見出し画像

こうやって戦争って生まれるんだな〜Part2

もう5年くらい前になるけど、
フラットアース説の信者に会ったことがある。

フラットアースって
簡単にいうと、

地球は平面だ!
世の中の教育に騙されるな!

と訴えている人たちなのだが、
俺的には別にどっちでも良い。

俺には関係がないから、
どっちでも良いという立場だ。

地球が平面だろうが、
球だろうが、
俺の生活に関わることではない。

そんなことを考えている時間は
ないと思っている。

ただ、あえていうなら、
立場的には、
科学的にフラットアースでは
ないという結論に至ってしまうのだが、
それすら彼には届かなかった。

具体的にいうと、
海外旅行に行った人なら
分かると思う。

飛行機の時間って往路と
復路で時間違くない?

日本国内ですら、
往復の時間は微妙に違う。

確かに実際は空の込み具合とかで
変わってくるし、
それを考慮したら膨大な文章量が必要だけど、
理論的には東に行く時の方が
到着時間は早くなる。

理由は偏西風によるものだが、
それすらも地球が自転していることに帰結する。

ただ、フラットアース信者の人には、
それすら話を聞いてもらえない。

そもそも主張している意味がわからない。

望遠レンズで遠方を撮影して、

「地球が球なら
地平線が沈んでいないとおかしい!」

みたいな主張をするが、
それって科学的に説明されている。

それでもフラットアース信者は
それを信じているわけだ。

俺は理系だから、
あらゆるデータや
あらゆる科学的考察を重視する。

だから、
その理論を受け入れることはできない。

あ〜確かにそういう考え方もありますね。

といって、
ネットで調べて
「その主張は科学的に否定されてますよ?」
なんてことを言っても、
「いやそれは〇〇の思想的な話だから」
って言われてしまうのだ。

思想的な話?

それってあなたの感想ですよね?
っていうひろゆき的なツッコミを
入れても良い場面である。

俺は今まで科学的に
フラットアース説が事実であると
説明している人に会ったことがない。

科学的に理論を立てて、
議論を深めた上で
説明した人を見かけたこともない。

そういう意味でも
フラットアース説に否定的な立場だ。

この議論は、
もう価値観の話になってしまうし、
俺の生活に何も関係ないので、
どうでも良いと言っているわけだ。

それってみんなの生活に関係ある?

っていうところに帰結する
というのが俺の見解だ。

どうでも良い。

俺の報酬にどれだけ関係しているのか、
具体的な理論を展開してくれれば、
俺も自分ごとにするのだが、
多くの人にとって関係がない。

そんな主張をするくらいなら、
今の政治とか経済とか
色々知らないといけないことはあると思う。

本当にどうでも良いのだ。

だから、そういう見解になってしまうのだが、
彼らにとっては重要らしい。

お前の生活に何の関係があるのか?

という質問をしても、
的をいた答えは返ってこない。

多くの人にとってどうでも良くないか?

でもそれが彼らにとっては重要なのだ。

世の中の多くの宗教問題が
そうだと思う。

日本は仏教や儒教の国だ。

一部クリスマスとか
結婚式とかキリスト教の
考え方を取り入れているが、
墓に入る際は大体の人が
仏教を尊重している。

俺からしたら、
あれすらどうでも良いが、
それが社会的に考えれば普通だ。

ただそれにこだわりがある人たちは、
その意見を貫き通そうとしている。

だから日本ではそうするのが普通だ!

みたいな考え方が
蔓延っているわけだ。

別に俺は個人の自由で良くない?
と思ってしまう。

だからそういう〇〇信者みたいな人は、
嫌われるわけだ。

宗教の布教活動とか、
保険の勧誘とか、
色々なことが嫌われる背景には
そういう事実があると思っている。

NHKの勧誘もそうだろう?

この国に生きる以上、
税金やそれに関わる公共費用は
払う必要がある!

みたいな宗教的な考え方もあるが、
あんなクソみたいな奴らに
税金を払う必要があるだろうか?

公務員の人たちは頑張ってると思う。

消防の人が毎日訓練してるのも知ってるし、
そういう人たちがいないと
安全保障という意味で心配になってくる。

警察もそうだな。
俺も結構お世話になっているが、
みんな優しいし、
一部の人を除けばもっと給料をもらった方が
良いと思っている。

でも、その上がクソみたいな奴らなら、
まともに払ってるのがバカらしい。

だから企業は節税の対策に
多額のお金を払うわけで、
税理士や会計士が儲かるわけじゃない?

今時、税理関係の手続きは
全てネットのサービスを使って、
完結させられる。

ただ、それよりも税理士や会計士に
任せた方が節税効果が高いから
任せるわけだ。

俺の知り合いなんて、
セカンドオピニオンを
受けるレベルで
節税対策に力を入れている。

世の中ってそういうものだと思うけどね。

だからそんな宗教的価値観を
押し付けられても迷惑極まりないわけだ。

じゃあ俺がこの記事で
何を言いたいのかという話だが、
「宗教的価値観を変えることはほぼ不可能」
ということだ。

宗教的価値観は
世の中にたくさんある。

いまだにホームページを作ったら、
モノが売れると考えている経営者もいるくらいだ。

そしてその価値観を変えられない
経営者がいるから、
「なんでモノが売れないんだろ〜」
と悩んでいる経営者もいる。

ホームページなんて、
マーケッターの世界では
いらないと主張している人の方が多い。

ホームページを作るよりもSNSだし、
SNSよりもブランディングだ。

これは当たり前の話。

そりゃ〜ステージによって
戦略は変えないといけないが、
これが常識になる。

具体的にいうと、
Appleはマーケティング戦略で
その地位を確立して、
今はブランディング一本で今の地位を
維持している典型だと言えるだろう。

革新的な商品をジョブズがいなくなってから、
作り出しただろうか?

今のAppleのマーケティング戦略を
評価する人はどれくらいいるだろうか?

これに関しては誰もが首を
かしげることだろう。

ジョブズがいた時は
あれほど配色も絞っていた。

でも今はどうだろう?

そういう背景がわかれば、
Macが売れにくくなったのは
当然の話だと思う。

今Macを購入している人がいるのは、
ブランディングの賜物であることは間違いない。

実際俺もインターフェイス含めて、
使いやすいというブランド価値で
購入している。

それすらも含めて
ブランディングなのだ。

世の中の多くの人が
ブランディングを勘違いしているが、
ネーミングだけで決まるわけではない。

ネーミングも重要だが、
使いやすいというブランディングもあるし、
有名だというブランディングもあるし、
ブランディングは多角的に捉える必要がある。

そもそもブランディングは
相対的な価値によって判断されるもので、
絶対的な価値にはなり得ない。

Apple信者と呼ばれる人たちも、
個人的には否定的な立場だが、
言ってることの一部はわかる。

使いやすいとか、
デザインが他よりも良いとか、
色々わかるところも多いが、

Apple信者の多くは
Appleを好きすぎて
相対的な判断ができない人が多い。

別にMacよりも価格が安い、
Windowsで事足りる人はいるし、
そういう人にMacを押し付けても
迷惑な話だと思う。

誰かの迷惑になるマーケティング手法は、
社会的に考えれば害悪でしかない。

老害という言葉を
流行らせたやつも
個人的にはマーケッターとして
終わっていると思っている。

多分メディアなのかな?

老害というと、
老人全体が害悪でしかない
みたいな風潮を生み出してしまうことを
考えられないのだろうか?

その印象だけで、
社会保障費とか年金とか
生産性とか色々なところに話が波及してしまう。

宗教活動も広義の意味では
マーケティング活動になるわけで、
マーケティング活動の仕方によっては
〇〇信者を生み出してしまうことになる。

確かに信者が生まれれば、
そこに利益が生まれる。

ただそれって健全な経済活動だろうか?

様々な価値観や背景、
根本的なことを考えないと、
無意味な戦争が生まれてしまうことを、
マーケッターってちゃんと理解した方が
良いと個人的には考えている。

そして
「宗教的価値観を変えることはほぼ不可能」
という結論に帰結するのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?