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芸術は人間中心主義から脱することはできない

 芸術は人間中心主義から脱することはできない。ほとんどの芸術家はこの当たり前のことを実は受け入れていない。少なくとも、自覚していても向き合ってはいない。彼らが礎としているところの『真』『善』『美』『普遍性』やら、『霊性』とか『神性』とかは、すべて人間側の都合に過ぎない。言わずもがな、エンタメ的な芸術もまた、人間の快楽を追求したものだから人間中心的である。そして、これは別に悪いことでは無い。(いや、はっきり言ってしまえば、すべての人間の行為は人間中心主義だろう。)しかし、超越的な観念(上述した真善美とか)を信仰して芸術制作する所謂『高みに至りたいと願う』典型的な高尚な芸術家ほど、この自覚によって一度は木っ端微塵に打ち砕かれるだろう。彼らがいうところの、作品の永続性とか、美の普遍性とか、宇宙とか、そういう彼らが自身の制作の原動力としていた茫漠たる観念が逆に仇となって、製作者にニヒリズムを突きつける。人間中心主義から脱し得ないあなたの作品には到底普遍性は無いですよ、と囁かれる。なぜなら、人間が絶滅したらあなたの作品は意味をなさなくなるのだから。当たり前のことである。当たり前だが、到底受け入れられない。こうして、彼らは、結局、(心の底では偶に)低俗と罵っていた他人と自分が何ひとつ変わらない俗人の一員であることを自覚し、いっときは俗物的で快楽的な生活に身を堕すわけだが、中には、結局呪いにかかったみたいに無意味な芸術制作を再開する如何しようも無い人間も現れる。さて、ここでこのどうしようもない人間が重視するのは『クオリア』である。『クオリア』はもはや人間中心主義的なものでさえなく、個人主義の産物である。『クオリア』は語り得ない。その語り得ないものに価値を抱くという非常に個人的な信仰に至り、彼らは復活するのである。『クオリア』に色が宿る。神は宿る。仏は宿る。悟りが訪れる。非常に個人的な経験の絶対性を信じることで彼らは蘇る。そこには、他者の排除とは決して同衾しない、ひたすら個の絶対的な風景が流れる。

 思うに、審美眼というものも究極的には個に属すのであろう。審美眼は、作品の良し悪しを測る力であるが、では良し悪しを他の人に論理立てて説明できるかと言われれば、不可能である。いや、正確には色々な構成や要素に分解して、もしくはミクロとマクロを結びつけて話すことはできるが、結局良し悪しという概念そのものは何か恣意的な価値を根底に置いて、そこから論理的に根拠づけるので、最後の最後に沈黙に至るのである。そして、批評が趣味の話にすり替えられる。要は、良悪の話が好き嫌いの話に入れ替わるのである。(で、それがどうしたの?と言われると返事に窮する。それはちょうどバラが赤いのはバラの花弁がこの光の波長を反射するからという、色(クオリア)と物理現象を対応させるのに似ている。クオリアが壁一枚を隔てて語り得ないために、ここには説明不足感が残る)(最近、クオリアを生物の進化的視点から説明するのを見たが、切り口が違うとはいえ、これもまた壁一枚クオリアと隔てている。)実際、他の動物に作品を見せても特に何らの価値を見出す気配はないので、我々の良し悪しの概念が絶対的ではないのは明らかであり、そして、人が良し悪しに要求する説明には原則、普遍的で絶対的であることを求められるため、言語的に良し悪しを語るのは不可能である。というより無意味である。

 しかし、芸術家は審美眼があるからこそ、芸術を創作できる。ここに矛盾がある。彼らは、作品の良し悪しがわかるのである。作品を見た瞬間に一瞬で良し悪しの判別がつくのである(ここにはもう少し機微があるのだが、しかし、作品を見たときの「わかった」という感触をここでは以上のように表現しているに過ぎない)。それは、訓練された犬が麻薬を探知するのと似ている。麻薬の微妙な香りを探知できない一般人が犬がどのようにその香りを探知し峻別したか、その香りとは何か、と思い悩むのと一緒である。(それは盲目の人が色とは何かを尋ねるのと究極的には同一である。聾唖の人が音とは何かを尋ねるのと同一である。)ただし、作品の良し悪しは、麻薬や色と違い、物理的な定量性のパラメーターを持たない。(麻薬は特定の臭い物質がパラメーターであり、色は光の波長がパラメーターである。)芸術家は、そのコンパス無しに美の迷宮を突き進むことはできない。審美眼が、究極(究極というのは、ある程度は人間は良し悪しの傾向を共有しているということ)、個人が有する強迫的観念であることは疑いようもないが、しかし、その強迫的観念は数々の作品と相対することで、その個人の中で夥しい数の相対化が生じて何度もバラバラに引き裂かれ、そうして漸く形成されたものなのである。こうして審美眼という強迫観念は相対化という選択圧を伴って、クオリアの固有性を根拠として個人の中で絶対化される。

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