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そのひと言だけで、つづいている
志邑です。
#卒業のことば というハッシュタグを見て、思い出したことを。
わたしは、浪人して大学に入っております。
受験生のとき、ピタっと勉強ができなくなってしまって(いま思えば受験ノイローゼ)、学校までは行くも教室にいけず、パソコン室でだらだら。
当たり前だけど、滑り止めから何から全落ちするという。
で、母が見つけてきたのが「芸術学部」という選択肢。
正直いって母がそういう学部を勧めてくるとは思わず、わたしも絵も書けないし演技もできるわけでもなし。
文筆を芸術と位置づけて、芸術として学ぶっていうのを、思いつきもしなかった。
それに、高校生時点でものを書くのは好きだったけれど、それを勉強したいなんていうのは、聞き入れてもらえるもんだと思ってなかった。
無意識に、いい子ちゃんぶってたな。
その年の後期試験を滑り込みで受けたものの、付け焼き刃じゃ面接なんかでちっともそれらしい受け答えできなくて。
結局浪人決定、そのまま卒業式。
担任の先生は春から体調を崩されていて、実はずっと休んでいたんだけど。
卒業式には来てくれました。
さいご、先生に呼ばれたの嬉しかったなあ。
卒業式のあと、先生にぜんぶ落ちたって報告しました。
その時に「来年は芸術学部第一志望にしようと思うんです」って話した。
「シムラさんは、そういうのが合ってると思うよ。」
たったそれだけなんだけど、先生にそう言われたのが、なによりの志望動機になった。
わたしが、ものを書く楽しさに目覚めたのは「カキナーレ」のおかげだった。
「カキナーレ」は国語の先生(=担任の先生)がはじめた、授業とは全然関係ない催し。
ノートにお話(うそでも本当でもよい)を書いて、所定の場所に提出。
先生たちが選んだいくつかを、定期的にペーパーにして学校中に配る。
掲載はペンネームか匿名。
毎回ちがう名前でもいい。
そんなようなルールだったはず。
それを、授業は聞かないくせに、しょっちゅう書いて出してた。
そしたら、新聞部の先輩が「この人面白い!紹介して!」と担任に押しかけ、私は新聞部に入部するという縁がつながって。
先生がカキナーレをはじめなければ、ものを書いて発表することもなかったし、紙に載ったと喜んで母に見せたから、芸術学部を見つけてきてくれて。
だから先生のひと言は、わたしの何よりの後押しになった。
そして、浪人して、宣言通り芸術学部に入ります。
でも先生は体調が回復せず、わたしの合格の知らせをきくことはなかったんだけども。
わたしの背中を押してくれた先生が、もうわたしに何もいうことがない、と思うから、わたしは書き続けているのかも、と思う。
先生以外、わたしを止められない。わたしに響くことばはくれない。
なんて言ったら、責任転嫁かも。
先生に「調子のいい適当なことばっかり言って」と、怒られそうですね。
でも、ほんとに。
先生の後押しのせいでこんなところまで来ちゃったよ。
来ちゃったからには、ずっと見ててよ、みたいな、そんな気持ちで書いている部分はゼロじゃない。
わたしにとって、卒業式のことばは先生の「合ってると思うよ」っていう、何気ないひと言だった。
このnoteとか、いろいろ、見てるよ、見たよ、って言われることがあって。
それだけでとても嬉しい。
きっと、自分が好きでやっていたことが合っている、そう言われたのが何より、わたし、嬉しかった。
そういう小さな嬉しいを積み重ねて、伝えられるようにがんばりたいなと思った3月でした。
志邑でした。
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