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天国に行くのかどうか。

わたしは実は浄土真宗大谷派の僧侶、でもある。

それでいうと、天国に行った誰々、という表現は正直違和感がる。

しかし、一般的には天国に行っても見守っていてね、ということになる。

そこのところがいつも僧侶側からいうと難しいところだ。

この世から旅立って向かうところ、という意味合いで天国という表現に

なるのはわかる。天国に旅立たれました、というようなドラマのセリフの

方が良く聞く。中にはキリスト教の教義において、天国と言う表現を

されている人もいるのだろう。

じゃぁ、私は?というと、それは浄土へ往くという表現になる。

あぁ、いきなり伝えるのが難しい。

多くの方が天国へ行く、という風に言いますが、

ではそれはどこでどんなところでしょうか?

フランダースの犬が最後に連れていかれる天使のいるようなところ?

なのか。それとも天国とは言いつつも、蜘蛛の糸のお釈迦様がおられる

ような蓮の花が咲いた美しい池があるようなところでしょうか。

そんなことは考えたこともなかった、でしょうか。

宗教をもってください、とか無宗教だから、ということでもなく

自分はどこに帰ると考えているのだろう?と自身に尋ねてみる。

それは何かの一歩になるような気がする。

いつだって生きるも死ぬも、同時に持っているからのだから。


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