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委員会は何をやる?発達障害児次男に向いているのは何だろう

新年度からは小5の次男。5年生からはいろいろな事を任される。通学班の副班長さんにも名乗りを上げた次男に、長男からものすごく素敵なアドバイスをもらった。


兄『お前さ、児童会やりなよ』

私『おぉっ!それはいいね!きっと向いてるなぁ』

弟『児童会って委員会なの?』

兄『そうだよ。あの、選挙のやつね、この間みたでしょ?』

弟『うん』

兄『例えばさ、イベントとか企画して実行したりしてるんだよ。ほら、図書室でシールのイベントやってたじゃん。あれも児童会が企画してやってんだよ』

私『そうだねぇ、お楽しみ係のもっとスケールの大きい感じかな。アイデアがどんどん出てくるのが君の良いところで、さらにそれを実行するだけの力があるからねぇ。向いてると思うなぁ』

弟『へぇ〜』満更でもない顔(*´ω`*)

父『どんな楽しい事をできるのか、どうやって学校を変えていけるのか。それを演説するんだぞ〜。いいなぁ。お前ならできそうだなぁ』


次男はその後、児童会をやるとかは言ってない。ただ、なんだか照れ笑いをしながらニマニマしていた。


長男の鶴の一声はものすごく的を得た言葉で、私達夫婦はあっという間に『それだ!』と思ってしまった。もちろん親や兄弟がそそのかすようなものではないけれど、適正を見抜いている長男の視点に感服した。

次男の得意を活かす場所はそこだろうと本気で思えてくる。


例えば、2、3年生の頃の次男は、お楽しみ係としてクラスのイベントの全てを任されていた。お笑いライブをやったり、クイズをしたり、演者も準備も全部仲間たちと一緒に作っていた。次第に、次男たちお楽しみ係に任せておけば、安泰。という雰囲気になってくれた。

図画工作の授業では、毎回おもしろい装置を考えたり作ったりして、掲示されるとお友達たちがたくさん遊びに来てくれたりする。

得意のイラストでポスターやお手紙も描ける。

そして何より、彼は本番にとても強い。本人的には、信じられないくらい緊張して膝はガクガク震えるし、手汗が尋常じゃないくらい出て、手に持つもの全てがベチョベチョになるらしいが、運動会でも発表会でも、とにかく堂々としているように見える。それは、ただ見えるだけなんだそうだけど、その、堂々としているように見えると言うのは、見ている側からすると、信頼に結びつくものだ。

これは、私が本人や先生やお友達から聞いた話だから、どこまであっているのかは分からない。やってみたら、間違いなくいろいろな失敗をするだろう。けれど、得意が生かされるだろう事の想像がつく。

実際に次男が児童会をやるかどうか、(←選挙にも出ないといけないんだから、当選するかどうかもある)そんな事はどうでもいい。それぞれの委員会にも児童会と同じ様な部分はいくらでもあるのだから。そんな事より、今回のこの会話で得た収穫の方がずっと素晴らしいものかもしれない。


長男が、次男に児童会を勧めたきっかけは、次男が図画工作の授業で、箱を作るという課題に対して、ただの箱を作ったって面白くない。(←家では工作ばっかりやってる次男らしい)と言ってガチャポンを作り、そのガチャポンにいろいろなお友達が遊びに来てくれて大盛況だ。という話をした直後の事だった。

兄『お前さ、児童会やりなよ』

委員会の話なんて全く出ていなかったのに、長男は次男の適正を見抜いてどこで生かされるのかをアドバイスした。兄ちゃんはコミュ力高めの男子。彼のコミュ力のうちの一つがここにあるのかもしれない。適材適所に配置された時、皆が輝く事をわかっているんだ。


兄の素晴らしい部分と、弟の輝ける場所が分かった。すごい収穫だ!

子どもたちの未来が輝いている(о´∀`о)私にはそう見える。これまでいろいろな困難があったけれど、逃げださなくて良かった。

今起こっている不幸は、未来に起こる不幸の防波堤。

不幸に嘆き、不幸に囚われてしまえば、その先にの不幸まで呼び寄せてしまう。今ある不幸は防波堤なんだと考えて、それ以上にしなければいいだけ。

輝ける場所も、輝ける未来も必ずあると私は思っています。

発達障害児の育児には困難がつきもので、それはそれは親御さんはご心配になると思いますし、目の前の困難を取り除きたくなります。けれど、その困難が、次の困難の防波堤なのです。どうか、どうか次の困難を呼ばないために、今ある困難から逃げないでください。子どもたちにとって、この世を不幸や困難や恐怖の場所にしてしまわないように。


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