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1997年生まれの27歳が思いを馳せる1990年代ロックンロール、oasis / THEE MICHELLE GUN ELEPHANT / BLANKEY JET CITY
【oasis】
1990年代のロックを考える上で、UKが生んだスーパーロックスター『oasis』無くして語ることはできない。oasisは1991年にイギリス・マンチェスター出身の兄弟で結成された。このバンドは、メイン・ソングライターであるノエル・ギャラガー(兄)と、ボーカルのリアム・ギャラガー(弟)を中心に数々の名曲を生み出し、全世界でのトータルセールスは7,000万枚以上を記録した。
1990年代は『Britpop』が時代を席巻した。これは、ロンドンやマンチェスターを中心に発生したイギリスのポピュラー音楽ムーブメントであり、oasisやBlurがその代表的なアーティストと言える。
oasisの伝説的なライブと言えば、『Knebworth 1996』だろう。イギリスのクソ田舎のネブワースという街で、2日で20万人近くを動員した歴史的BIGライブ。私は、この伝説ライブの音源が好きすぎて、Spotify、Analog Record、Blu-rayなど、様々な媒体で擦り切れる程に堪能した。
最近、カラオケで歌う音楽を意識的に変えている。学生時代は、独りよがりで自分が好きな音楽をただひたすら熱唱していたが、この頃は聞き手が少し盛り上がり、テンションがやや上がるような音楽を選曲している。これは、サラーリマンの職業病的な部分もあるかもしれないが、それは一度棚上げしておく。
【THEE MICHELLE GUN ELEPHANT】
1996年にデビューし、2003年に解散した。伝説のボーカリストであるチバユウスケが率いるバンド、それが俺たちの「ミッシェル」だ。チバユウスケは解散後、ROSSOやThe Birthdayというバンドでも精力的に音楽活動をしていたが、2023年11月に55歳という若さでこの世を去った。
TOKYO FMのSCHOOL OF LOCKの元校長のグランジ遠山大輔(ラジオスター)は、チバユウスケの大ファンで、彼が亡くなった際、深夜帯で追悼番組を放送した。私もミッチェルのファンであり、PUFFYに楽曲提供をした「誰かが」という曲を無限に聴いていた学生時代があったからこそ、今の自分があると思う。そして、遠山校長とやしろ教頭には中学時代に、生徒のリスナーとして大変お世話になった過去がある。そんな私が、2024年の夏を迎えた今でも、心に残ったラジオ番組として「あの放送」を聴いたのだった。
ラジオスターの遠山校長は、いつもの軽快なトークはあまり無く、少し神妙な面持ちでチバへの愛を紡いでいったのを、今でも良く覚えている。番組は追悼放送というで、リスナーからのメッセージとリクエスト曲が淡々と流れていった。その中で、40~50代の女性から寄せられたメールが心に残っている。「日々は大変な事ばかりで、楽しい事は少ない。それでも、この曲を聴くと心が晴れる気がする」
【BLANKEY JET CITY】
1987年2月に結成し、2000年に解散。1990年代を駆け抜けた浅井健一とブランキー。現在ではAJICOというバンドで、UAと共に活動しているベンジーは天才的なギターボーカルと言って過言では無いだろう。私は大好きなレコード屋で「AJICOの広島ライブが凄まじかった」と、興奮気味に教えてもらったのが、浅井健一を知るキッカケになった。
ブランキーはテレビの色物バンドとして見られがちだが、1990年代のロックを牽引してきたバンドだ。椎名林檎は、浅井健一の大ファンで「丸の内サディスティック」の歌詞で登場するグレッチは、浅井健一の事を指しているという逸話もある。
最近はレコード屋めぐりも一段落し、1990年代以降のデジタルレコードを高値で買うくらいなら、BOOKOFFコーナーで寂しく眠っているCDを掘り起こしてあげた方が、多く徳を積めるのではないかという謎の理論を展開しながら生きている。そんな矢先、音楽好きの可愛い後輩が関西に遊びにくるという事で、阪神高速を颯爽と駆け抜けながら、この大好きな曲を流した。
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