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アウトプットがしたい

 アウトプットからますます遠ざかる日々を憂い、日記の筆をとる。でもこのアウトプットはどうせ続かない。現に今も集中が途切れるとTwitterを開いている。気が散っている。

 しかしながら、シャーペンを動かす行為は心地がよい。タイピングやフリックでは味わえない脳の快感がある。気持ちが乗るのが分かる。文豪の手記も見てみたい。味わいたい。
 
 僕にはもう、文章を書くことを無条件に鼓舞してくれる人はいない。どんなに拙い文章でも諸手を上げて称賛してくれる人はいない。
 
 消えかかった私の火は、自分で大きくしなければならないのだ。師が私のために木を切り、薪を割り、火にくべていたことを知り、自ら行わねばならぬのだ。

 火が残っているうちは、たとえ風前の灯火であろうと、自ら絶やしてはならない。薪をこうやってくべ続ければならない。
 
 我慢のときを越えれば、いつか薪を与えてくれる人が現れる。火を守るために釜戸を提供してくれる人が現れる。

 やがて、僕の火が燃えさかる炎となるそのときを信じて、僕は決して、火を絶やしてはならない。火を絶やしてはならないのだ。

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