夏だ。
そのアルバムはブランキーのベストアルバムで、彼らの音楽を手っ取り早く知りたいという人には、比較的とっつきやすく、入門編といってもいいアルバムではなかろうかと思う。
とはいえ、1 曲目『水色』の収録など、ブランキスト(ブランキーファンの愛称)からも愛される1 枚とも言えるだろう。
当時、僕は「値段が高い」「音飛びするからイヤ」という理由でCDプレーヤー(MDも出てたのかな?)を持っておらず、持ち歩いて音楽を聴く時は、カセットテープにダビングしたアルバムや曲を、ひたすらウォークマンで聴いていた。
今や音楽プレーヤーが全曲、全アルバムをシャッフルしてくれる時代ではあるが、カセットテープの魅力は、好きな曲、好きな順番に編集ができるというメリットもあった。
それでもこの『国境線上の蟻』というアルバムは、そんな編集する必要がない魅力的な1 枚なのだ。
§
高校に入学してから年々、視力が落ちているのが分かった。
黒板の字がどんどん見えなくなっている。
目を細めないと黒板の字が見えなかった。
今でこそ眼鏡をかけて過ごしているが、当時の僕はそれまで眼鏡をかけたことはなく、裸眼だった。
ちなみに今もコンタクトはしない。
理由はめんどくさいから。
ウソ(笑)。
目に何か入れるのがちょっと怖い(笑)。
とはいえ。
勉強嫌いな僕が黒板の字を見るといっても、ノートに書き写すわけでもないので、特に気にしてなかった。
あれ、勉強できる人って、ノートとるのもめっちゃ上手いよね(笑)。
何か色分けとかもしてあって、参考書みたいなノートが出来上がる。
女子なんか超うまいし、字がキレイ!
感心したわ、あれ。
ぼんじりなんて、ノート写してますみたいなフリして、落書きしかしてなかったもんな。
だってさ、先生の「消すよ~」に間に合わへんし(笑)。
§
高校の2 年生まで、僕は「美容師になるわ」といって、美容・理容系への進路相談を受けていた。
美容師になりたいというのも安易な理由で、X JapanのHIDEが美容師免許を持っていたからである。
母親は「大学に行った方がいい」とよく言っていた。
それが急に高校3 年になって「やっぱ大学行くわ」と大学進学を希望した。
なぜなら専門学校に2 年行くより、大学に4 年行く方が社会に出るまでの猶予がある。
僕にとってのこの猶予とは、バンド活動を続けることができる時間のことだった。
これまた安易な理由である。
§
さらに安易な理由は続いた。
カッコつけたがりのぼんじり君。
当時の僕とて例外ではない。
高校3年生のぼんじり様は「どうせ大学に行くなら芸大に行きたいわ」と仰られたのである。
もちろん理由は「何か美大・芸大に通ってますって肩書きがええやん」である。
ひっぱたいたろか(笑)!
まぁ比較的、救いだったのは昔から美術の成績は良かったことだ。
美術部に属してないとはいえ、成績はずっと5 の評価で先生に褒められる事も多々あった。
そして僕は芸大への進学を決意する。
§
僕は急な進路希望の変更の中、隣の家のお姉ちゃんの紹介で、高校3 年になってから画塾に通い出した。
画塾とは、いわゆる美大・芸大を目指す生徒が通う為の予備校である。
進学希望先の試験内容に沿って絵を描いて、それを先生が指導してくれる。
美大・芸大の試験対策を学び、ホンマにひたすら絵を描く場所なのだ。
絵画、建築、ファッションと、美大・芸大にも様々な学科があるけど、そのほとんどは入試にデッサンを行う。
よって画塾でもデッサンがほとんどだった。
ちなみに僕の志望大学の学科は、デッサンではなく、色鉛筆による想像画という面白い試験内容だったので、僕は画塾でもそういう練習をしていた。
§
画塾を舐めてはならない。
美大の進学を舐めてはならない。
しかしながら、僕は画塾に通い出して嫌というほどそれを痛感する。
それまで学校の授業で「えっへん!」「オホホ!」と思っていたのだが、画塾はレベルが違った。
デッサンに自信はあった方だったが、画塾の生徒のデッサンはヤバい。
この線、定規で引いたんか?
トレースでもしたんか?
何やったら写真じゃないのか?
と、思うような絵を描く人ばっかりがいた。
それもそのはずだった。
彼らは美術部に属していたり、属してなくても、美大の進学を目指して高校1 年生の時から画塾に通っていたりと、真剣そのもの。
ホンマ、真剣の二字の通り、日本刀の変わりに鉛筆やペンを振り回す猛者どもばっかりだった。
僕は井の中の蛙だったのである。
だからこそ僕は画塾に通うのが憂鬱だった。
そんな憂鬱さを吹き飛ばすには耳から脳内へ音楽をブッ込むのが1 番。
僕はブランキーの『国境線上の蟻』を聴きながら電車に揺られ、駅を降りると画塾までの並木道を歩いた。
4 曲目に収録されてある『絶望という名の地下鉄』を聴きながら乗る神戸市営地下鉄は格別だった。
§
高校3 年の夏休み前に通い出した画塾。
しばらくするとすぐに学校は夏休みに入り、合わせて画塾も夏期講習に入った。
夏期講習は画塾近くの文化ホールで行われた。
毎回、デッサンの練習を行う。
消火器や果物など、デッサン対象を真ん中に置き、それを取り囲むように椅子が並んでいる。
椅子は2、3重ほどの円を描くもランダムに並べてあり、いろんな角度から対象が見れるようになっていた。
どの椅子に座るかは自分が決めることができ、まるで椅子取りゲームだったが、デッサンの上手い子は率先して前に座った。
僕はデッサンの為に前に座るというより、裸眼で対象が見えないという理由で、できる限り前に座った。
夏期講習は午前中、お昼の休憩を挟んで午後の2回に分けられ、1 日でデッサンを終えなければならなかった。
そして描き上がったデッサンは翌週、壁に点数をつけられ貼り出された。
しかしながら、点数を貼り出されるより何より、午前と午後の昼休みを近所の公園で過ごす事の方が苦痛だった。
もちろん、ブランキーの『国境線上の蟻』を聴いて過ごした。
§
ある日。
夏期講習の授業が始まると、そこには並べられた椅子しかなかった。
僕は「ん?」と思ったが、しばらくすると先生と共に1 人の女性が現れた。
女性はバスローブを着ている。
まさか、まさか。
そう、そのまさかであった。
女性がバスローブを脱ぐと、その下は裸だった。
ヌードデッサンである。
ちょっと待ってくれ。
いくらなんでも高校生男子には刺激が強すぎやしないか!?
女子生徒かておるんやぞ!?
しかし、デッサンの上手い子は物怖じせずに前の椅子に座り始めた。
僕はといえば、恥ずかしさのあまりついつい一番後ろの席についてしまった。
そして、いざやデッサンが始まると、困ったものだ。
そう、僕は裸眼なのだ。
見えない。
全く見えない。
何も見えない。
何やったら見たかった。
それやのに何も見えなかった。
そこからもう大変。
裸眼 VS 裸体。
もう心眼で描くしかない。
ありえへんけど、僕は人生で初めてのヌードデッサンを、人生で初めての感でデッサンするという荒技に出た。
翌週、壁に提出した絵が貼り出された。
63点だった...…。
過去最低の点数。
僕は「ハハ……」とマンガみたいな笑いをするしかなかった。
先生は不思議に思っていたが、僕は理由を言えなかった。
§
最近、iPadで絵を描くようになり、当時の事をふと思い出したので、今回のエッセイのネタにしてみた。
今、思うと一番前に座ってりゃ良かったと思う。
デッサンの為ではなくて、違う意味で(笑)。
今やったらガン見するのに(笑)。
ぶっちゃけモデルさんの顔すら覚えてない。
そう考えたら、いかに高校生の時って純粋やったか分かるわ。
でも、実を言うと。
今でも僕はその純粋さに触れることができる。
BLANKEY JET CITYの音楽を聴くことによって。
彼らの音楽の魅力は、その純粋さにあるのだと僕は思っている。
最近、車ばっかで地下鉄に乗ってないな。
たまには地下鉄に乗って街に出るのもいいかもしれん。
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