見出し画像

雪かきは無駄。生きているのもそれと同じ。byおじいちゃん

札幌在住、雪かきだいっきらいにんげんです。

雪かき、めんどくさいな~って思うと、
死んだおじいちゃんの言葉を思い出します。

雪かきの何がめんどくさいって、「どうせまた、雪降るのに、雪を近くの公園まで押してもっていく必要あるの?」っていうところです。
札幌でも雪かきのやり方は住んでる場所によって様々で、大きな道路に面していればたいてい雪を放り込む排水溝的な、穴があるので、そこに投げるし、僕の家みたいに、近くに公園があれば、ママさんダンプで持っていきます。そして、家の前の敷地が広いと雪かきのする面積も当然増えて、時間もかかります。僕の実家はありがたいことにつめれば車を4台停められるくらいの大きさなので、雪かきの時間もかかるわけなんです。

どうせまた雪積もるんだから、公園まで持っていかないで家の前の敷地の横にどかしておけばよくない?と思うのですが、「見栄えが悪い」という理由で、おじいちゃんにも父にも、反対され、雪かきを手伝わされます。やっぱり、マイホームを持つと意識が違うのでしょうか。

ドカ雪が降れば、一人だと2時間くらいかかるし、二人でも1時間はかかる。その時間を他のことに使ったほうがいいのでは・・・。考えれば考えるほど、僕から文句が垂れます。

そうやって、
「どうせ、すぐまた雪が積もるんだから、雪かきをするなんて無駄だ」
と文句を垂れていると、おじいちゃんは、ある時言いました。

「じゃあ、お前は、どうせいつか死ぬのに、なぜ生きている。」

僕は、何も言い返せず、雪かきに取り掛かりました。

確かになんで生きているんだろ~
生きている意味わかんないけど、死にたくはないな。

そんなことを考えていたら、あっという間に雪かきが終わりました。

おじいちゃんはどうせ死ぬのに一生懸命働き家系を僕まで繋ぎ死んでいった。そして、僕も同じく、いつかは死ぬけど、毎日何かを学び、そして働き生きている。客観的に見たら生きている意味なんてないんだろうから、せめて主観的に意味を持たせて、自己満で生きていこうと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?