敬語が使えるようになる頃
子どもたちの成長は面白い。
最近は、いっちょ前に敬語が使えるようになってきた次男氏。ついこの間まで、敬語なんてとんでもなかったはずなのに。大したもんだね。
だいたい、6年生の子どもたちは敬語が使えるようになる。それは学校で習うからというのもあるし、敬語の使い所の意味を理解できるからというのもあるけれど、自分という人間がずいぶん確立してきている証拠なのでは?と思ってみている。
兄ちゃんの時も、次男も、その周りの子どもたちも多少のズレはあるものの、おおよそ高学年から中学生くらいになると自分のアウトラインみたいなものができあがってきて、そのパーソナルな部分を侵害してほしくないし、侵害したらマズい。というような感覚をなんとなく感じる事で出てくる言葉使いが、敬語なのかな?と。
大人はアウトラインもパーソナルゾーンもハッキリしてるから、容易には踏み込めない圧なんかを感じるのかもしれない。
中学に上がると、先輩たちは大きく見えるのもそんなことなのかも。急速に進む自我の境界線。それをを感じ取る力もまた急速に進む。
小さな頃は自我も薄い。自分自身に境界線が無いんだから、無邪気に相手のパーソナルゾーンを突破してやりたいようにやれちゃう。子ども特有のかわいらしさと、憎たらしさの共存(о´∀`о)
ああ、次男もそういう時期は終わったんだな。と、しみじみ思う。
自立へ向かう子どもたち。私はちゃんと背中を押せるだろうか。しがみついたりしないか、自分が心配になるよ。振り払ってでも進んでおくれよ。ボーイズ!
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