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アタマの上の蝿を追え②【小説】

前回まではこちら

あの日以来、近ごろは寝坊しなくとも、もう顔に時間をかけるのは止めにすることにした。
髪型は束ね方を変えると、課のメンバーとコミュニケーションが取れるので時々お団子にしてみたり、また下ろしてみたりとアレンジに力を入れてみると、案外これがたのしい。

朝、のんびりと焼かずに食パンを食べ、早めに家を出る。
一駅となりが終点なので、あえて逆走して、座ってそのまま、28分、出社するだけなら簡単にできる。

実は皿から生姜焼きが消えたあとも、朝起きるとテーブルに珈琲があったり、飲みかけで寝たと思ったがビールの缶が消えていたりした。
しかし毎日寝入る前に一杯かそれ以上引っかけるのが当たり前になっていたので、どれもが確かな記憶とは言えなかった。
朝の珈琲も手を付けるのは気が引けてそのまま出てきたが、帰ると消えていたので気のせいか、昨日の記憶と混同しているかもしれないと思った。
さすがに1週間続いたので、だれか侵入しているんじゃないかと不安もある。が、侵入してそっと珈琲を出すなんて、一体どんな不法侵入だろうか……。


「先輩、おはようございます。知ってますか?営業二課の部長の家に来たらしいですよ、例のモニター」
今朝も出社してきた途端に後輩から声をかけられる。しかし今日は一段とテンションが高い。
「おはよう。モニターって? 画面? 経費で落とした覚えはないけどな」
「ちがいますよ、あの『妖精』のモニターです」
「『妖精』?」
後輩はさすがに驚いたという顔でわたしを見る。なんのことだかさっぱりで、わたしもキョトンとした目で見返す他ない。

「テレビ観てないんですか? 政府支給の、ほら……正式名称なんだっけな」
「『超小型飛行式家政婦F-0140ver.PROTO』だ」
手元の資料を読み上げながら、二課長が横に現れた。
「小さくて飛ぶから、妖精みたいだなつって。正式名称長すぎるしな、覚えられないよ」
「あーおはよう」と言いながら、わたしの横の椅子にどっかりと座る。
「説明書は簡素すぎるし、『妖精』というには小さすぎるし。今朝うっかり虫と間違えて潰しそうになった」

虫と間違えて潰しそうになった?
「その……『妖精』、ってどんなことしてくれるんですか?」
二課長は上を見上げて唸る。説明書を膝でバサバサとたたきながら「言っても、おととい来たばっかりだしなあ」とぼやいた。
「まあ、家事全般だよ。いない間に掃除してくれたり、皿洗ってくれたり。まあでも小さいから、できることが限られているらしい」
そこまで言ってから「あ、今日朝から定例だったわ」と足早に去っていった。

「全然知らなかった、最近テレビ壊れちゃったから」
そういえば最近は電車でも座れるので寝てしまっていた。ネットニュースも読んでいなかった。
後輩は「それは買い替えましょうよ」と言いながら、空いた席に座った。
空いた席、といったがそもそもそこが後輩の席だ。
「なんか、試運転で『妖精』の利用モニターをランダムで選んだとかで。都内の23〜38、か9歳ぐらいまでの独身の家に配布されてるらしいですよ」
わたしも適用範囲内だ。
「まずい、わたし、アレ、叩き潰しちゃったかもしれない」

家の扉を開けてじっと固まる。カサカサとなるコンビニの袋を抱えて、耳を澄ませる。小さく羽音が聞こえるかと思ったが、そもそもアレはハエではなかった、構造が違うのかもしれない。
「あのー、家政婦さん? 妖精さん? いますか?」
返事はない。
そこで、説明書の存在を思い出した。どうせ光熱費の請求以外何も届かないからと、ポストはほとんど見ることがなかった。

「……あった」
たしかに薄い封筒がそこにはあった。【重要書類】と赤いハンコで押された文字が激しく主張し、シールでぞんざいに貼られた住所が小さい文字で踊る。
確かにわたし宛の、厚生労働省からの封筒。
開けると、課長がバタバタと膝を叩いていた書類と同じく、ホチキス止めで白黒印刷の安っぽい取扱説明書とこのプロジェクトの概要が出てきた。

『このプロジェクトは独居世帯・核家族の増加、世帯別の収入の低下に伴うQOL(生活の質)の向上を目的とした、政府による配給型家政婦の導入に向けてのテストです。』

『最終的には老老介護やひとり親世帯の子育てなどに役立てるものですが、まずは独居の23歳〜39歳を対象に、テスト利用していただき、その使用感などのレポートをお願いするものです。』

『対象の世帯は平等を喫するため厚生労働省よりランダムで選出しております。レポートをご提出いただくにあたり、試用期間の終了後、謝礼をお渡しさせていただきます。お手数ですが何卒ご協力をお願いいたします。』…………

との序文のあとに、薄いコピー用紙には小さい文字でプロジェクトの概要やレポートの提出方法などが記載されていた。

封筒をよく見ると、中にもう一枚提出用の複写式になっている用紙と、折りたたまれた封筒も入っていた。切手も貼ってある。
超小型のロボットを支給しておきながら、ここらへんはだいぶレトロだな、と思ったが、説明書きを読んでいくとインターネットでレポートを提出することも可能なようだった。
しかし、QRコードのようなものはなく、手打ちでアドレスを打ち込まなければならなかった。

やはりわたしが叩き潰してしまったのは『妖精』に違いなかったが、そうするとあの衝撃を受けても壊れることなく、引き続き「業務」に徹してくれていたということになる。
そういえば、今朝の飲みかけにしていたマグカップも、テーブルに放置していた食パンの袋も定位置に戻っている。
寝ぼけていたわけでも、酔って幻覚を見たわけでもないらしい。
『基本的には家主のいない間に簡単な家事全般を行います。AIで動くため、家庭により『妖精』の行動が異なるため、部屋に起きた変化についてレポートのご提出をお願いいたします。』
とのことだった。

このレポート、試用期間3ヶ月の間2週間に1度提出が必要らしい。面倒ではあるが、よくよく読むと謝礼はそれなりに出るようだった。
謝礼をもらいながら、家事を多少やってもらえるのなら正直ありがたいかもしれない。生姜焼きをレンジに放置してしまうような人間としては。

そもそも、叩いて壊れていたら謝礼どころか賠償責任があったかもしれないと思うとレポートぐらいで文句を言える立場ではない。
「でも2週間ごとはちょっと大変だな……」
とはいえそんな状況は誰も知るところではない。面倒くさいものは面倒くさい。
ぼやいたところで誰にも聞こえるわけではないし。
2週間後か……ハエ、と間違えて叩き潰したのは…………
そうなると、明日がレポート提出の初回ということになる。

(続く)

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