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家族の半分は発達障害

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発達障害者とその家族からみた世界や日常生活。学校の事、仕事の事、投薬の事、二次障害の事などをまとめています。
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#うつ病患者の家族

過去記事を振り返る 家族にうつ病患者が居たということ

嵐の中に居た感覚はあります。ただ、嵐だからそのうち去るとなぜかその時思ったんですよ。とても自然になぜかそう思っていました。 ぜーんぶ吹き飛ばされてめちゃくちゃになっても、災害大国の大和魂的な、淡々と粛々とガレキを片付ける姿みたいなことを想像していました。 実際の災害に比べれば、特にガレキは無いわけで、後は感情的なものをとっとと片付けるみたいな。こう言う言い方をすると、当事者の方には失礼なのかもしれませんが(・_・;)まあまあドライな私です。 わかり合えないし、どうするこ

夫、救急車で運ばれる 学校へ行けなくなった息子はその時

過去記事を編集して、再掲載しています。続き物ですので、しばらくお付き合い下さいませ。 (ΦωΦ)猫写真は最新ですので、過去記事ですが写真だけでもお楽しみ下さい。 前回のお話はこちら↑ 夫のうつ病は数年間続きました。今回は、まだ一年半目くらいの頃のお話し。 当事は、兄ちゃんが3年生、弟が1年生。弟は夏休み前に学校へ行けなくなり、そのまま突入した夏休みの初めの頃。発達障害の診断も下りていませんでしたし、まだ猫たちは我が家におりませんでした。引越し前に飼っていた猫が亡くなっ

うつ病の夫の話をどこまで聞くのか 私の取捨選択[再掲載]

過去記事を編集して、再掲載しています。続き物ですので、しばらくお付き合い下さいませ。 (ΦωΦ)猫写真は最新ですので、過去記事ですが写真だけでもお楽しみ下さい。 前回のお話はこちら↑ 家族にうつ病患者がいたからといって、あまり私の生活に変化はなかった。いつも通り粛々と生活していたように思う。いろいろと気を付けて行動していたつもりではあるけれど、それはやはり、うつ病の相手のためにしたことではなくて、私のためにしたことばかり。 前回も書いたけれど、家族を守るためには私が元

家族の危機に私がとった行動 私は何を伝えたのか[再掲載]

過去記事を編集して、再掲載しています。過去記事ですが、(ΦωΦ)猫写真は最新ですので、猫写真だけでも、お気軽にお楽しみください。 前回のお話はこちら↑ 『~のに』を生まないために、行動や言動に二つの縛りを作った。 ➀私が私に嘘をつかない ②私がしたくてすることは、自分勝手な善意の押し売りと認め、見返りを求めない 夫がうつの時、私は何を伝えたのか。 それは本当に、壊れたレコードプレーヤーのように、同じことを毎日毎日、繰り返し繰り返し伝え続けた。うつを抜けたであろう今

夫はうつ、息子は不登校、その時私は [再掲載]

過去記事を編集して、再掲載しています。続き物ですので、しばらくお付き合い下さいませ。 (ΦωΦ)猫写真は最新ですので、過去記事ですが写真だけでもお楽しみ下さい。 今から6年ほど前。引っ越しをしました。新しい土地、新しい家、新しい人間関係、新しい学校、新しい通勤通学などなど、ありとあらゆるところ全てが様変りした年でした。 この大きな転機が、私たち家族を幸せにもしましたが、大きな転機は、心や身体に大きな影響をおよぼしました。 まず始めに現れたのは、次男が保育園に通える日と

きじとらリボンちゃん召喚♪

少し脱線してしまいましたが、↑こちらの話の続きです。 我が家にかわいいかわいいリボンちゃんがやって来たのは、夫がうつ病一年半目、息子が一学期の終わりに学校へ行けなくなって夏休みを向かえた頃でした。 猫が飼いたい、猫と暮らしたい、ね~こ!ね~こ!毎日のように息子たちが私に言ってきました。確かに、うつ病の夫、学校へ行けない息子、この二人の事を考えれば、ふわふわのモフモフちゃんがいてくれたら助かるよなぁ。そんな思いもありました。けれど、ペットショップで猫を買ってくる気にはならな

夫、救急車で運ばれる 学校へ行けなくなった息子はその時

↑の続きです。 夫のうつ病は数年間続きました。今回は、まだ一年半目くらいの頃のお話し。 当事は、兄ちゃんが3年生、弟が1年生。弟は夏休み前に学校へ行けなくなり、そのまま突入した夏休みの初めの頃。まだ猫たちは我が家におりませんでした。引越し前に飼っていた猫が亡くなって、しばらくは猫を飼う気持ちになれなかったのです。そんな、猫ロスも夫にとって、うつを引き起こす一つの要素だったのかなと今では思います。 家族で朝食を取っていた時、急に夫が箸を置き『う~ぅう(苦)』と言いながら胸

家族の危機に私がとった行動Ⅳ うつ病患者の話をどこまで聞くのか 私の取捨選択

前回のお話はこちら↑ 家族にうつ病患者がいたからといって、あまり私の生活に変化はなかった。いつも通り粛々と生活していたように思う。いろいろと気を付けて行動していたつもりではあるけれど、それはやはり、うつ病の相手のためにしたことではなくて、私のためにしたことばかりだ。 前回も書いたけれど、家族を守るためには私が元気でないとどうしようもない。私が元気でいられるために、二つの縛りを作った。 ①私が私に嘘をつかない ②善意の押し売りに、見返りを求めない これを守っていれば、

家族の危機に私がとった行動Ⅲ 私は何を伝えたのか

前回のお話はこちら↑ 『~のに』を生まないために、行動や言動に二つの縛りを作った。 ➀私が私に嘘をつかない ②自分勝手な善意の押し売りに、見返りを求めない この時作った縛りは、非常に私を幸せにしてくれるものなので、現在進行形だし、家族以外の人とのお付き合いでも、noteの交流でも、そのあたりは変わらないものとなってきた。私の事を不快に思う人は恐らくたくさんいらっしゃると思う。だけれども、相手が私を不快に思おうとも、私は私の人生を歩むために、決してこの縛りを崩すつもり

家族の危機に私がとった行動Ⅱ『のに』の生まれるところ

前回のお話はこちら↑ 私は『のに』を恐ろしく思っている。 『のに』は私を支配する 『のに』は相手を支配する 私は『のに』に依存する 『のに』は恐い。私には、とても扱えない。 ひと度『のに』を発生させてしまったら、『のに』は猛威をふるい、私の問題だった出発点を、相手の問題へとすり替えて、私の問題を無効化できたと勘違いしてしまう。『のに』を使えば、私は私の問題から上手く逃れたようないい気持ちにさせてくれる。 そして、すべてを忘れて相手の『せいで』こうなったのだ。相手が私

夫はうつ、息子は不登校、その時私は

今から5年ほど前。引っ越しをしました。新しい土地、新しい家、新しい人間関係、新しい学校、新しい通勤通学などなど、ありとあらゆるところ全てが、様変りした年でした。 この大きな転機が、私たち家族を幸せにもしましたが、大きな転機は、心や身体に大きな影響をおよぼしました。 まず始めに現れたのは、次男が保育園に通える日と通えない日があり、なかなか新しい環境に馴染めないと言う小さなほころびでした。 そのうち慣れるだろう。そんな風に思ってあまり大事だとは思っていませんでした。保育士さ