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移動の記録/別所温泉の旅館「花屋」(22年6月)

大正6年(1917年)に創業した別所温泉の宿。純日本建築と和洋折衷の調度品は、大正ロマンのノスタルジーを感じさせます。

和洋折衷の大正ロマン

6500坪もの広大な敷地には、離れの部屋が散らばっています。ほぼ全館が登録有形文化財指定の宿です。

分岐があり迷路のようにのびる渡り廊下

玄関を入って正面には庭を臨むラウンジ、右手に行けば図書館や売店、浴室があります。予約した51番の部屋(離れではない)は、左手からアプローチしますが、渡り廊下は分岐しているので、迷子になることたびたびでした。

庭を臨むラウンジ

客室の顔触れはさまざま。極彩色の天井画のある21番、欄間に鳳凰が彫られた81番、長火鉢のある80番などは専門家もうなるところ。21番は、新潟県の上越市に在った遊郭を移築したという部屋です。

51番の部屋。時折聞こえるカッコーの声

お風呂は3種類で、ステンドグラスがはめられた大理石風呂、露天風呂などがあります。お湯は緑に見えます。温泉の特質なのか、湯殿は全体に緑色をおび、ややぬめりがあります。露天風呂は池にでも入った感じでした。不思議な感覚でした。

ダイニングは欅の柱と小屋組で欧風の空間

日本文化を代表する歴史ある古い旅館ですが、その建築は自由闊達なものを感じさせます。「宿泊施設とはこういうもの」、という固定観念から逸脱しているというか…。なぜ、昔の旅館建築はこれほどに魅力的なのでしょうか。それはパターン化されてなく、均質的ではないからなのかもしれません。

「別冊商店建築93 旅泊の空間」に「日本の木造旅館建築の魅力を考える」という座談が掲載されているのですが、建築家で文筆家の鈴木喜一氏が次のようにコメントされています。

当旅館の図書室で閲覧できます

「一昔前の旅館というのは、建築家がいない建物、建築家の設計が入っていないのが多いんですけれど、結局、旅館の主人が普請道楽で各地を見て、宮大工さんとか地元の棟梁に指示しているということが多いみたいですね。

時には一緒に職人さんたちと歩いていることもあるし、またある時は、地元の見込みある若い大工を京都あたりに修業に出すところから始めている場合もある。

言ってみれば旅館の主人が建築家だったというか。しかも、ものすごい長いスパンで将来的な構想も含めて建築に取り組んでいた」(後略)

庭園の草木ものびのびと

なるほど、合点がいきます。旅館の主人は監督として全国各地を見て回り、かつ人を育てていたわけです。

この対談が行われたのは1998年、この時点で昔の名残をとどめている旅館は500軒程度ではないかと言われていましたが、それ以前の日本には、少なくともこの数を上回る“名建築”が存在していたことが類推できます。


別所温泉は寺院が多く宮大工が活躍した(北向観音)

金銭的に余裕があるだけでなく、芸術的センスに長け、〝現地現物”の視点を持ち、なおかつ長期目線で人材育成し、日本に文化を残した旅館の主人――。


今の日本の名だたる経営者を横断的に見た場合、これだけの総合的な力量を持つ人物はありやなしや。日本文化の発展は(残念ではあるけれど)ひょっとすると、すでにピークアウトしているのかもしれません。


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