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行いは何を導く?(BM8)

「行いがわたしを導く時間」を始めていろんなことが寺内で起こっているので、その一つを書いておきたい。それは、毎月の担当者を決めるので、それぞれが責任をもって「学ぶ」姿勢が必要になった。人前で説明したりしなきゃならないから。今までは住職ばかりが話していた講座だったのが、今年になってわたしも随分お話をするようになったし、正直事前準備はこれまで以上に大変である。

でも毎回書いているが、そういうことは実社会では普通のことである。人前で話したり、何かを「共に」する場合には準備や学びはいる。

「おこみち」はその幅を広げたし、BMの可能性も広げていると思う。

BMが得意とすること事を講座にいれながら、そのお寺が伝えたい教えについてとのつながりを考えていくのも面白いと思う。

禅には、生活すべてが修行だという教えがあるそうだ。

BMは日々生活を中心に動いている人が多いと思う。そこにお寺から伝えられることはないだろうか。そんなことを模索していくのも、おこみちはきっかけを作ってくれたと考えている。

今回のグリーケア講座の中では、阿弥陀経の一節

を紹介した。グリーフから出てくる感情や言葉の表現などが、ひとそれぞれであったことを受けて。

それぞれがそれぞれであっていいことを、人間はなかなか認められない。そんな悲しい人間の在り方をまるごと受け止めてくれる「本堂」。「阿弥陀堂」。の可能性をもっと試していく、それがこれからのお寺側の行いだと思った。


今後お寺の坊守【BM】を盛り上げるための資金にいたします。