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アタマの上の蝿を追え①【小説】

志邑です。
「不思議」をテーマに書いた小説(の冒頭)が見つかったので載せます。
まだ冒頭のみですので、何回か続きます。


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今朝、電子レンジを開けるとそこには生姜焼きがあった。

思えば昨日は朝から散々だった。

天気予報を見ていたの何故か傘を忘れて家を出た。
この道十ウン年だというのに小学生だって間違えないだろう計算ミスをしでかした。
大ごとになる前に後輩が気付いたから良かったものの、このままでは会社にとって大きな損失を生み、私の首がひとつ飛んだだけでは済まないところだっただろう。
初歩的ながらも重大な失敗を、後輩は笑うわけでもなく、むしろ私の体調を心配してくれるのだからかえってやるせない。

帰りは雨が降った。
案の定というか、ついていない日はとことんだというのをひしと感じる。
終業の一時間前くらいに始まった土砂降りは、帰宅してシャワーを浴びた後、止んでいた。
洗濯物も干しっぱなしだった。

スーパーも何も寄れなかったので、仕方なく、家にある残り物で盛大に自分を労ってあげようと、インスタントから冷凍食品まで豪勢に取り揃え、珍しく週の半ばからビールを空けた。
ロング缶6缶、全部。
その結果次の日には、異臭を放つ生姜焼きがレンジの庫内に鎮座することとなった。
それが今朝だ。

二日酔いと梅雨の終わりの重くるしい湿気で、自分も腐った生姜焼きのようになりながら、ギリギリで出社する。
最近は誰しもがマスクをするおかげで、顔がいつもより手が込んでいないことがばれにくいのが救いだ。
髪も、これだけ暑ければまとめ上げておいた方がいいわけで、それをどうこう言う人もいない。
毎日凝ったことをしていたのが急にバカらしく思えた。
みんな私の容姿よりも、出社が遅いことの方が気になるということだった。
会社の同僚たちからすればちょっとした事件のようで、始業の準備をしながらひとしきり珍しがられた。

「先輩おはようございます、今日の髪型珍しいですね」

髪について触れてきたのは後輩だけだった。こういう人だから昨日もミスに一番最初に気付くのかもしれない。
「寝坊しちゃって、いつもより適当なの。ばれた?」
茶化してそういうと「いえ、いつも以上に仕事が出来そうに見えますよ」と笑って返された。
けれど、今日はその上レンジの中に生姜焼きが残されたままなんだぞ、私は。

別に仕事が出来るかというと、おそらく要領はあまりよくない。
運良く早起きが得意で、たまたま簿記の2級が卒業資格だったから、経理だけをひたすらやっているだけで。
それ以外のことは全くできないが、やっていないから気付かれていないだけだ。

三年前から後輩も出来て、もちろん一層気を引き締めないと、と気合を入れ直しはしたが、だからといって能力が急激に向上したわけではない。
それゆえに、唯一まともにできることでミスをしたことが悲しかった。
後輩も、修正を手伝ってくれた上司も、取引先に根回ししてくれていた営業も、みんな私を責めなかった。
裏で愚痴を言われているのではないだろうか。それなら面と向かって責められたほうがいい。
今日は何も間違えなかった。朝から小雨が降っていた。スーパーでまたビールを買った。

家に帰ると、電子レンジの前にハエが飛んでいた。
ええ、もうそんな感じか。
自分が放ったらかしにしていたのが悪いけれど、それにしたって大きい。コバエとかじゃないな、どこから入ってきたんだろう。

ゆっくりと部屋に入り、そおっと買い物袋を置く。机の上からティッシュを三、四枚引き抜き、そのままその手をレンジの扉に叩きつけた。捕った。
ティッシュの中身は見ないように、ゴミ箱へ捨てた。
電子レンジを開けると、そこには空になった皿が一枚あるだけだった。

(続く)

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