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ハイドアンドシーク

履きつぶした革靴は、靴底が破けていて、動くたびに湿っぽい砂が中に入り込んで不快感を助長した。
海から流れてきた、ばらばらになりかけの洗剤容器や、おそらくバーベキューの残骸の缶や箸が、ベージュの荒い砂山に刺さっている。
陶器の破片は丸みを帯びていたが、時折ゴム底のすき間に食い込もうとする。
足がもたついて、少しも進んでいる気がしない。
とにかく走っていた。

ーーーーーーーーーー

急に深夜呼び出されるのはいつものことだった。
無視すればよかったのだろうが、それができないのもやはりいつものことだった。
先輩は面白がっている、というよりは何も思っていないという風で、勘弁してくださいよお、と軽く言ってはみるが、響いていないようだった。
明日起きれないなあ、とか、遠回しには一応抵抗しているのだが、それでも自分は呼ばれたら行ってしまうのだから、あまり説得力はないだろう。

せめて面白がってほしい。と思う。
当然、というような感じが、なんとも苦笑いするしかない。
自分の家に寄る時間もないので、スーツのまま先輩の家へと向かう。
今日は車が用意されていた。
片方の口角だけがひくひくと上がっているのが自分で分かった。

先輩の運転でどこかへと連れて行かれる。
免許を取得していなくてよかったと心から思った。
とはいえ寝ると起こされるので、休めるというわけでもない。
どこ行くんですか、と聞いても教えてくれるわけでもない。
音楽を流すことで、間をごまかしてはみたが、いちいち曲の感想を求めてくる。
当たり障りないこというとやり直しをくらうので、きちんと考えるのだが、それも何度も却下される。
俺がその曲を好きかどうかはどうでもよかった。
先輩は、流れる曲について俺の口から代弁させることが目的で、それが叶うと満足したようにハンドルを叩いた。

疲れを知らないのはいいことなのかもしれない。
しかし、先輩は普通の人間は30時間起きていると疲れるということも知らないようだった。
学生時代から、この人は寝ているところを誰も見たことがないと言われるほどだった。
やっとサービスエリアに着いたが、相変わらず先輩は饒舌で、何度も聞いた話だとしても、俺が眠そうな返事をすることに納得しなかった。
俺以外に誰か誘ったんですか、と聞いたら、お前しか誘ってねえよ、と当然のように返す。
2年前くらいなら誘っていたかもしれないが、今では俺しか返事が来ないんだろうな。
何も考えていないような、考えているような、それのどちらも一度も教えてはもらえなかった。

頑張って耐えてはいたが、朝日がのぼる前に助手席で寝てしまった。
さすがにその後は起こされなかったのか、それとも起こしても反応がなかったのか、次に目を開いたときには、目の前には海があった。

汚い海だった。
砂よりもゴミが多く、錆びたフェンス、灰色の堤防、もう誰も使っていないであろう船が港にひしめき合う。

くたくたの俺を転がして車の外へ出す。
先輩はべたついた海を、べたついた顔で眺めている。

「太平洋って汚えな」
先輩はひと言そういうと、俺を置いて車へもどっていった。

立入禁止の看板だったものにしゃがみこんでいた俺をそのままにして、先輩は車を発車させた。

海岸のきついカーブを、灰色の車がなめらかに走って消えていった。
地球の表面をなぞるように、太陽は水平線のなかへと潜りこんでいく。

だぼついた既成の背広からスマホが落ちて、画面がぼんやりと光った。
俺はそれを拾い上げ、海から逃げるように駆け出した。


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