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福山雅治を見たというだけの報告

少し前になるが、ソファーの上で横になり、Twitterを見ていると、『本日17:30、博多駅に柴咲コウと福山雅治が登場!』というなんとも衝撃的な一文を見つけた。

数多くの情報を縦スクロールで流し見していたわたしの目に、突如として飛び込んできたその一文は、怠惰の擬人化としてソファーに寝そべっていたわたしの上体を起こすにあまりある衝撃だった。

『本日17:30、博多駅に柴咲コウと福山雅治が登場!』

マジか。

ちょうどその頃は、映画『ガリレオ』が上映を開始する少し前という時期であり、なるほど2人の登場も宣伝を兼ねてのものであるようだった。

柴咲コウが綺麗なのは存じ上げているが、なによりも福山雅治が来ることにわたしの胸がサンバを踊り散らかしている。
福山雅治は長崎出身の芸能人(歌手であり俳優)だ。
長崎に縁のある我が家では、福のラジオを聞いたり、福山雅治の写真展を見に行ったりと、それなりに福山雅治の応援をしている。

長崎に住むおばは、かつてわたしに以下のような福山伝説を話してくれた。

福山雅治が美青年だったあまりに、「目が合うと妊娠する」と言われていた

耳を疑うような話だが、以前福山雅治が番組で「バスに乗った女性たちが僕を見るためにバスの片方に寄ったのでバスが傾いた」みたいな話をしていたので、その手の噂が蔓延してもおかしくはない、と思う。

とにかく、長崎出身の者たちの希望の星であり、憧れであり、誇りである福山雅治なのだ。
また福山雅治の良いところは、あんなにルックスが良くて、声が良くて、歌も上手いのに、下ネタが大好きなところだ。
こういったところが老若男女問わず愛されている。

そんな福山雅治が来るのだ。
しかも博多に。

わたしはすぐさま福山雅治が博多に来ることを彼氏に連絡した。
彼氏はすぐさま返信をくれたので、仕事終わりに福山雅治を見に行くことになった。

福山雅治を見に行くために博多駅に行くと、心なしか人が多い気がした。
「みんな福山雅治を見に来たのかな……」と勝手に駅にいる者すべてに対して対抗心を燃やしながら、彼氏を待っていると、

「福山雅治を見に来たんだろ!!学生だろ!!これだから学生はよォ!!」と、学生らしき団体を付け回しながら大声で叫ぶ男性がいた。
これをぼんやり見ながら、福山雅治は変質者まで呼び込んでしまうのだな……と思った。
罪な男である(罪では無い)。

会場は博多駅の3階部分にあるテラスだった。
当たり前だが厳重警戒中で、3階には関係者以外誰も立ち入れないように手配されていたので、我々一般人は地上から3階を見上げる形だった。

神からの言葉を民に伝える卑弥呼のような、
天守閣から城下町の様子を見下ろす殿のような、
国民に手を振る天皇陛下のような、

時の為政者とそれを支える無辜の民のような構図だな、となんとなく思った。
17時半が近付くにつれて、人が多くなっていく。福岡市中の市民が集まってくるのではなかろうか、と思うほどの集まりぶりであった。

彼氏とそわそわしながら待っていると、ガリレオのテーマソングが流れはじめ、登壇の機は熟しに熟されていた。

わぁっと歓声が上がる。
なにやら柴咲コウらしき人と福山雅治らしい人がテラスのギリギリまで来てくれて、下の人々に向かって手を振ってくれている。

「柴咲コウらしき人と福山雅治らしき人」と表現するしかないほど、2人の姿は小さかった。ほぼ見えなかった。
しかし、福山雅治の纏うすべてが煌めいていてかっこよかった。全然顔は見えないのに、銀縁メガネをしている福山雅治がありありと想像出来るのだ。
わたしは狂ってしまったのではないかと思った。

恍惚とした声で「はぁ……かっこいいねぇ……」と彼氏に呟くと、「なにも見えなくない?」と一蹴され、それから「確かに何も見えない」と思った。
でも、かっこいいことはオーラから分かっているのだ。

我々は柴咲コウと福山雅治の最初の挨拶を聞いた後、人の多さに気分が悪くなり、即座に立ち去った。
かっこよかった、見れて良かったなどと口々に言いながら、電車に乗って帰った。

夜のローカルニュース番組で、その際の博多駅の様子が映し出されていた。
福山雅治の九州凱旋!というあおりと共に、博多駅が映し出される。こんなに居たのか、と思うくらいの人だかりだった。

わたしもあの中にいて、サッと見て、サッと帰ってきたのだ。
そして、その週ウイルス性の胃腸炎にかかった。
食べたものが悪かったのか、福山雅治を見に行った際にうつったのか分からなかった。

ただ、胃腸炎がつらくて、福山雅治を見たという喜びは、翌週にはもうどこかに吹き飛んでしまった。あんなにかっこいいと思ったのに。


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