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さっさと余生(仮)を過ごしたい
最近口ぐせのように言っていることば、「さっさと余生を過ごしたい」。
今日も、早く余生に突入したいなあと思っていたんですが、違うな、逆だな、と。
突然ですが昔、書いた詩です、一部抜粋。
(前略)
特別な香りから
深夜番組のタイトルコールで
夢はさめる
スイッチが入る
顔を洗って
気取らない声で笑って
スイッチが入る
靴のかかと踏んで
螺旋階段をかけおりる
アパートの
自販機でビールを買う
スイッチが入る
(後略)
この詩を書いたときに、ひとに言われたのが「これ『スイッチを切る』とかじゃないの」みたいなことでした。
違うんだよ、すっぴんで部屋着でこたつでビールを開けるときが、いちばん「生き返る〜!」ってなるじゃないですか。
実際いう人いません?
仕事終わりの一杯目で「生き返ったわ〜」って。
外に出かけるためにおめかししているときももちろん、それに見合った楽しさがあったりしますが、家ですべてから解き放たれたときこそ、生きているぞ!って思うから。
わたしのスイッチが全開にオンになっているときは、休んでいるときだなあと思う。
まあ、オンとオフ、というより「仕事用のオン」「おでかけのオン」「おうちのオン」「オフ」ぐらいあって、出力的に「おうちのオン」が最大、的なことだね。
そうすると、わたしのいう「さっさと余生を過ごしたい」は「ずっと最大出力のわたしで生きたいぞ」ということだ。
じゃあ、いまって、何しているかって、まだちゃんと生きてないなって。
死んでいる、というわけではないけれど「まだ生誕してないかも」ぐらいの。
一応、身はあるし、戸籍もあるし、存在はしているに違いないけれど、わたしがいま存在している理由って、わたしが最もわたしで生きるための準備のためじゃない?
だから、余生じゃなくて「早く生まれたい!」みたいな。
なんか妖怪人間みたいになってしまいました。
余った人生なんかじゃなく、ちゃんとわたしらしく生きるための時間、ならば、そこにたどり着くまでできるだけ最短が良いと思うのは、道理じゃないかと思う。
とはいえ、最短を気にしすぎて、作った高速が欠陥だらけだったら早々に崩れてしまうので。
徐々にボリュームを上げるように。
堅実な回り道をして、確実な道で行ってこそ、近道。
そのために必要な道は、いまのところ概ね、予定通りのルートを通っているような気がいたします。
むしろ、予想外に、いい方向に行っているかもしれません。
なにがいいかは「その時のわたし次第」なので、数年後後悔しているかもしれません。
少なくとも、数年前の自分なら嫌がりそうな人生になっている。
それがいま自分にとっては、いいと思えるのは不思議だけれど、ずっと前から変わっていないのは「最大出力でスイッチが入る瞬間」。
明日の夜は、全開フルスロットルの予定です。
志邑でした。
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