中年じじぃの(愉快な)主張vol.31
短命家系について(中型バイクと祖母との契約について)
2024/11/11
私の親戚の男たちはみな短命だ。
なぜか男たちは皆、早く亡くなる。
なんだか、ある種の昆虫みたいだ。交尾を済ませてすぐに死ぬわけではないが、とにかくみんな早く亡くなる。
実際、私は父方母方ともに、祖父を知らない。
どちらも私が生まれるずいぶん前に亡くなった。
遺影でしか見たことがない彼らは、写真の古さもあって、なんだか寂しそうだ。
その次の世代、つまり私の叔父、伯父の世代だが、彼らもみな早世した。
父は健在だが、彼も昔大病し、本当にいくつかの偶然と医学の進歩のおかげで生き延びた。
叔父たちはみな、私が小学生から10代後半までのあいだに亡くなった。一時期はあまりにも続くので、亡くなったというより、バタバタ死んでいった、という感覚だった。
これがアラブの大金持ちなら、その都度盛大な葬儀をして、一族は皆、遺産を分け合っただろう。
しかしわが一族はみな、絵に描いたような小市民たちだ。
しかも彼らは、子育てや家のローンでてんてこまいの働き盛りか、独り身の叔父たちは皆、酒浸りのダメ人間で、誰も自身の葬式代など用意していない。
やむなく私の両親はその都度援助していたが、とうとう我が家の貯金も底をつく。
そのタイミングを見計らったわけではないだろうが、祖母が亡くなった。
祖母の葬儀代を工面するにあたり、ついに母は私に泣きつく。
『〇〇(私)だっておばあちゃんにお世話になったんだから、今回はあなたが出してちょうだい。全額よ、全額』
中型バイクを買うためにコツコツとアルバイトで貯めていた私の貯金は、こうして祖母の葬儀代になった。
私は葬儀の日、祖母の遺影に向かって手を合わせ、心のなかで語りかける。
『ばあちゃん、たしかに世話になったから葬式代おれが出したけどな、あれは来年バイクを買おうとしてたんだぜ。まさか400ccのバイクがばあちゃんの葬式代に化けるとはな。あの世で本田宗一郎に謝っておいてくれよな。それからな、おれは今月からまたバイト代を貯めていつかバイク買うからな。おれがバイクに乗っても事故らないように守ってくれよな。間違ってもそっち側におれを呼ぶなよ。頼んだからな』
遺影に長く手を合わせる私を見て、参列者はみな『なんておばあちゃん思いの子なんだ』と泣いた。
私は祖母と契約を交わしていたのだ。
その契約のおかげだろう。私はバイクで大きな事故を起こすこともなく、現在まで生き延びた。
数年前に、一番長く生きた叔父の年齢を追い抜いた年、私はバイクを駆って一人祖母の墓参りに行った。
そして墓を洗い、墓前に祖母が好きだった煎餅を置き、手を合わせて言った。
「ばあちゃん、ありがとな」
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