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ジメッとしてしんどい


才能がない自分を、それでも認めてあげたいと思う。

そう、認めてあげたいだけなのだ。俯瞰的に己を見つめ、ただ、その慈悲の心から、認めてあげて欲しいと自分に懇願しているだけ。


「表現」と聞けば、それなりにかっこよく感じる。

まるで自分の言葉が、神のおつげさながら誰かの救いになると信じ、鉛の銃弾のごとく、一ミリのずれも許されない重大な力を持つと信じているみたいだ。

さすがにそこまで驕ってはいないが、それでも「表現」の真似事はしてみたいと、今日までアクションを起こしてきた。

noteしかり、ウェブ小説投稿サイトしかり、ラジオ配信アプリしかり・・・

どれもこれも、鳴かず飛ばず。


才能がないことなんて昔から分かっている。

それでも伝えたい、作りたい、と思ってしまうから厄介なのだ。


この世に、「自分の言葉は特別だ」と考えている人はどのくらいいるのだろうか。

たぶん、勝手な憶測だけど、結構いるのではないか。


「自分の事を信じてあげられるのは自分だけ」なんて言葉もあるし、自分に自身をもつことは結構だと思う。

ただ、一人ではその思いを貫けない人も多くいる。

だから、そういう人たちは、自分が特別であることを確かめるために、他者からの評価を求めるのではないか。

結局、自己承認欲求とかなんとか、ぐちゃぐちゃしてジメッとしている気持ちの悪い部分の話に落ち着く。


チャレンジするほどに才能のなさを実感して傷つくのであれば、いっそのことうずくまってじっとしていればいい。とはいかない。

きっと、うずくまってじっとしていれば、自分の存在が希薄になって、消え失せてしまう。


何度でも言うが、私はこんな自分を認めてあげたい。

才能がない自分を、「才能がないと思い込んでいる」自分として認めてあげたい。


きっとその時は、他人が自分のことを認めてくれた瞬間になるだろう。

本当は分かっているのだ。


「他人に認めてもらえる自分」になって初めて、「自分に認めてもらえる自分」になるのだから。

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