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maimai430
天国に行くのかどうか。
わたしは実は浄土真宗大谷派の僧侶、でもある。
それでいうと、天国に行った誰々、という表現は正直違和感がる。
しかし、一般的には天国に行っても見守っていてね、ということになる。
そこのところがいつも僧侶側からいうと難しいところだ。
この世から旅立って向かうところ、という意味合いで天国という表現に
なるのはわかる。天国に旅立たれました、というようなドラマのセリフの
方が良く聞く。中にはキリスト教の教義において、天国と言う表現を
されている人もいるのだろう。
じゃぁ、私は?というと、それは浄土へ往くという表現になる。
あぁ、いきなり伝えるのが難しい。
多くの方が天国へ行く、という風に言いますが、
ではそれはどこでどんなところでしょうか?
フランダースの犬が最後に連れていかれる天使のいるようなところ?
なのか。それとも天国とは言いつつも、蜘蛛の糸のお釈迦様がおられる
ような蓮の花が咲いた美しい池があるようなところでしょうか。
そんなことは考えたこともなかった、でしょうか。
宗教をもってください、とか無宗教だから、ということでもなく
自分はどこに帰ると考えているのだろう?と自身に尋ねてみる。
それは何かの一歩になるような気がする。
いつだって生きるも死ぬも、同時に持っているからのだから。
今後お寺の坊守【BM】を盛り上げるための資金にいたします。