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俺の読書感想文 #2 【不発弾乃南アサ】


勝手にダラダラと本の感想を書く【俺の感想文】
第二回は『乃南アサ 不発弾』だ!

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乃南アサ(のなみ・あさ)
1960年、東京生まれ。1988年、「幸福な朝食」が第1回日本推理サスペンス大賞優秀作となる。1996年、「凍える気」で第115回直木賞を受賞。「鍵」「ライン」「窓」「ボクの町」「花散る頃の殺人」「風紋」「ピリオド」「鎖」「未練」など多数の著書がある。

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 まず最初に白状すると、俺は作者である乃南アサを知らなかった。(勉強不足と笑え!)
 なので、もちろん作品を読むのも初めてだった。実家の母親の本棚にあったのを何気なく借りて読んだのだ。
 上記のプロフィールも本のカバーからの引用だが、ちゃんと目を通さずに読み始めた。
 事前情報ゼロで読み始めたのだった。

「不発弾」は短編集だ。
『かくし味』
『夜明け前の道』
『夕立』
『福の神』
『不発弾』
『幽霊』

以上の6作品が並ぶ。

 事前情報ゼロと言ったが、つまりは作者の得意ジャンルも書かれた年も俺は何もわからない状態なのだ!
 こういう状態で作品に触れるのはある意味ギャンブルである。
 だって、面白味が半減しちゃったり、セルフミスリードしちゃって、スルーしていい描写に気を取られて本筋を見失っちゃったり、コメディなのにホラーだと思いこんで読んで、途中まで勝手に怖い展開を想像してビビっちゃったり、そんなことも起こり得るわけだもんな。

 けれど、事前情報ゼロで物語に触れられる機会ってそんなにないし、短編集だからギャンブルに失敗しても、ダメージは少なくて済む可能性が高いし、逆にそのギャンブルに勝つとすごく良い読書体験になるから、だから、それも含めて楽しもうと思ったわけだ!
 もしかしたら、こんな読書は邪道な楽しみ方かもしれない。きちんと作者の経歴とか、作品の大まかなあらすじとか知った上で読む方が真摯な態度なのかもしれない。

 けど、敢えてそんな邪道な楽しみ方もいいんじゃない?
 自由に読書を楽しもうよ!
 堅苦しくやろうとすると読書がつまんなくなっちゃうじゃん。気軽にトライしてみようよ!
 
 名付けて『邪道読書』だ!

……前置きが長くなってしまった。てへぺろだ。

では、感想文に入るぞ!

最初の短編、「かくし味」は離婚した若い男が、傾きかけた古臭い居酒屋を見つける所から始まる。
 繁盛していて気にはなるけど常連だらけで入れない店。『行列お断り』という看板があったり、常連ばかりを優遇する店だという噂を聞いたり。少し嫌な印象も持ちつつもいつも店の前を通ると空いてないか覗いちゃう。気になっちゃうわけだ。
 そんな店にふと入れる機会があり、上手い具合に常連になる。偏屈だと思ってた店の親父と女将も「田舎の爺さん婆さん」みたいで暖かくて居心地がいい。煮込みもうまい。常連とも仲良くなる。
……という導入だ。ここまでだと、この話がどう転がっていくのか予想がつかない。
俺はこの作品の作者が『日本推理サスペンス大賞優秀作』を取ってる人だなんてしらないんだもん。

ほっこり系の人情モノかしらん?と思いながら読み進める。
人情モノは好きだ。
優しい爺さん婆さんの店主。そこに集まる癖のある常連客。なんだかんだありつつ店の主人も歳だから、死んじゃったりして、もうあの美味い煮込みも食えなくなっちまったなぁ……的なお涙ポロリ話なのかもしれないな。
などと勝手な予想をしながらページをめくっていく。
タイトルが「かくし味」という点も、「かくし味は店主の愛」みたいな。強引に感動に持っていく展開を妄想したり。

しかし、読み進めていくと、常連が死ぬ。立て続けに。

昔からあの店の常連になると青い顔して死ぬ奴が多い、と噂話を聞かされて主人公は青ざめる。

……あ、殺人モノ?
ってことはただの人情モノじゃなくてミステリー?サスペンス? 
それとも、やっぱり人情モノで常連が死ぬのは単なる偶然で、やっぱり暖かいほっこり話で終わるのか?
頭の中でこの後の展開の予想が入り乱れる。
うぉー!楽しい。脳汁がでる!

もう一度言うが、俺はこの作者の作風を知らない。
サスペンス、推理、大河小説と多彩な作品を、巧みな構成と緻密な心理描写で紡ぐ(Wikipedia)作風の直木賞受賞作家だなんて知らないのだ。

 はじめっからミステリーだとかサスペンスモノだってわかってたら、最初の人情話は単なる序章でしかないってわかるし、ジャンルに合わせた伏線を見つけようと注意深く読んじゃうけど、なんの前情報も入れずに読んでるから、いろんな展開を想像しながら、起こる展開をすべて新鮮に楽しめているわけだ。

 例えば映画のCMで「ラスト1分を見逃すな!」とか、「どんでん返しに誰もが驚愕!」とか言われたらそれだけでハードルがクソ上がるじゃん?

 何も知らないからこそ、ギリギリまで展開を楽しめる。これは事前情報シャットアウトで読む時にしか味わえない感覚だ。これぞ邪道読書だ!なんて偉そうに言ってみたり。
……無知なだけなんだけど。

 でも、いってみれば、読書をあまりしていない無知な人こそ、この楽しみ方ができるわけだ。羨ましいだろ!
 なんか最近は伏線がどーとか、考察がどーとか、そんなんばっかじゃん?
 お笑い芸人のネタでさえ伏線回収がどーとか言う始末じゃん?
 まあそういうお利口な楽しみも勿論否定はしないし、嫌いじゃないけど、もっと自分の感性を信じて自分の感想を大事に生きたらとも思うのよ。俺の人生だ。楽しみ方は自分で見るけるんだ。
 なーんも知らん状態での読書。オススメだよ。楽しめないかもって思うなら、君はもう凝り固まっている!
なんちゃって。
……話がずれた! んなことを偉そうに言おうとしたんじゃない。読書感想文だ!

ま、「かくし味」がどうなっていくかはみなさん読んでみてよ。ネタバレになるから言わんよ。

さて、この調子で全部の作品に対して、順に感想を書いていこうかと思ったが、既に長文になっちゃってるし、ダラダラしちゃってるから、この短編集の中でも印象に残った二作の感想を書こうと思うぞ!

『夕立』と『不発弾』だ!

『夕立』は簡単にいっちゃうと、痴漢された女子高生が犯人を警察に突き出すが、「本人も謝ってるから許してあげて」と言われたり学校の女教師には「あなたに隙があったんじゃないの」なんて叱責されたりして、大人はだりいなって話。

 かと思いきや、その女子高生は実は痴漢冤罪をでっち上げて、ひともうけしていたって話だ。
もちろん、この作者の芸風的にもラストは一捻りあるのだ(事前情報無しで読んだとて、1作目のかくし味を読んだことで、こっちも何か波乱が起こるんだろ?って気持ちで読んでるから、びっくりはしない。邪道読書はおしまいだ)

話の流れや痴漢冤罪をでっち上げて云々……ってのは令和5年に読んだら、ありがちって思っちゃう話ではある。
今時のTwitter(X)で流れてくるWEB漫画とかでも際限なく溢れてくるようなテーマと展開だからさ。
でも、作中に出てくる単語は『ポケベル」『デートクラブ』『テレクラ』
めちゃくちゃ時代を感じる。
そりゃそう。
この作品は1997年に書かれた作品なのだ。30年近く前の世の中を描写してるわけだ。
30年前の女子高生(JKなんて言葉もなかった時代)だけど、読み進めるとこんな文章が出てくる。

(ポケベルが鳴りっぱなしの場面や、友達とファーストフード店で駄弁ってる時の様子。以下、引用するぞ。

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誰もが百人や二百人の友だちくらい、普通に持っているのだから

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千紗の説明を信じたかどうかは分からないが、友人は「ふうん」と言ったきり、口を噤んだ。千紗の周りの連中は、皆がそうだ。決してしつこく相手の問題に立ち入ろうとはしない。面倒な話になってはたまらないし、「あの子はうるさい」などと思われてしまっては、仲間から孤立する恐れがあるからだ。だから、当たり障りのない話だけをしながら、あとは適当に楽しく過ごし、プリクラあたりでその記録を残して、そんな感じで日々が過ぎれば、まあまあハッピーというのが、千紗たちの考え方だった。

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 今の世の中となーんも変わらんやんか!
 日進月歩で進化してく科学技術と比べ、人間なんか全く変わらないんだな。
 古代のエジプトの壁画に「最近の若者はダメだ」って書かれてたって有名な話もあるし、文明がいかに進歩しても、人間なんか何も変わらないんだろな、、なんて思っちゃったよ。
 人は進歩しねーのか! なら生きてる意味あんのかよ!ってところまで考えてしまったよ。

次の作品にいこう! 

『不発弾』
 これは唸りました!
 これは嫌な気持ちになりました!
 平成っぽさ爆発だけど、日本の現代社会(平成から地続きでの令和)の日陰部分を鮮やかに描写しておりますよ。
 ぬぁー!きつい!って感じ。

 嫁子供いるデパート社員のパパが主人公。
 家族のために頑張ってるし、順風満帆な出世コースとは言えないし愚痴はあるけど、まあまあそれなりの中流家庭。
 なんだけど、、、だんだんストレスが溜まっていって最後は爆発……?って話。
 ストレスの溜まり方の描写がエグい。
 パパも人が良いから我慢しちゃうの。娘の外泊、息子の万引き、母親がそれらを怒らないこと。
 文句を言いたいけど、気を遣って言わない。けど、家族にしてみれば何も言わないくせに偉そうにしてる風に見えてる。みたいなすれ違い!ねじれてく関係。

 互いに尊重はし合ってたりする中で小さな愚痴や不平不満が溜まっていって悪い方に悪い方に転がっていく。もっとコミュニケーション取れよ!って作品の中にズカズカ入って一言物申したいけど、みんなの言い分もわかるしなぁ、、みたいな。
 気楽に生きようぜ、、とか安直なことしか言えないし、、パパの態度も、確かに多分それしかできないよなぁって感じなのよ。窮屈な社会に体と心を押し込めて、無理して真面目に生きようとして壊れちゃった。みたいな。
 令和の今でも頻発してる「なにもかもが嫌になって通り魔しちゃう奴」の、側から見れば大したことない「なにもかも」の部分を丁寧にほじくり返してる感じで、きつい。
 もちろんこれも1998年。平成の初期ごろの作品。今もなんも変わってない。無敵の人が通り魔を起こしてるわけだから闇ぃ。
 かといって、夕立で取り上げた普遍的な人間のコミュニケーションが時代を超えて変わらないのねーって話とはちょっと感じ方が違くて、『現代社会』の闇なんだよな。

昭和のバブルが弾けて経済が、停滞していわゆる「失われた30年」がもたらした閉塞感が、令和にも続いてるからこそ、「今と変わんねーな」って感想になってるんだよな。
それは誰のせいだ?
政治家のみなさん!
考えてくださいよ!
どんなに綺麗な水も一箇所に溜まれば腐る。
素敵な美しい国ニッポンも、まあ腐ってきたということですよ!

……なんて唐突な政治批判と雑なまとめを、ぶん投げたところで、、第二回の【俺の読書感想文】はおしまいだ!

ぜひ、不発弾、読んでみてくれよ!
最後の『幽霊』も読後感がいい感じだよ。長くなったから割愛するけど。

ってなことで、またな!

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