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『綴』

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思った事を綴る日記的な記事を集めたマガジンです。
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#バンドマンの日常

冷えとり界に片足を突っ込む。

「4枚!!?」 咄嗟ではあったがここ1ヶ月で最も感情豊かに声を発せた瞬間であった。 25年前、実家を出てからずっと3足1000円くらいの靴下を買って生きてきた。破け過ぎたら、汚れ過ぎたら、伸び過ぎたら捨ててまた買って。 そこに特に疑問も抱かず、メーカーや素材にこだわることもなく。 我が家はトキロック(妻)を筆頭に良い(この良いに関しては日頃から夫婦間の議論が絶えない)ものを長く使うブームが到来しており、そのブームの波はついには靴下をも飲み込むこととなった。 ことの発端は

その重なりが人生のグルーヴ

最近は好奇心に身を委ねて、少しづつ騒がしくなって 足を知る為の失敗を繰り返しているようにも見えるけど、 そもそも成功とか失敗を基準に生活がある訳でないということが 浮き彫りになってきた。 動くと動いた分だけ疲れる。疲れを知ると休むことを覚える。 休息や睡眠が大事かどうかは置いといて、勝手に摂りたくなるので それに従えるだけの時間は日々あった方がいい。 作物と触れ合うことが日課となる中で、時に調べて少しばかり手をかけ 自分の都合の良いように育ってもらいたいという思いもあるの

今が繋がっているだけ。

活動的でなかった数年、 僕ら夫婦は争うことがほとんどなく食べて寝るだけの生活で それなりに幸せを感じていたのだが、 元気になるにつれやりたいことが出てきたり、 それに伴うインプットが増えてくると それらを消化しアウトプットしたいという欲が生まれる為に、 あれだけ持て余してはずの時間が足りないという錯覚に陥り始めている。 そうなってくると時間の使い方に効率化を求めるが故、 一言二言、小競り合いに発展する言葉を投げかけてしまったりして 生産性という観点からすると余計な時間を費や

再生

音楽、生活に溶け込む。

▼BONJIN PAJAMA SESISION 虫も飛び交う自宅スタジオで、お風呂上がりにパジャマで練習。 気合とか集中とかと無縁の環境で歯を磨くような感覚で。 まだまだ音楽、もっと自然に。 ▷TIME FLIES はトキロックが初めて病気だった時のことを自ら歌詞にした(できた)曲なのですが、今は内面を掘り下げ感情に委ね表現することよりもその感情風景を空から口ずさむように表現できればなと。 ▼ハイライト 個人的には1:30辺りでフレームインしてくる蛾が何も起こらない映像の中でなんとも言えない小さな抑揚を演出してくれているところが一番の見所だなと、そこばかり見てしまいます。 GD

値札をつけれないようなものばかり。

数年前にリサイクルショップで500円で買ったアウターを冬になるとずっと着ている。 軽くて暖かくて自分の上半身にサイズがぴったりなので実のところ気に入っている。 正に愛着が湧くとはこういうことである。 毎年、当然ながらシーズン中はほぼ毎日出かける際は来ているので袖の裏を筆頭に黒みがかった汚れが各所に点在してくる。これはナイロン製のアウターの宿命である訳だが、汚れに対して繊細じゃないタイプの人が見て、この人、汚いアウターを着ているな と思われるかもしれないラインに達している

その片鱗を少しでも垣間見れたら。

随分と久しぶりに記事を。 ジメジメとした日が続いていた。 何も書く気がしないし読む気もおこらないことを天気や気圧のせいにして 梅雨明けを待っていた。 実は6月から新しい職場で働き始めた。 昔、お世話になった方が新しいお店をオープンするということで手伝い始めたのだが、コロナ事情はどこ行った?緊急事態宣言が明けの間違った解放感がそうさせているのか?ありがたいことでもあるのだが思っていた数倍の来客に驚く隙もないてんやわんやな忙しさに自分のスローライフは一転、悩む暇もなく全否

今も触れ合えている感覚。

色々なこと。試して、妄想して、楽しかったり、飽きたり疲れたり。 この前晴れたの、いつだったか? 思い出せない。 ベランダのミニトマトの為にも、 裏の水路の亀の親子の為にも。  洗車したい人たちの為にも。 晴れの日、待ってます。 これがmothercoatの現状、最新です。 会えなくても、触れ合えている感覚、 それを頼りにゆっくりアルバムを作っています。 とてつもなく無計画なので待ち望みは ご遠慮下さい。 ある日突然、いつの間にか。 不確実、不確定、不安定を愉し

息子よ、これはただの偶然なん蛇。

先日のことである。襖を開けたら、畳の上にうんこがあった。 自分がしたものでない限りはまずは嫁(トキロック)を疑うのが筋である。問いただす前に念の為うんこに近づき凝視してみる。嫁のにしては随分と情報量多めのうんこだなと率直に思い確認の為、嫁のもとに足を運ぼうとしたその時、横にあった椅子から障子にかけてまったり寛いでいる蛇がいることを視覚的に認識する。しかしながら思考が追いつかず、その椅子の前で立ち尽くし、生ライブ配信のチャット画面的な表現をすれば、ひたすら??????????

蛇、再び部屋に忽然と現る

部屋に突如蛇がいるシュール

我々は不自然体である。

自分は不自然な人間だと思っているが、不自然なことは人間社会の構造上肯定すべきだと考えている。 何を持って不自然と思うかというとやはり人間以外の動物と比べてということになる訳で、一概には言えないが僕の目から見ると動物の方が自然体で生きているように見えている以上は自分は不自然に生きてると言っても不自然ではないだろう。 それ故に自然体に憧れを抱いてしまうのは人間にとっては自然なことで、出来る限り自然体というものを心掛けていたりもするのだが、"心掛けてる時点でもはや自然ではない"

nO see On

昨日、先月の給料が振り込まれたというか、勤め先の明細が出た。 支給約2万7千円に対し、控除額が5万円強ということで初めて見るその差引支給額マイナス2万3千円の明細をみた時、まだ父の給料が手渡しだった頃、一度だけ給料袋をどこかに置き忘れて帰ってきた時のことを思い出した。 普段は些細なことで言い争いの絶えない両親が、 その時ばかりは、何故か笑っていた。 母が僕に「父さん、給料全部どっか置いてきたわよ」って言った時の口調が今月乗り切れば、あとあと笑えるグッドエピソードだ

生命畏るべし

呆気あった。

先日、父が亡くなった。 新型コロナウイルス襲来により崩れた日常は経済的な圧迫を除けば、僕らにとってはそれほど悪いものではなかった。 僕らには家にやることがあったし、家でやれることがあった。 このnoteもそうであるが、それらのことをやり始めた矢先に父、危篤の知らせが入ったものだから新たに試みようとしていた日常もさっくり崩れたというか中断する形となった。 4月22日。僕らは車を実家のある神戸の病院へ向けて走らせていた。 父が入院した病院も面会禁止であったが、父に関しては家