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ミステリとして読んでいる本

ジャンルとしてそう言っていいのかわからないけれど、個人的に<ミステリ>と思って楽しんでいる本があります。

それは何かというと…

蓮實重彥『伯爵夫人』シリーズ!!
突然どかーんと発表されて世間の度肝を抜いた『伯爵夫人』(2016年)。
それで終わりかと思いきや、数年の時を経て、月刊の文芸誌『新潮』にその後を描いた短篇『午後の朝鮮薊』(2023年10月号)が掲載され、つい最近も『アニー・パイルと「イサイ フミ」』(2024年8月号)と続篇が来たので、勝手にシリーズと呼んでいます。

<官能小説>?<ユーモア小説>?<歴史小説>?…どうにも形容し難い奇体的小説で、存在自体が<ミステリ>です。⇒【謎、その1】
『伯爵夫人』が、第29回三島由紀夫賞を受賞した時、そのポルノグラフィーな内容ばかりが騒がれていましたが、実際に読んでみるとそれは部分的な要素であって、その一言で形容しきれるものではないと感じました。
(ちなみに、官能的場面にはどこかユーモアな雰囲気が漂っていて、そういう類が苦手な私でも面白く読むことができました。あれをちょっと思い出しましたよ。ジャングルの王者ターちゃん…)

ペダンティックなどと言ったら悪口に聞こえそうであれなんですが、誉め言葉としてここでは使います。
元東大総長にしてフランス文学者、映画にも精通している著者が書いた作品だから、そこかしこに<知>が、<教養>が詰まっている。
それは到底一読して追いつけるものではなく、隅々まで理解しようと思ったら、本を何冊も、映画を何本も観なくてはならない。それでも細部まで気づけるかな?という濃密さ。
「本が本を産む」とよく言いますが、『伯爵夫人』一冊で、どれだけの本とDVDを産むだろうか、という感じです。深く知るためには、大量の資料が必要。
(現状、YouTubeとかWikipediaなんかで濁してしまっていますが)
組み込まれた<知>を読み解くという意味でも、<ミステリ>だなと思います。⇒【謎、その2】

更にその上、物語の内容も<ミステリ>です。⇒【謎、その3】
主人公の二朗を取り巻く女たちが、揃いも揃って曲者で、正体が全然わからないという。そして、やたらめったら翻弄されて一人取り残されていく。
なんでまた、二朗は次々と、こんな目に、あんな目に遭ってしまうのか?
<ミステリ>として考えると、二朗が探偵役ということになるのでしょうが、彼は「おみお玉」を痛めつけられたり、青くせえ「魔」のつくものを弄ばれたりするばかりの受け身の人物で、その謎を探るという姿勢はほとんどありません。
だから、読者が探るしかない。
(そんなこと気にせず、二朗と一緒に迷宮を彷徨っていればいいのかもしれませんが)
おそらく謎は解かれないまま、ドロステのココア缶の入れ子絵のように無限に続いていくのでしょう。
解けない<ミステリ>を永遠に楽しむのもまた愉快と言えば愉快ですけども。

『伯爵夫人』から次の続篇『午後の朝鮮薊』が発表されるまで数年の間がありましたが、その次の『アニー・パイルと「イサイ フミ」』まではちょうど十か月でした。(意味深)
その周期なら、次は、2025年6月か?とか思ってしまいますが、そんなこと関係なしにどんどん先を読みたいものです。(双子でも五つ子でもどんどん産んでください)

とにかく、女たちの謎なんて解けなくてもいいから、回転扉の向こうからばふりばふりと伯爵夫人に再登場してもらいたい。
それから、昭和の東京五輪の頃には娘ざかりになっているであろう楓子の、蓬子から受け継ぐ小悪魔っぷりも見てみたい。

『アニー・パイルと「イサイ フミ」』を読んだばかりで興奮している(変な意味ではないですよ)状態でいろいろ書いてしまいました。

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