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私がカサンドラ症候群にならない理由

このタイトルで他にもいろいろ書いてきたけど、先日、夫と次男の会話を聞いていて思い出した事がありましたので、追加したいと思います。

私、プロフィールにも書いているけれど、レトロ好き。アンティークとかレトロとか懐古趣味な傾向がある。若い頃は古着っ娘だったの。60’s〜70’sあたりの古着が大好きだった。夫も私とは全然方向性が違うけど、同じ様に古い物が好き。彼は今も古着をよく着ている。

そんな共通点で意気投合して結婚まで至ったわけだけど、私たち夫婦は単に古い物が好き同士だったから結婚して上手くやってるのかと言われたらそれはちょっと違う。現在私は古着も着ないし、お家にアンティーク家具があるわけでもないし、レトログッズコレクションも一切無い。でも、古い物が好きな価値観だけは所有している。そんな感じ。

夫『ぽんこつってのはいいぞ〜!』

次男『??』

夫『だってな、ぽんこつってやつは直したらまた使えるんだよ。完成品や新品なんかは出来上がった瞬間から価値がどんどん下がって、壊れていくだけだったりする。だからお父さんは、自分で直せるぽんこつが好きなんだよ。』

次男『そっか⤴だからかぁ。σ(゚∀゚ )オレなんか新品の物の匂いがキライで臭くてさ嫌だった。オレもぽんこつ好きだなぁ。自分で直したり工夫したりして面白いもんね』

夫『そうだそうだ。汚いぽんこつが直っていったり蘇ったりしたら、最高の気分さ。お父さんだってぽんこつだけど、それも工夫しながらやっていけばいいってことだよ』

次男『じゃあ、うちなんかは、ぽんこつ家族だねぇ(≧∀≦)アハハハハ』

夫『ぽんこつ家族だwww』

しばらく続いたぽんこつ談義を隣で聞いていて思った。そうなんだよな。新品で完成されていて、完璧な物の儚さが私たちには息苦しく感じてしまう。

未熟な状態で生まれてくる生き物たちと、古い物はなんとなく似ている。そして、年を重ねて行く自分たちにもかなり近い。

私達夫婦は、脂ののったいい時期というのを基準にしていない。価値が半減してからようやくスタートする古い物たち。好きな人にしか分からないマニアックな世界。目減りしてはじめてスタートを切り、時とともにずーっとゆるやかに伸びていく。だんだん価値が上がったり、どんどん貴重になっていったりする。面白い世界。

新しい時代や物と融和しながら、古い物たちはその価値を輝かせていく。

古くなって何の価値も無くなってしまうと多くの人が思う物や場所や価値観なんかにキラキラ輝いているお宝は眠っていたりする。

私達夫婦は、人に対してもあまり完成品を求めない。いや、正確には昔の夫は私に完璧を求めた。けれど、完璧を求める事に二人とも疲れたし、性に合わなかったwww

ぽんこつ同士、直しながら価値を高めて行ければそれでいいのよ。新品同様の輝きとは違う価値が生まれれば、それが私達にとっての一番の価値になるのだから。

流行らせてバズらせるのには戦略がある。コントロールしたり操作したり誘導したりする、そういうコツがちゃんとある。自然発生的に起こったムーブメントももちろんたくさんあるだろうけれど、資本主義社会は消費しなくちゃ成り立たない。

流行りはあっという間に廃れ、まやかしか泡ブクか、さっと消えて無くなってしまうもの。

最新式は常に更新され続けるし、流行は操作的に作り出している。

完璧でなくていい。
最新式でなくていい。
流行ってなくていい。

ぽんこつで、古くても、私たちが好きな物や好きな世界観や、好きな価値観とともに暮らしていく。そうしていると、煽られたりしても気にならなくなって、マウント取られても、そこに私は居ない。

価値観の押しつけや、押し売りセールス、悪口合戦…そういう世界とは別の場所に居られる。

そういう安心できる場所に夫と私は暮らしているから、きっとカサンドラ症候群からは遠い。カサンドラ症候群は、発達障害のパートナーを持つ定形発達が陥る状態。普通とか常識とか私はこう思っているのに、みんなこうなのに、という価値観の強い人ほどなりやすいだろうと思う。ズレが気になってしまうから、そのズレに耐えられなくなってしまう。

私は元々きっと、かなり、けっこう、ズレている。そのズレが少しばかり増えたからって、何も驚かないし、気にもならない。むしろ、面白いことがやってきた!と、目を輝かせる。こんな私にはもってこいのパートナー。それが夫。

きっとこれからも、私はカサンドラ症候群にはならないと思う。

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